『ジェフ・ベゾス 果てなき野望』 ブラッド・ストーン 井口耕二(訳) 2014年1月 日経BPマーケティング
アマゾンのジェフ・ベゾスCEOは、米フォーブス誌の2018年長者番付で24年連続1位だったマイクロソフト会長のビル・ゲイツを抜き第1位に輝いた。2000年代前半までアマゾンは赤字を繰り返し、投資家や株主から批判され続けたが、実は、ベゾスは利益の全てを倉庫やシステムや人材などに先行投資してライバルとの差を着々と拡げていたのだ。(2018/10)
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我々はアマゾンのことなら知っていると思っているが、我々が目にしているのは、実は、アマゾンがみずから演出している神話だけ、プレスリリースや講演、取材対応などの原稿のうち、ベゾスが赤ペンで消さなかった部分だけなのだ。
アマゾン本社ビルのエレベーターの近くには黒地に白抜き文字のプレートがあり、それを読むと哲学的な最高経営責任者が統べる王国に足を踏み入れたのだとわかる。
「世の中には、まだ発明されてないものがたくさんある。今後、新しく起きることもたくさんある。インターネットがいかに大きな影響をもたらすか、まだ全然わかっておらず、だからすべては始まったばかりなのだ」。
最高経営責任者としては珍しいことに、先を急いでいるとか、他のことを考えているといった感じがしない。話はいつも観念的で、あらかじめ定められている範囲から逸脱しない、いつも同じような言葉を繰り返すのでジェフィズムと呼び人もいる。
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1994年10月、辞書の「A」で始まる部分をじっくり検討したベゾスは「Amazon」を見つけ、これだ、とひざを打つ。世界最大の川、すなわち、世界最大の書店だ。
当初の大きな問題として10冊以上の注文しか受け付けないという取次側の条件があった。ベゾスは抜け道を見つけた。「必要な本1冊と、取次側に在庫のない本9冊を注文するようにしました」。
レビュー機能が登場した。否定的なレビューに対し、君の仕事は本を売ることで、本にけちをつけることじゃない、と出版社の役員から怒りの手紙をもらった。その瞬間「我々はモノを売って儲けているんじゃない。買い物について、お客の判断を助けることで儲けているんだ」と思いました。
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オープンから一週間後、スタンフォード大学院生のジュリー・ヤンとデビット・ファイロから、ウェブ上のすてきなコンテンツをリストアップするヤフーというサイトを作っており、そこでアマゾンを取り上げようと思うかどうか、というメールが届いた。
「消火栓のホースから水を飲むようなものだ」とカファンは不安を訴える。でも最後はやってみようということになり、立ち上げから一ヵ月で、販売実績が全米50州と世界45か国をカバーするほどとなった。
このころ、けたたましい笑い声に髪の薄い頭で落ち着きのないCEOの真の姿が社員にも見えはじめた。まず、第一印象よりずっと頑固だし、驚くほど自信家で、社員はみな一心不乱に働くものと思っているらしかった。
ペゾスはカヤックが趣味のラブジョイに対しては、アマゾンはカヤックの本を売るだけでなく、そのうちカヤックそのものも売るし、カヤック雑誌の定期購読も申し込めるようになる。さらにカヤックを楽しむ旅行の予約など、カヤック関連の全てを取り扱うようになると語った。
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誰かを雇ったら、その人を基準に次はもっと優れた人を雇うようにするんです。そうすれば、人的資源が全体的によくなっていきますからね。ベゾスはあちこちでこう語っている。
マイクロソフトからも後に小売部門トップとなるデビット・リッシャーを引き抜いた。リッシャーはビル・ゲイツに湖の向こう側の本屋に行くと伝えた。「ただただ、びっくりだったと思います。だって、どう考えてもおかしいのですから」とリッシャーも言う。
リッシャーとベゾスは同じシアトルに本拠を構えるスターバックスのハワード・シュルツに会い出かけた、アマゾンの株式と交換でスターバックスのレジ脇にアマゾンの商品を置く、という提案がきていた。
スターバックスとの話はご破算になるが、なお、現在も、アマゾンは現実の店舗を持つ可能性について検討を続けている。「そこにチャンスがあるかもしれないわけで、検討はするにやぶさかではありません」。
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購買履歴が似ている顧客をグループ化し、グループ内の顧客にアピールするおすすめ本をみつける、シミラリティーズ(類似点)を基に、アマゾンのさまざまなパーソナライゼーション機能ができていく。これは実店舗にない電子商取引だからこその強みだとベゾスは力説する。
