「ローリング・ストーン」インタビュー選集 続

『ローリング・ストーン インタビュー選集』 2008年12月 TOブックス ②
 
 
 

エリック・クラプトン (インタビュー 1985年6月)

(10代後半の頃)他のみんなが酒に酔ってる間、(ロング・ジョン)ボールドリーとかが隅に座ってフォークやブルースをやるんだ。これを見て自分もできると思った。隅に座ってギターを弾けば誰に見られるでもない。ひと目を気にすることも、恥ずかしがることもないからね。
 

トム・マッギネスがフレディ・キングの「ハイダ・ウェイ」を持ち込み、そのB面が「アイ・ラブ・ザ・ウーマン」だった。これは今でも最高の曲の一つだね。チョーキングの入ったエレキ・ギターのブルースを聴いたのはこれが初めてだったよ。フレディ・キングのその曲を聴いて、自分の道が決まったんだ。
 

メイオールのバンドに戻るとジャック・ブルースがベースを担当していて意気投合した。彼は僕たちがやっていたことなど大層なことだとは思ってなかったし、プレイしながら作曲していた。それはこれまで聴いたことのないようなやつで、僕を新しい世界へと導いてくれた。
 

あいつにできるなら、自分にもできるし、あとドラマーを雇えば、作曲をやるベース・プレイヤーを率いたバディ・ガイになれると思った。こうしてクリームが生まれたんだ。
 
 
 

クリームの時代に「クラプトンは神」という神話が広まって調子に乗ってたよ。その後、僕たちのパフォーマンスがどれほど退屈な反復だったかというレビューが続いた。実際そのとおりで、核心を突かれて僕は打ちのめされた。
 

音楽的な大きな転機はジミ・ヘンドリックスが来たときだ。生意気ではあったけど同時に純粋でシャイでもあった。一人の男として好きになった。それから一緒にジャムをやって、ぶっ飛んだ。あいつのテクニック、音色、サウンドのチョイスに圧倒された。
 

創作力に溢れている時ほどアーティストは気分の波が激しくて、自分の力に疑問を抱いて、ひらめきのチャンスとも気付かずに、そういう(酒とかヘロインとか)イライラやマイナス思考に歯止めをかけるようなものを求めるんだ。あふれ出る想像力に向き合おうとしない。
 
 
 
 

ミック・ジャガー (インタビュー 1995年12月)

キースは五歳のときからギターを弾いてて、カントリーミュージックとかのカウボーイものに夢中だった。あるとき、あいつがギターを抱えて俺に弾いて聞かせてくれたから「俺が歌うから、お前がギターを弾いてくれ」って言ったんだ。それは、はっきり覚えてる。
 

土曜の夜のステージでは、いろんなバンドを渡り歩いたよ。ステージに立たせてくれるなら、ここぞとばかりチャンスを逃さなかった。クレージーなステージだったよ。ステージに呼ばれたらそこで膝をついたり、転げまわったり、十五、六の時だ。みんな度肝を抜かれていた。
 

親は目をつむっていられなかったけど、キースのお袋はあいつがギターを弾くのを容認してた。キースは一人っ子だったし、お袋さんも気晴らしがなかったからね。うちの親は何かというと「宿題をやれ」だからね。俺には大変な時期だったよ。
 

(顧客を魅了するパフォーマーだと気づいたのは)十八くらいのころかな。ストーンズがロンドンでライブをやり始めた頃で、普段はパッとしないのに、ステージにたつと女の子がのって来るんだ。あの頃は俺もさえなかったからね。
 

「サティスファクション」はローリング・ストンーズをただのバンドからモンスター・バンドに変えた曲だ。バンドにはこういう曲が必ず必要なんだ。あの曲がなかったら、新聞の紙面にちょこんと出て、小ぶりのヒットで終わってたね。
 

タイトルがキャッチャーだよね。ギター・サウンドがすばらしくて、当時としては画期的だったし、時代の気分も反映している。(気分とは)疎外感さ。性的に満たされない気持ちさ。十代のときはこの感情を言い表せないからね。
 
 
 
 

キース・リチャーズ (インタビュー 2002年10月)

ちょっとばかりギターの才能があると気づいたとき、人生で何かオマケをもらったような気がしたんだ。「他に何がなくとも、俺にはこれがある」ってね。 
 

もしストーンズが売れてなけりゃ、配管工になってたと思う。夜になると家でギターを弾き、パブで仲間と騒ぐようなさ。音楽は昔から大好きだった。ただ、それが俺の人生そのものになるとは思いもしなかったよ。
 

俺が今でもギターを弾くのは、弾けば弾くほど新しいことを学ぶことができるからさ。この間も新しいコードを見つけて「くそっ、これをあのとき見つけていたらなあ」と思ったよ。ギターのことは知り尽くしていると思っても。次から次へと新しいドアが開いていくんだ。
 

ミックはときどき世界が自分を攻撃しているかのように立ち向かっていくところがある。それが彼の防御なんだけど、時に自分でしっくりこないと感じてしまう。でも、すべてはあのポジションい長くいることが原因さ、なんてたってあのミック・ジャガーだぜ。
 
 
 
 

ボブ・ディラン (インタビュー 2001年11月) 

すべては、フォーク・ミュージックに始まってフォーク・ミュージックに終わる。フォークの基礎や知識がなっかたり、歌いこなす術、歴史的なつながりを知らないと、今やってることは盤石なものにならない。
 

近頃至る所で神という言葉を良く耳にする。利益の神、全知の神、万能の神、命を授ける神、死を授ける神とか。常に神のことが耳に入ってくるから、神について学んだ方がいい。だが、神ついて何かしら知れば神に裏切られもするから、いざという状況にも対処できるようにした方がいいね。
 

昔から曲を書くとき苦労するのは、言葉のレトリックをいかにさりげなく取り込むかだ。曲に深い感情を込めることはしない。常に自分の見たままが反映されてるよ。「ラヴ・アンド・セフト」では力・富・知識・救済について自分なりの見方で語っている。
 

マスコミと全く話す気がないディランに対し私は2年近く対談依頼の手紙を書き続けた。1969年ニューヨークのホテルに「ディロン」から電話があったという。チャンスをふいにしたと思ったが、数カ月後再びニューヨークを訪れた時、ドアをノックする音がして、何とディラン本人が立っていた。私がどんな人間か確かめに来たらしく、どうにか合格点をもらったらしい。ヤン・S・ウェナー『ローリング・ストーン』誌発行人