トランプ大統領とアメリカ議会(中林美恵子)

『トランプ大統領とアメリカ議会』 中林美恵子 日本評論社 2017年
 

アメリカ大統領の行使する権限は連邦議会により厳しくチェックされる。連邦議会は弾劾裁判を行って大統領を罷免する権限をも持つ。ゆえに、連邦議会を共和党が占めるか、民主党が占めるかは、トランプ大統領にとっても、ひいては世界や日本にとっても重要な問題となってくる。
 
米国連邦議会の上院予算委員会スタッフ(米連邦公務員)として10年にわたり米国の予算編成に携わっていた著者の、アメリカ大統領の権限 vs 連邦議会の権限、についての詳細なテキスト。
 


 
 
 
 

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トランプ候補は、頑固でしぶとくも、白人労働者の気持ちを汲んだ言葉を連発することに徹した。昔に比べ、移民や有色人種に仕事や機会を奪われ、アメリカの古き良き文化や価値観が脅かされていることに不安を抱いてきた層に、その言葉は受け入れられていった。
 

トランプ支持の基盤には、彼が新しく掘り起こした層がある。かつて重厚長大な産業を支え、今は没落の憂き目にあっている白人労働者階級(プア・ホワイト)である。ラストベルトといわれる一帯に住む白人有権者たちだ。
 

彼らは「ポリティカル・コレクトネス」という偽善(と彼らはいう)に不満を持ちながら声に出せず、これまでがんばってやってきたのだが、仕事を海外や移民にとられ経済面でダメージを受け、生活苦を抱え、この不満を誰に訴えたらいいのかわからずに生活していた。
 
 
 
 

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民主党内で起こったサンダース上院議員の健闘は将来何度も再考されるに値する事象であった。74歳の自称社会主義者がこれほどまでに大きな運動を起こさせた背景を、もしクリントン陣営あるいは民主党の中枢が正しく分析していたならば、大統領選の結果は大きく変わっていた可能性がある。
 

クリントン候補は、テレビの公開討論会や演説会場で、力強くトランプ候補のスキャンダルや欠点を指摘したが、効果はもたらさなかった。なぜトランプ氏が支持されているのか、そして支持している人々は何を求めているのかということに、まったく気づいていなかったのだ。
 

バーニー・サンダース上院議員が大統領選挙後にニューヨーク・タイムズ紙の意見論文に記述したように、会社役員が労働者の300倍の給料をとり、経済成長によってもたらされた新しい52%の富は1%の富裕層にまわされ、かつての美しい街がゴーストタウンとなっている現状は、既存の政治家には見えていなかった。
 
 
 
 

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既存のメディアは、クリントン候補のメール問題に比べ、人種差別的な発言やセクハラ問題の方がアメリカにとって根が深く議論の必要性が高かったにもかかわらず、これらの問題を吟味することなく(詭弁やスキャンダルの)情報が垂れ流された。
 

2016年の大統領選挙の場合、トランプ候補の政策の一つひとつがすばらしいから当選したというよりも、彼が指摘した既存のワシントン政治、既存のマスメディアのあり方への攻撃がある程度的を射ていたがゆえに、これらを変えるための一石が投じられたと解釈すべきではないだろうか。
 

人格や人間性は選挙に大きな影響を与えなかったが、それでも選ばれたその人の個性はホワイトハウスの主になった時点で、とてつもない重要性を帯びる。資質、信条、生い立ち、性癖、価値観、本心、人の扱い方、部下の選び方など、いろいろなものが国政や国際関係に影響を及ぼす。
 

その意味で、トランプ大統領は就任してからすぐに困難に直面するのは明白だった。なぜなら、新大統領はこれまでの政治手法をあらためることを期待される一方、新大統領が既存の組織や経験者を活かさなければ政策運営をしていくことが難しいからである。
 
 
 
 

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インド系の新興企業ジュニック・エーアイによって開発された人工知能システムを用いたビックデータによる解析は、2016年の共和党及び民主党の予備選挙の結果をすべて正しく言い当てたのみならず、2004年以降のすべての大統領選挙で当選者を正しく予想したことで知られる。。
 

この企業は、2004年からグーグル、ユーチューブ、ツイッターなどを経由する2000万もの標本値群を用いて有権者の興味関心を測定し、その結果、トランプ氏に対するオンライン上の関心の高さは、オバマ候補が誇った2008年よりも25%ポイント上まわったことを発見し、これは2016年の投票日の前に公表されていた。
 

ビックデータは、特定の候補に肯定的か否定的かの判断はできない。肯定的であろうが否定的であろうが、ネット上で関心の高まった候補が勝利するトレンドが2004年からの同社の実績であきらかになりつつある。トランプ候補は、否定的な投稿が圧倒的に多かったが、逆にそれが議論を呼ぶことになった。
 

ビックデータによる分析に比較し、マスメディアの世論調査を用いた分析では過去の投票率を組み込むさまざまな操作方法も手伝って、トランプ大統領の誕生を正しく予測できなかった。それが、選挙当日のアメリカ国民のみならず、世界中の人々の驚きにつながった。
 
 
 
 

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アメリカ合衆国憲法は国家権力を行政府、立法府および司法府の三つの機関に分立させ、これを統治機構の基本とした。憲法起草に関わった建国の父らは、モンテスキューの1784年の著書『法の精神』(三権が統一されたところに自由はない)を参考に、まずは専制政治を大きく警戒することからスタートした。
 

