わがドラッカー流経営論(柳井正)

『柳井正 わがドラッカー流経営論』2010年01月 NHK「仕事学のすすめ」制作班
 
 
 

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家業である紳士服店を父から任されたとき、上場を決めたとき、フリースのブームが去ったとき、ぼくは人生の節目節目でドラッカーの著書を読み返し、自分の立ち位置を再確認し、ときには彼のことばに元気づけられ、背中を押されてきた。
 

洋服屋であれば質の高い服をつくり、青果店であれば安くて新鮮な野菜や果物を売る。そんなふうに事業を通じて社会や人びとに貢献するからこそ、企業はその存在を許されている、というのがドラッカーの企業に対する考え方です。
 

ユニクロの場合、カジュアルウェアを低価格で販売するという印象をもっていると思いますが、安く売るという前に「よい商品を作って、あらゆる人に買っていただきたい」というのが、われわれの理念の根本です。
 

じつを言うと創業当時のユニクロも、ディスカウント競争のスパイラルに陥っていました。このままではいけないと考え、自主企画商品の製造委託、さらにSPAモデル(製造販売)へと徐々にシフトしました。
 
 
 
 

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パタゴニアのフリースが1万円以上した時代に、価格を4000円台に抑えた当社のフリースは毎年順調に売り上げを伸ばしていました。つまりヒットの予兆のようなものは、その頃からあったんです。
 

原宿店を出店する際、フリースを新しいカジュアルウェアとして提案してみようと考えた。4000円はインパクトに欠けます。質を下げることなく徹底的にコストダウンを試みた結果、1900円の低価格が実現しました。
 

2000年、フリースは当時のユニクロ最大のヒット商品になりました。フリースブームを機に「安いけど、結構いいじゃないか」という認識がお客様に定着しはじめた。
 
 
 
 

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2008年に2800万枚売り上げたヒートテックも、今までにない付加価値のある商品をつくろうと考えた。あの商品の元になっているのは、女性用のあったか肌着、いわゆる「ババシャツ」です。
 

企業の人にも小売業の人にも言えることですが、たとえば肌着を開発していると、どんどん思考が内向きになり「いい肌着をつくろう」とばかり考える。でもぼくの中には「これは単なる肌着ではなく、すごく可能性のある商品になりえる」という考えがありました。
 

ヒートテック2万セットを無料で配るキャンペーンは、着心地の良さ、保温性、保湿性は着ていただかないと良さがわからない、まずは商品を着ていただき、そこから発生する口コミによる宣伝効果を狙いました。
 
 
 
 

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不思議なことに長所を伸ばしていくと欠点というのはどんどん消えていきます。それは企業に関しても同じで、優れた部分をより強固にしょうと考えると、欠点はやがては隠れてみえなくなっていくんです。
 

今後も失敗を恐れることなく、新しいことにチャレンジしていくつもりです。そして、あらたな長所をみつけて、それをどんどん伸ばしていくことが、さらなる成長につながると考えています。
 

ホンダやソニーがかつて海外でやったことのようなインパクトを、服飾業界でやりたい。
 
 
 
 

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株式上場を考えたころ、再びドラッカーの著書を手に取るようになった。ずいぶん印象が違いました。「ぼくのやってきたことは、なるほどこういうことだったのか、間違っていなかった」と自信が湧いた。
 

フリースブームが去ってから、ドラッカーを読み返した。ドラッカーは、人間が幸せであるためには社会の発展が必要で、その役割を担っているのは国や政治ではなく「企業」だと考えた。それに改めて気づかせてくれた。
 

自分の成長と同時に、何度も読み返してみることに意味がある。それも、ただ理解するのではなく「ドラッカーはこんなふうに言っている、自分にとってそれはどうなんだ?」と問いかけ、自分の頭で考えて、行動することが重要です。
 
 
 
 

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日本の企業は輸出ばかりに目を向ける、それは海外の国にとってどうなのか。だからこそわが社は輸出というスタイルではなく「世界中で作り、世界中で売る」をコンセプトに、本当の意味での国境を越えたグローバルな企業をめざすことにしたんです。
 

「服を変え、常識を変え、世界を変えていく」というわが社のステートメントは大げさすぎるように聞こえるかもしれません。でも、理想を抱かなきゃ何もはじまりません。
 

「あらゆる人」という点にぼくはこだわっているんです。難民や1日1ドルで暮らしている人、はては大金持ちまで、世界中のあらゆる人たちに私たちの作った服を着ていただきたい。そして幸せを感じてほしい。ぼくたちがやれること、やるべきことはそれだけなんです。