『だれかを犠牲にする経済は、もういらない』 原丈人 金児昭 2010年6月 株式会社晶文社ウェッジ
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株式公開すると、市場からニューマネーを調達できるというのは幻想です。アライアンス・フォーラム財団の研究によると、アメリカの証券市場は、1993年から新規発行株式による資金調達よりも自社株買いの方が大きくなっています。要するに、むしろ会社のお金が市場に吸いとられている。
アメリカは経済の規模は多くなったけれど、人と人の信頼関係や、心のほうの豊かさは、ずいぶん貧しくなった気がします。典型は所得格差です。CEOの所得と、平均的な従業員の所得の差は1980年代はアメリカでさえ30倍くらいしかなかったのが、今では400倍を超えています。日本は今でも10~15倍です。
いつの間にか「儲けること」だけが自己目的化したアメリカでは、「ひどい二極分化」が起きています。これらの結果、国民の総所得に占める超高所得者のシェアは右肩上がりです。上位1%層のシェアは1970年代は10%を切っていたのに、80年代から上昇し始め2005年ごろから20%を超えるようになりました。
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アメリカの金融資本主義のおおもとにあるのは、二つの間違いです。一つは「市場万能主義」、つまり、市場にすべてを任せるべきだという新古典派の経学です。もう一つは「株主至上主義」、つまり、会社は株主のものという考え方です。
「市場万能主義」は、ミルトン・フリードマンから始まるノーベル賞級の理論経済学者たちがつくりあげてきました。市場を極端にまで自由にすることが個人の自由と、社会の繁栄につながるとする考え方です。しかし実際は、市場原理には限界があります。
「株主至上主義」もおかしな考え方です。会社は株主だけのものではなく、従業員、顧客、仕入先、地域社会など多岐にわたるステークホルダー(利害関係者)のもののはずです。日本の社会では常識的にそう感じる人が多いと思いますが、アメリカの主流はそうではありません。
個人、法人、機関投資家の資金が投機的なゼロサムゲームに流れるのを止め、長い目で見れば大きなリターンを人類にもたらす研究開発などの中長期の投資に流れていくような、税制、金融制度を日本が先んじて整えることができれば、金融不安による世界の混乱を食い止める役割を日本が果たすことになります。
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途上国支援の方法は三つあります。一つはODAなどの国体国、国連対国という関係による援助。二つ目は、基金や宗教団体による慈善活動。三つ目はデフタ・パートナーズがつくった事業モデル、つまり収益事業を途上国に設立し、その利益で教育医療等の公益分野の投資をしていくモデルです。
本質的に援助という概念は、本当の意味での支援にはつながりません。貧しい人に、お金やものを与え続けても自立できないのと同じです。難民支援などの衣食住に関する基本的な援助を除けば、ODAや慈善活動は途上国を助ける本質的なメカニズムとはなりません。
私は数多くの援助の実態を見てきましたが、途上国には腐敗政権がとても多いというのが実態です。ですから、ODAを行ったとしても無駄が多く発生します。だから、途上国の人が自ら立ち上がる、事業の形をとることがとても大切なのです。「儲けること」は、腐敗や汚職を排除する力を持っています。
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私は「独立自尊」がとても大事だと考えています。国の独立は個人によって支えられ、個人の独立のためには経済的に独立することです。経済的に自立するためには、自由な考え方に基ずく経済活動が保障されていなければなりません。この政治制度が民主主義で、そこに出てきた経済的制度が資本主義です。
しかし資本主義も理論的な裏づけが必要になり、いろいろな経済学がある中で、新古典派の経済学が主流となりました。複雑な人間社会の経済活動を単純化し、非現実的な仮説の元に作られた数学モデルが次々と生み出されました。
バイオテクノロジーによって生みだされた遺伝子治療が何年もの間、安全性を確認してから世に出されるように、経済学の理論から生みだされた金融商品も実際に流通するとどんな問題を起こすか、慎重にシュミレーションしてから世の中に出すべきでしょう。
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学生時代の私は、中央アメリカの遺跡に魅せられ考古学に夢中で、大学院に進学して考古学で博士号をとるか、ビジネスマンとなって収入を確保し、趣味として考古学を続けるのか、という将来の道が二つに分かれていました。
ただ、日本で考古学者になって研究を続けても中央アメリカにたどりつけるかわかりません。それだったら、ビジネスで資金つくりドイツの考古学者ハインリヒ・シューリーマンのように誰の指示も受けずに研究に没頭したほうがいい。それでビジネスを学ためにスタンフォード大学のビジネススクールに入学しました。