ただし、この三つの機関は分立はしているものの、互いに依存し合う。この依存そのものが、チェック・アンド・バランスとして機能する。責任と役割が一カ所で完結せず分散されているがゆえに、依存と共生が不可欠となり、それによって専制政治の実現が不可能になっているともいえる。
 

トランプ大統領も、自身が持つ形式上の絶大な権力と同時に、権力を行使するにあたり大きな限界や制限を抱えている。大統領として実績を残すためには、連邦公務員をうまく使いこなし、世論形成をしながら議会と協力せねばならない。
 

そのために必要なのは、効率的な行政手腕、コミュニケーション能力、説得力、そして、ファシリテーター(進行役)力、およびリーダーシップである。
 
 
 
 

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アメリカの大統領は政治家であると同時に国家元首と位置付けられている。つまり国家の顔である。大統領はアメリカ全土で最も注目される顔であり政策や立法への提言力や世論形成力は当然ながら非常に大きい。政策関与については、ありとあらゆる手段を持っている。
 

こうした大統領の仕事には、大統領が毎年一回三大教書(一般教書、予算教書、大統領経済報告)を発表し、それを議会提出することが含まれる。立法権限そのものは、アメリカ憲法第一条第一節により連邦議会に与えられているため、大統領は三大教書を議会に提出し、法整備など政策実現への協力を求めるという形をとる。
 

一般教書演説の日は、上下両院議員、閣僚及び最高裁判所判事も下院本会議場に姿を現しテレビなどを通じてプライムタイムに全国で生放送される。立法や予算について言及することで、今後1年の政策目標を表明し、説明と同時に支援を訴える機会になる。これに加えて、大統領は議会が通過させた法案に対して拒否権を行使することができる。これも大きな権限である。
 
 
 
 

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大統領令については、憲法に定義や運用の規定を定めた記載が存在しない。合衆国憲法が大統領がどのように行政府内でコミュニケーションを取らなければならないとか、あるいは大統領が取るべき政策手段に関して、いっさい条項を設けていない。その根拠は憲法の解釈に求めることになる。
 

大統領令はいわば、暗黙の法的権限ということになる。具体的にはどこにも明記されていないが、憲法の条文を解釈することによって、大統領は議会の法的措置に頼ることなく大統領令や大統領覚書などを発することができるのである。
 

トランプ大統領が就任直後から連発した大統領令は、世界中で注目されたが、それは入国規制や、メキシコとの間に建設する壁、そして貿易に関するものなど、世界各国が注視するアジェンダが盛り込まれていたことに起因する。入国規制に関しては司法省が一時差し止めを命じて、さまざまな混乱が世界に報じられた。
 

大統領令は既存の法律、あるいは憲法に抵触してはならいものであり、既存の法律に抵触する場合は、差し止められる。既存の法律の解釈に異論が出つづけて収拾がつかないなら、最高裁判所での憲法判断に訴えることになる。
 
 
 
 

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大統領がもつ権限に対する議会によるチェックは、主に以下の8つに分類される。
 
①議会は大統領によって推奨された法案などのすべて、あるいは一部を破棄したり変更したりできる権限を有する。
 
②議会は大統領が発した拒否権を覆すことができる。上下両院でそれぞれ3分の2の賛成を必要とする。
 
③アメリカ議会の最大の権力および政策実行力の源泉は財布の力である。大統領が政策実現のために必要とする歳出は、例外なく、議会の立法プロセスを経て定められた権限の範囲内で歳出する必要がある。
 
④アメリカ合衆国憲法は大統領が軍隊の最高司令官であると明記しているが、宣戦布告をするには議会の承認が必要になる。
 
⑤上院は、大統領率いる行政府が交渉した国際条約を批准する権限を持つ。通商交渉の場合は、大統領にファスト・トラックの権限を与えることができる。
 
⑥上院は、大統領の政治指名職を承認する権限を有する。これは閣僚や行政府長官の承認のみならず、大統領が指名する最高裁などの連邦判事、全権大使など、多くの要職を含む。
 
⑦さらに議会には、調査権限が与えられている。通常は委員会を通じて大統領を含めた行政府の活動および政策を対象に、いかなる事案についても調査を行うことができる。
 
⑧議会は、大統領の弾劾裁判を行って大統領を罷免する権限を有する。
 
 
 
 

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三権の分立によって権力の集中をさけ、それぞれがチェック・アンド・バランスの関係をつくるように設計されているのがアメリカの統治機構である。なかでもアメリカ連邦議会には、日本の国会に比べて大きな権限と責務が合衆国憲法によって付与されている。
 

日本では内閣法第5条に「内閣総理大臣は、内閣を代表して内閣提出の法律案、予算その他の議案を国会に提出する」ことも記載されているため、内閣が国会に法案を提出できるようになっている。内閣提出法案は日本ではむしろ主流である。
 

それに対して、アメリカで法案を議会へ提出する権限があるのは、連邦議員だけである。政権、つまり行政府について規定した第2条には、大統領が行政府を代表して法案を提出できる旨の記述がまったくない。これが日本の議会制民主主義とアメリアの大統領制の違いである。
 

留意しておきたいのは、合衆国憲法は大統領が「自ら必要かつ適切と考える施策について議会に審議を勧告する」としているので、大統領は議会リーダーを通して法案の提出も行うが、当然のことながら憲法上、大統領の案を法案として提出する義務は議会にはない。