『ハーバードが私に教えてくれたこと』 林英恵 あさ出版 (2012年9月)
ハーバードの教授たちは学生たちに知識と知恵を与え、難題や困難を与え、同時に励まし、元気づける。著者は学校が楽しくてたまらないのは「学校が自信と勇気を養う場になっている」からだという。ハーバードは知識だけでなく、人間性と経験を磨き、さらに社会に踏み出す勇気も与えてくれる場所でもあるのだ。日本の大学とは、どうも違う場所のようだ。
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ハーバードの入学式は面白い。日本の厳粛な入学式とは違い、ハーバードはのそれは、気取らない、学生参加型の入学式だ。(略)和やかな雰囲気の中、コウ教授が、ひつつだけ心に留めておいて欲しいことがあると言った。
「これから君たちは、短い人だと1年、長い人だと5~6年という時間をこの学校で過ごすことになる。授業を受け、教授と話し、友人と議論を繰り返すうちに、どんな人も、やりたいことが変わっていく。大事なのはその変化を恐れないこと。変わるということは、君たちが大学を有効活用した証だと思ってほしい」。
変わることを前提で話すコウ教授の真意は、入学式の時点では、私たちにはわからなかった。でも、その後の授業の中で新しい刺激を受ければ受けるほど、教授の「変わっていい」というメッセージに救われることになった。それは、私自身も含めた学生たちの戸惑いを肯定しくれる言葉だった。
人は生きていく限り、常に変化し続ける。実際、新しいことに関心が向き、別の学部や学校に進んだ友達もいた。でも、それでいいのだと思う。自分と向き合い、何かを必死にやってみる。その上で、どんな変化が起きようと恐れない。それこそがハーバードが私たちに望んでいることなのだから。
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「自分の経歴を卑下したり、隠したりする必要なんて、まったくない。自分の人生においては自分こそが主人公なのだから、胸を張って生きなさい」。これは、私が渡米して間もない頃、自分の経歴を話したときに、ある教授からかけてもらった言葉である。
私は、フリーターであったこと、自立していなかったことに負い目を感じていた。医療従事者や政府関係者が多いハーバードで、その何れにも属さず、医学のバックグラウンドもない私は、またもや自分が少数派になってしまったと感じていたのだ。
しかし、教授は、そんな私が歩いてきた道のりを無条件で肯定してくれた。自分の経歴に自信を持つことは、すなわち自分を大切に扱うということだ。自分を大切に扱うということは、他の人を大切にすることでもある。
なぜなら、自分の価値を認めることができれば、まわりの人たちが大切にしているもの、仕事、家族、夢、趣味など、も大事にできるからだ。その意味で、自分に自信を持つことは他者を大切にするための第一歩なのだと思う。
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周囲の視線、社会の期待、年齢によるプレッシャー、どれも目に見えないけれど、自分の心の声を全否定しかねない力を持っている。人と違うこと、少数派であることは、全然悪いことじゃない。大切なことは、他人の物差しではなく、自分の物差しをもって人生を歩くことなのだ。
二つのキーワードを掛け合わせる理由は、それが個人のユニークさをつくり、強みをさらに尖らせてくれるからだ。コミュニケーションの専門家といえば幅広いが「保険医療分野に特化したコミュニケーションのプロ」と言えば、それだけでユニークな存在になる。
「大学院は大学とは違う。専門的な学びを深めるための場所だ。この人は何を専門としていて、どんな問題を解決してくれるのだろう。そんな期待をこめて君たちを見るようになる。自分がそういう人生のステージにいることを忘れてはならないよ」。
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繰り返し耳にしていることや口にしていることが、現実の意識や行動に影響を与えていく。まさしく「言霊」の力だ。この学校が楽しくて仕方ない理由のひとつは、授業が単に知識や技術を学ぶ場ではなく、このように自信と勇気を養う場になっているからなのだ。
自らの言葉の重みと共に生きる彼らの姿を見ていると、私はむしろ「有言実行」という行為の潔さに魅力を感じるようになった。すべての物事は、自分が「言葉」にした瞬間から、実現に向かって動き始めるのだ。
「話し合いのために、日本からわざわざ渡米してきた」という行動が、言葉に何十倍の重みを持たせたようだ。それは熱意と真剣さというよいう形で相手に伝わったらしい。
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どこで働くかではなく、何をしたいかという一段上の志を持つべきだ。
ときには自分で自分のことを否定しそうになる。そんなとき必要なのは「あなたが持っているもの、あなたが生きてきた過去は、全てが弱みではなく、強みなんだ」と言いきってくれる人。弱いところをどう補強できるかを、一緒に考えてくれるひとだろう。
学生たちは、いつか学校という枠を出て、外の社会に出ていかなければならない。それは世界を相手にするということだ。そのときのために、ハーバードでは、一枚の書類の「完璧さ」を目指して、毎日厳しい練習試合が繰り広げられている。
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「今回、君たちはムダな損失を出してしまった。(中略)でも、それは、他の売上などでカバーできるかもしれない。その一方で君が考えなければいけないのは、同僚を叱ったことだ。
もし、彼女の気持ちに値段があるとしたら、彼女を必要以上にがっかりさせ、落ち込ませることで、もっと深刻な金銭的な損失を引き起こすかもしれない。これをエモーショナルコストという」。
営業活動もしてないのに、次々に仕事が舞い込んでくる人は、お金に換算できない付加価値を仕事に付けていた。それは安心であったり、笑顔であったり、居心地の良さであったり、元気であったり様々だ。求められた仕事にどれだけ自分の「色」を加えられるか。
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助け合いながらひとつの課題に立ち向かった者には、当事者だけがわかる連帯感のようなものがある。もしかしたら「難しすぎる宿題」は、学生たちに助け合いの文化を形成させ、チームワークの大切さを悟らせるためではないのか。
常にまわりに感謝するという文化は、難しいことを円滑に進めるための鍵となっている。「素晴らしい意見を出してくれてありがとう」「私が気づかなかったポイントを教えてくれてありがとう」。
私は素早く動くことでいつもチャンスをつかんでいるクラスメートに、なぜ行動が速いのか、理由を尋ねてみたことがある。彼は自分はせっかちだから速く行動するだけだと謙遜しながらも「速さは熱心さの表れだと思うから」と語っていた。
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嫌いな理由が100個あり、それを一つ一つつぶしていったとしても、たった一つの「何となく好き」にはかなわない。「何となく」は決断するときの、最強の根拠なのである。
教授は悲しいことや、悔しいことが起きたときには今後の自分への反省として、うれしいことがあったときには、研究室全体の成功として受けとめている。
一見のどかに見える雰囲気とは裏腹に、そこに集まる人の持つ情熱や行動力は、マグマのように熱い。「世界を変えたい」という夢を持った若者と、そんな若者に世界一の教育を授けたいという教授陣との出会いと勝負の場だからかもしれない。