ブッダの 真理のことば 感興のことば

『ブッダの 真理のことば 感興のことば』 中村元 岩波書店 1991年
 

ブッダの言葉が記された原始仏典のうち、ダンマパダは「真理のことば」、ウダーナヴァルガは「感興(かんきょう/興味がわくこと)のことば」、スッタニパータは「経の集大成」と訳され、そのなかで『ダンマパダ』は言文が一番簡単明瞭で、わかりやすいといわれている。
 
ニルヴァーナ=涅槃=悟りの境地=無の世界=生死を超えた世界。苦しみを捨てるために無になる。無になるためには、捨てる苦しみ、修行の苦しみがまた伴う。『ダンマパダ』の423の詩句には、その覚悟を促し、励ますための、強い言葉、叱る言葉、怒りの言葉が並ぶ。
 
 

 
 
 
 

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<第五章 愚かな人>

61 旅に出て、もし自分よりもすぐれた者か、または自分に等しい者に出会わなかったら、むしろきっぱりと独りで行け。愚かな者を道伴(づ)れにしてはなら。

62 「わたしには子がある。わたしには財がある」と思って愚かな者は悩む。しかしすでに自己が自分のものではない。ましてどうして子が自分のものであろうか。どうして財が自分のものであろうか。

71 悪事をしても、その業(カルマ)は、しぼり立ての牛乳のように、すぐに固まることはない。(徐々に固まって熟する。)その業は、灰に覆われた火のように、(徐々に)燃えて悩ましながら、愚者につきまとう。
 
 
 
 

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<第十二章 自己>

157 もしも人が自己を愛しいものと知るならば、自己をよく守れ。賢い人は、夜の三つの区分のうちの一つだけでも、つつしんで目ざめておれ。

訳注 古代インドでは夜に三つの時分があると考えていた。それと同様に人生にも三つの時期がある。第一の時期は遊戯に夢中になっている。第二の時期は妻子を養っている。第三の最後の時期だけは少なくとも善をなすべきであるという。この三つはほぼ少年期、壮年期、老年期に分けられる。
 

166 たとい他人にとっていかに大事であろうとも、他人の目的のために自分のつとめをすて去ってはならぬ。自分の目的を熟知して、自分のつとめに専心せよ。
 
 
 
 

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<第十三章 世の中>

179 大地に唯一の支配者となるよりも、天に至るよりも、全世界の主権者となるよりも、聖者の第一階梯(預流果、よるか)のほうがすぐれている。
 

※悟りは、四沙門果(修行者が得る四つの結果)と言われるように、四段階あります。預流果(よるか)、一来果(いちらいか)、不還果(ふげんか)の順に一つずつ段階を進み、阿羅漢果(あらかんか)で完成します。

※最初の悟り・預流果では、細かく分ければ千五百もあると言われる煩悩の中、たった三つ(三結)だけが消えています。でもそれは、悟りを決定付ける三つです。(略)不完全でも、預流果で既に悟りです。

※上2行は、初期仏教研究(翻訳と学習資料)、より引用させて頂きました。
http://www.j-theravada.net/sakhi/pali_sutta2.html 
 
 
 
 

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<第十四章 ブッダ>

179 ブッダの勝利は敗れることがない。この世においては何人も、かれの勝利には達し得ない。ブッダの境地はひろくて涯(はて)しがない。足跡をもたないかれを、いかなる道によって誘い得るであろうか?
 
訳注 足跡を持たない。仏の活動は自在無礙(じざいむげ)であり、凡夫がうかがい知ることができない、との意。
 

180 誘うためには網のようにからみつき執著(しゅうじゃく)をなる妄執は、かれにはどこにも存在しない。ブッダの境地はひろくて涯(はて)しがない。足跡をもたないかれを、いかなる道によって誘い得るであろうか?
 
 
 
 

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<第十五章 楽しみ>

197 怨みをいだいている人々のあいだにあって怨むこと無く、われらは大いに楽しく生きよう。怨みを持っている人々のあいだにあって怨むこと無く、われらは暮していこう。
 

198 悩める人々のあいだにあって、悩み無く、大いに楽しく生きよう。悩める人々のあいだにあって、悩み無く暮そう。
 

199 貪(むさぼ)っている人々のあいだにあって、患(わずら)い無く、大いに楽しく生きよう。貪っている人々のあいだにあって、貪らないで暮そう。
 
 
 
 

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<第十七章 怒り>

221 怒りを捨てよ。慢心を除き去れ。いかなる束縛をも超越せよ。名称と形態とにこだわらず、無一物となった者は、苦悩に追われることがない。
「名称と形態」古ウパニシャッドにおいては現象界のすべてを意味する。
 

223 怒らないことによって怒りにうち勝て。善いことによって悪いことにうち勝て。分かち合うことによって物惜しみにうち勝て。真実によって虚言の人にうち勝て。
 

227 アトゥラよ、これは昔にも言うことであり、いまに始まることでもない。沈黙している者も非難され、多く語る者も非難され、すこしく語る者も非難される。世に非難されない者はいない。(釈尊がアトゥラに語った詩)。
 

232 ことばがむらむらするのを、まもり落ち着けよ。ことばについて慎んでおれ。語(ことば)による悪い行いを捨てて、語(ことば)によって善行を行え。
 
 
 
 

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<第二〇章 道>

273 もろもろの道のうちでは<八つの部分よりなる正しい道>が最もすぐれている。もろもろの真理のうちでは<四つの句>がもっともすぐれている。人々のうちでは<眼ある人>(ブッタ)が最もすぐれている。

訳注 「八正道」。正しい見解(正見)、正しい思い(正思)、正しい言葉(正言)、正しいおこない(正業)、正しい生活(正命)、正しい努力(正精進)、正しい注意(正念)、正しい精神統一(正定)、この八つが人を解脱(ニルヴァーナ)に導く。

訳注 四つの真理。
苦しみの真理 この世は苦しみであるということ。
苦しみのなりたちの真理 その苦しみの原因は煩悩・妄執であること。
苦しみの原因の終滅という真理 無常の世を超え、執着を断つことが苦しみを滅したさとりの境地せあるということ。
さとりに導く実践という真理 すなわち理想の境地に至るためには、八正道の正しい修行方法によるべきであるということ。
 
 
 
 
 
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<第二一章 さまざまなこと>

296 ゴータマ(ブッダ)の弟子は、いつもよく覚醒していて、昼も夜も常に仏を念じている。
 

299 ゴータマの弟子は、いつもよく覚醒していて、昼も夜も常に身体(の真相)を念じている。
 

301 ゴータマの弟子は、いつもよく覚醒していて、その心は昼も夜も瞑想を楽しんでいる。
 

305 ひとり坐し、ひとり臥し、ひとり歩み、なおざりになることなく、わが身をととのえて、林のなかでひとり楽しめ。
 
 
 
 

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<第二六章 バラモン>

383 バラモンよ、流れを断て。勇敢であれ。諸の欲望を去れ。諸の現実の消滅を知って、作られざるもの(ニルヴァーナ)を知るものであれ。

訳注 バラモン。ヴェーダの宗教おける司祭者のことで、バラモンはインドのカースト制においては最高のカースト(司教)であると考えられていた。この章に説かれる「バラモン」とは煩悩を去り、罪悪をなさぬ人である。最初期のジャイナ教聖典でも理想の修行者をバラモンと呼んでいる。
 

423 前世の生涯を知り、また天上と地獄を見、生存を滅ぼしつくすに至って、直観智を完成した聖者、完成すべきことをすべて完成した人、かれをわれは<バラモン>と呼ぶ。