これから留学する人たちには、きまって私は彼らにこうアドバイスします。「ビジネススクールに入る人は、そこで教えられることに染まるのではなく『彼らがどんな発想でビジネスをするにか』を知るつもりでは入ったらいい」と。この一言を聞かないで留学すると洗脳されてしまうこともあるようです。
ビジネススクールの授業では、ずいぶん「事業計画書」の書き方を教わりました。(略)大学の先生たちは「どうやれば売れるのか」「どうやれば儲かるのか」といった方法論や、財務状況、マーケットの成長率などの数字ばかり見ますから、何かがおかしいと感じざるを得ませんでした。
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私には、考古学の研究資金づくりという大きな目標がありました。光ファイバーを素材に映像システム開発を行う新会社の事業計画書を一気に仕上げました。計画書に添って資本金60万円を用意して経営者は私と決めたところで、行き詰まりました。エンジニアリングの担当者がいません。
資本金60万円の会社では(給料は)払えません。そこで、私自身がエンジニアになろうと工学部の大学院に入り直しました。いま考えれば無謀な挑戦だったと思います。工学部では、自分で製造現場を経営することも視野に入れて、製造技術や管理工学も学び、GMのフりモント工場の実習にも通いました。
私が手掛けたのは100メートルx30メートルの超大型画面でした。大学院在学中に起業し、入念に調査した事業計画書に基づいて、これを必要とするのは広告業界だろうという見込みのもとニューヨークのマディソン街に集中する広告代理店に売り込みに行きました。いいところまで行くが、受注は結局ゼロ。
私を救ってくれたのはヒューレット・パッカードの自伝でした。その本を読み、「ディズニーランドに売り込みに行こう」と思い立ちした。ディズニーランドは他の遊園地とは違い、夢のある世界をつくり出すために、新しいテクノロジーを積極的にとり入れている。自伝にはそんな記述がありました。
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それでシリコンバレーからロスアンジェルスまで車で5時間かけて、ディズニーランドのバーバンク研究開発センターを訪問しました。プレゼンを終えると、次々に質問が飛んできました。
なぜ私が光ファイバーを開発していのるか、「単なる利益ではなく最先端の光フィバー秘術を製品として結実させたい。考古学の研究の発展につなげたい」と、私は思いをぶつけました。
2回目のとき「あなたの会社の弱点は何か?」と聞かれたので「資金のなさです」と正直に告白しました。一般的なアメリカの業者は「弱点などありません」と答えるようなので、彼らは驚きました。そのようなやりとりがあって、キャラクタ―を映し出す大型スクリーンや、花火の打ち上げ効果をだす装置などを受注しました。
シリコンバレーに戻り、材料を買うお金がないのに気づきました。再び5時間かけてロサンゼルスへ行き「手持ちの資金で賄える範囲の注文量にして欲しい」と、銀行の通帳を見せて頼みました。ビル・ノビー副社長は私の、注文を減らして欲しい、という前代未聞の依頼に驚きながらも、「前金として三分の一を支払う」と小切手を差し出しました。
それからというもの毎日、早朝から夜遅くまで懸命に働き、納期の1週間前に製品を仕上げました。努力の成果の詰まった製品をレンタルトラックに積んで納品すると、向こうが驚きました。「今まで納期に間に合った業者はあなたたちだけだ。それでいて品質もいい。よし、倍の注文を出そう」と。
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語学力なんかなくても大丈夫です。言葉の中身さえあれば、語学力がなくても通訳を使えばすみますが、語学力があっても中身がなければ終わりですから。何でもいいですから、自分の得意な分野について自国語でしっかりと表現できるようにするのが大切です。
自分が日本人であり、日本語を話すことに自信と誇りを持つことです。いくら英語ができても、英語以外の国に行ったら語学ができない人と同じ立場になるのですから、相手の言葉に関係なく、コミュニケーションを成立させる練習をしておくことも楽しいことです。
私は考古学や地理歴史が好きなので、とくに話題にしたくなりますが、地図を書き、知っている限りの外来語をいろいろ話して、あとは日本語で堂々と話すと、相手も同じように返してきて、いい感じになるのです。言葉より、まず内容です。そしてなんと言っても外国語よりは母国語です。
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私たちは、もう一度、人々が幸せになるめに生まれた資本主義の原点に立ち返り、会社とは何か、人間にとって、社会にとっての幸せとは何かを改め問い直す必要があります。
サブプライムのように、「カネがカネを生む」ビジネスが称賛され、金儲けにひた走り、一握りの人間だけが巨額の富を得て、人が人を信じられなくなるというような社会にしてはいけません。
そのためにも、日本から新たな資本主義をつくりあげるという国家意思を世界に向けて示し、世界を納得させていくことがこれから必要なんです。