拡大のターゲットはまず音楽、次がDVDとなった。ウェブサイトのトップに掲げたスローガンも「地球最大の書店」から、「地球上で最大級の品ぞろえ」つまり、エブリシング・ストアへと変化していく。
「我々は自分を書店だと考えていませんし、ミュージックストアだとも考えていません。人びとが買いたいと思うモノがすべてみつけられる場所になりたいと考えているのです」。選択肢はふたつ。カテゴリーをひとつずつ拡大するか、一挙に拡大するか。
【クラウドサービス(AWS)の始まり】
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2002年ころ、出版社を営むティム・オライリーはベゾスを訪問し、サードパーティが価格や商品、販売ランキングなどのデータを取得できるAPIを開発すべきだ、オンラインサイトを区分けし他者が活用できるようにすべきだ、という貴重な提案を行った。
ベゾスはオープンなウェブという新たな常識に賛同し、社内を説いて回った。開発するグループには新しい名称が正式に与えられた。アマゾン・ウェブ・サービス(AWS)である。これはすごい掘り出し物となる道だった。
AWSの業務は、ストレージやデータベースやコンピューター処理能力の販売である。現在、ピンタレストやインスタグラムといったスタートアップ各社はAWSの高性能サーバーを利用し、ネットフリックスはAWSで映画をストリーミングしている。
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2006年3月アマゾンはシンプル・ストレージ・サービス(S3)を導入した。数カ月後、エラスティック・コンピュート・クラウド(EC2)を公開、開発者が自分のプログラムをアマゾンのコンピューター上で走らせられるようなった。
ベゾスはAWSを低料金にしたいと考えていた。アマゾンはコスト構造が優れており、利益率が低い世界で生き残る力を持つとベゾスは信じている。そのような利益率の低い市場にはIBMやマイクロソフトやグーグルなどは参入に二の足を踏むはずだ。
アマゾンのウェブサービスが安価で提供された結果、インターネット関連のスタートアップ企業が何千社と生まれた。大企業にとってもクラウドでスーパーコンピューターがレンタルでき、さまざまな分野でイノベーションの新時代が幕を開けた。
【キンドル誕生】
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ベゾスは、アップルが音楽で成功したようにアマゾンが電子書籍で成功するには、洗練されたハードウェアから使いやすいデジタル書店まで用意して顧客の体験すべてを管理する必要がある、という結論に達した。
ベゾスの無限にあふれてくる想像力は、目標はアップルになること、アマゾンの電子書籍リーダーはおばあさんにも使えるくらい使いやすくなければならない、PCにつなぐのはだめ、無線接続されていると顧客がわかるようではだめ、アクセス料金を顧客に払わせるのもだめだ、とたたみかける。
ロケットブックもソニーリーダーも電子書籍が少なすぎた。昔の電子リーダーは買っても読める本がほとんどなかったのだ。ベゾスが目標にしたのは、キンドル発売までに10万タイトルをダウンロード可能な状態にすることだった。
2004年ころ、アマゾンは出版界に大きく貢献しており、大手書店のスーパーストアはせいぜい15万タイトルしか本を並べられないが、アマゾンは何百万タイトルも販売する。アマゾンの返品率は5%以下だが、大手書店は40%ほどを返品する。出版社にはアマゾンが必要だった。
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アマゾンはデジタル化する書籍が少なすぎる出版社や、デジタル化が遅いところには、サイトにおける検索や推奨アルゴリズムの優先順位をさげると通告した。推奨アルゴリズムから外した出版社は、通常、売上が40%落ちる。
書籍グループのエリック・ゴスはベゾスの考え方に耐えられなくなり2006年に退職した。仲間と難しい仕事をしたことは誇りに思う、同時に、取引先に対する会社の方針が先鋭化し自分の価値観と相いれなくなったのだ。退職してからも1年ほどPTSDに悩まされた。
2007年11月ベゾスはキンドルお披露目のスピーチで重要情報を明かした。「ニューヨーク・タイムズ紙のベストセラーと新刊をわずか9ドル99セントで提供します」。出版社の幹部は「彼らのしたことは間違ってないが、やり方が間違っている」と悔しがった。
2009年2月に発表されたキンドル2は初代の無理なデザインが無くなりすっきりと薄くなった。初代キンドルでアマゾンは大きく変わりデジタルの未来に向かい始めた。キンドル2は出版事業に革命を起こし、世界中で本の読み方を変えた。