イーロン・マスク 未来を創る男

『イーロン・マスク 未来を創る男』 アシュリー・バンス 斎藤栄一郎訳 2015年9月
 


 
 
 

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スペースX本社に入ったとたん、左右の壁の巨大なポスターが目に飛び込んでくる。左のポスターは現在の火星だ。冷たい不毛の地である。そして右のポスターは海に囲まれた広大な緑の大地だ。人類が住める環境に変わった未来の火星が描かれている。
 

かつてはスティーブ・ジョブズに心酔していた駆け出しの企業家らも、今はこぞってイーロン教に宗旨替えしている。シリコンバレーの企業家は時代の先を歩んでいるとはいえ、所詮、現実の域を外れていない。
 

ところがマスクは、シリコンバレーの居心地のいい世界とも一線を画し、常に波風を起こし、論争の的になっている。電気自動車、太陽光電池、ロケットなど壮大な夢を説き回っている。
 
 
 
 

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2012年初め、スペースXは、国際宇宙ステーションに物資補給用の宇宙船を打ち上げ、見事に任務を完了して無事、地球に帰還させた。スペースXはぺイロ―ド(搭載物)を宇宙に運んだ後、地上の発射台に正確に帰還する再使用型のロケットの実験を続けている。
 

テスラが展開する充電ステーションは「スーパーチャージャー」と呼ばれ、米国や欧州、アジアの主要ハイウェイ沿いに次々に展開している。30分も充電すれば何百キロも走ることができる。スーパーチャージャーは太陽光発電装置で運営されているので、テスラのオーナーは燃料補給に金を払う必要がない。
 

最初の妻ジャスティンの言葉を借りればこうだ。「やると決めたら実行する人で、簡単には諦めない。それがイーロン・マスクの世界であって、その世界に暮らすのが私たちなの」。
 
 
 
 

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「よその子よりも物事の理解は早かったと思います」とメイ(母)は振り返る。ただ、息子がときどきボーッとなって心ここにあらずといった状態に陥るのには手を焼いた。話しかけても遠くを見るような目つきで何も受け付けなくなってしまうのだ。
 

「脳の中には普通ならば、視覚情報の処理にしか使われない部分があるが、その部分が思考プロセスに使われている感じかな。視覚情報を処理する機能の大部分が思考する過程に使われていた。今はいろいろなことに注意を払わなければならない身なので、以前ほどではなくなりましたが子ども時代は頻繁にハマっていた」。
 
 
 

少年時代のマスクの性格の中でも印象的なのが、異常ともいえる読書癖だ。小さい頃からいつも片手に本を持っていた。「1日10時間、本にかじりついていることも珍しくなかった。週末は2冊を1日で読破していた」と弟のキンバルは証言する。
 

「そのうち学校の図書館でも近所の図書館でも読むものがなくなった。3年生か4年生のころだ。仕方ないのでブリタニカ百科事典を読み始めたら、これが面白かった。いかに自分が知らないことが多いかがわかるんだ」。百科事典を2セット読破したおかげで、少年は歩く百科事典になった。
 

少年時代のマスクには人の誤りを正さずにはいられないところがあり、相手の神経を逆撫ですることも多かった。自分の誤りを指摘してもらえたら嬉しいに決まっていると当時のマスクは本気で考えていた。だから周りの子供たちから煙たがられ、余計に孤独感を深めるのだった。
 
 
 
 

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2002年マスクは、スペースXが手がけるロケット第1号を「ファルコン1」と命名した。映画「スターウォーズ」のミレニアム・ファルコンに因んだ名だ。300㎏のペイロードを宇宙に運ぶコストが3000万ドルと言われた時代に、ファルコン1は635㎏のペイロードを690万ドルで運ぶとぶち上げた。
 

2002年7月、大胆な計画にマスクは心を躍らせていた。ちょうどイーベイが15億ドルでペイパル買収を決めた時期である。おかげでマスクには巨額の現金が転がり込み、スペースXに1億ドル(約120億円)以上を用意できるようになった。
 

マスクはまだロケットの打ち上げもしていないのに、2つめのロケットの打ち上げ計画を発表した。ファルコン1と並行して、ファルコン5の開発にも着手するという。この名称はエンジン5基を搭載していることに因んでおり、4トン以上の搭載物を地球の低軌道まで運搬する能力がある。
 

エゴ丸出しのマスクの姿勢は彼の強みでもある。そもそもまだ打ち上げも成功させていない段階から、自分が宇宙産業を制したかのように振る舞っているのも、彼の性格があってこそだ。だが、社員との間にあって、イーロンのどこかに問題があることは確かなようだ。
 
 
 
 

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完成日や納期について約束しては延期を繰り返すマスクを、マスコミは笑いものにしてきた。スペースXにせよ、テスラにせよ第一号商品を市場投入しようとする前にトラブルに見舞われた。記者会見を開いては、マスクが遅れの理由を並べ立てるのもお馴染みの光景だった。
 

「スケジュールを設定する場合、自分の知識を基に決めて、それに従って頑張るわけです。自分の知らないことが起こるので、どうしても期限を超えてしまうこともあります。だからといって、最初から甘いスケジュールにすべきではありません。無駄に時間を多く使うに決まってますから」。
 

NASAではスペースXのエンジニアは「ガレージの連中」と陰口を叩かれていた。ベンチャーの技術力を軽視した表現だ。だが(アビオニクスシステムを)スペースXが記録的なスピードで基本機能を完成させてしまう。NASA所定のテストも一発でクリアするクオリティの高さだった。
 
 
 
 

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発売から数カ月後の2012年11月、モデルSが自動車専門誌『モータートレンド』の「年間最優秀自動車」に満場一致で選ばれた。ポルシェやBMW、レクサスなど、錚々たるライバルを抑えての受賞だった。重要なのは「最優秀EV」ではなく「最優秀自動車」だった点だ。
 

初期のテスラは何かと悪いニュースが多かったこともあり、マスコミや自動車業界では、まがいもののように見られていた。だからマスクのイメージは世界的に成功を収めた起業家とはほど遠く、シリコンバレーあたりのいつも大風呂敷を広げている鼻持ちならない連中の一人に過ぎなかった。
 

ロードスターの問題(値上げ、リコール)もありテスラという会社自体、やがては淘汰されていくかに見えた。だが、世の中は面白い。経営破綻寸前といわれたテスラが息を吹き返すのである。2008年から2012年にかけてテスラは2500台を販売した。当初の計画を達成したのだ。
 
 
 
 

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マスクの究極のゴールは人類を国際人ならぬ”惑星間人”にすることにある。つまり地球にとどまらず惑星をまたにかけて活躍する種に進化させたいのだ。馬鹿げていると笑い飛ばす人もいるだろう、しかしマスクの存在理由はまさにそこにあるのだ。
 

「1日に何度も打ち上げる方法も研究しなければならない。長期的に大事なのは火星に自立型の基地を作ることだから。火星に自立型の都市を建設するには、膨大な量の設備や百万単位の住人を運ぶ必要がある。とすると、いったい何回打ち上げることになるか。
 
火星までは長旅だから1回に100人がいいところだろう。1万回で100万人。じゃあ、1万回の打ち上げをどのくらいの期間でやらなければいけないかといえば、2日に一回しか打ち上げられなければ、50年以上かかる」。
 
 
 
 

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グーグルの共同創業者でCEOのラリー・ペイジもマスクの熱狂的な支持者のひとりだ。マスクがあちこちのオフィスを飛び回る関係で寝る場所も毎日のように違うことはすでに説明した通りだが、ペイジの家も、その宿泊先のひとつにされてしまった。
 

ペイジは言う。「よく知らないことに対する人間の洞察力なんて、たいしたことがないんだなと悟りました。イーロンがよく言うことですが、何ごとにも原点に立ち返って取り組まなければいけないんです。どういう仕組みなのか、時間はどのくらいかかるのか。
 
コストはどうか。自分がやったらどのくらい安くできるのか。何が可能で、どこが面白いかを判断するには、工学や物理学の分野でそれなりの知識が必要ですが、イーロンはそこが傑出しています。しかも経営、組織、リーダーシップ、統治についても詳しい」。