プリンシプルのない日本(白洲次郎)

『プリンシプルのない日本』 白洲次郎 2001年5月 株式会社メディア総合研究所
 


 
 
 

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僕は度々書いたが、彼(次郎)は戦前日米戦争が不可避だと予言していた。その時は蒋介石は相手にせずと日本が言っていた頃である。そして日本人の大部分が米国と戦うなどとは思ってもみぬ頃である。そして必ず日本が敗北し、敗北の経験のない日本人は飽くまで抗戦して、東京は焼野原になるだろうともいった。
 

そこで彼は地の利を研究して現在の鶴川村に戦前の疎開を敢行したのである。負けこむと食糧難に陥ることも彼の予見で、百姓になって人知れず食料増産に心がけていた。
 

かかる彼を僕は非難し、攻撃したものだ。ところで僕は徴用されて戦線に追いやられている間に東京の我が家は全焼し、帰って来た時には、妻子は逗子の仮寓で、食うものもなく、B29におびえて暮らしていた。
 

次郎は逗子の家も焼かれるだろうからと、僕の一家を引きとるべく、納屋を改造して、戦争が済むまで明けて待っていてくれた。この不愛想な友人は不思議に人情に厚いのだ。英吉利の紳士道か知らぬが、素朴な人情家であることは確かで、また人情には甚だもろいところがあることも事実だ。
 
今 日出海
 
 
 
 

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この頃、英国を斜陽の国のようにいう人があるけれども、昔のような大英帝国になることはともかくとして、いわゆる英国的な人間がいる間は、あの国は崩れないと思う。英国にいて一番気持ちの好いのは、身分に関係なくお互いに人間的な尊敬を払うことだ。
 

例えば、前には英国の貴族は、その領地の中に村が一つ、二つあるのはよくあって、その田舎道を旧城主の子どもが歩いている。向こうから小作人のおじいさんが歩いてくる。そういう場合の子ども態度は実に立派だ。ちゃんとミスターづけで、「グッド・モーニング・ミスターだれそれ」とやる。
 

日本ではなんとか名のある人の家へ行くと、そこの子供が女中や運転手に威張り散らしている。これは第一に親が悪いと僕は思う。英国では会社の社長に給仕がお茶を持ってきたら、必ず「ありがとう」という。当たり前のことだが気持ちがいい。日本でも親がもっとこういうことを教えなければいけない。これが民主教育というものだと思う。
 
 
 
 

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僕はこの五月一日から電力会社に関係することになった(東北電力会長に就任)のだけれど、電気料金の値上げをしようというと、一般の人が反対する。これは今までの電気業者の経営の方法に対して、消費者が持っていた不満が一ぺんに出てきた。これは無理もないことである。
 

家庭用電気に関しては電気事業は当然公益事業であって、単に営利的の立場から決めるべきでない。だが、大口の方は、電気会社と需要者の単なる商取引で値段を決めたらいい。そして、電気会社が終始高い料金を請求することが続くようなら、需要者は自家発電を考えたらいいのだ。
 

この間も、東北電力の新潟の支店に行って話をしたのだが、今までは一般の家庭の電気料金について、一ケ月二ケ月払わないとすぐ電気を切ってしまう。ところが大口の、一ケ月に百万円二百万円払うようなお得意の方は、一ケ月二ケ月遅れても黙っているのである。これでは逆だ。
 

家庭の電灯料は、そのうちに払うから少し待っておるべきだ。どうしても不払いに対して切らなくちゃおさまらないなら、百万円二百万円一月に払わないという所のを切ればよい。向こうは商売なのだから、何とか工面して払うだろう。どうも今の電気会社は、電灯をつけてる家庭が一番大事なのだという感覚が足りない。
 
「文藝春秋臨時増刊・人物読本」1951年2月
 
 
 
 

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これは政治の方の人によくあるのだが、いわゆるイデオロギーとか思想とかいうものが、日本の政治家たちには、普通に日常話してることと全然関係がないということがいえる。イデオロギーはあくまで自分の思想というものが出発点となってできあがったものの筈だ。
 

或る一つの政治イデアロギーというものを持っている人と話をするとする。それが資本主義であろうが、社会主義であろうが、何でもいい。ところが個人的に話しているときの、その人の政治思想というものと、演説をしたり、物を書いたりするときとは違っているのだ。
 

彼らにとってイデオロギーとは単なる道具なのだ。自分では思想だと思っている。だからはっきりいえば、彼らには思想がないのだ。あなたの思想はこうで、それを推していくとこうじゃないか、だからここで落ちつこう、ここまで認めるがここまでは譲れないというような議論はあり得ない。
 

「文藝春秋」1951年9月号
 
 
 
 

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或るアメリカの会社が日本へ来て、日本の或る会社と仕事を始めるっていうんだね。僕には何にも関係ないんだけど、アメリカ人の言うことはよく判るんだ。現存してる日本の会社とやるのは厭だ。その人達はいいけど、その会社は厭だ、新しい会社を作って一緒にやろう、というんだね。
 

そうすると日本側の人は、古い会社がどうしていけないんだ、新しい会社を作っても同じじゃないか、というんだ。アメリカ人は、それは違う、古い会社だと今までにどんな借金があるかも判らん、だから厭だ、という。日本側は今までに金銭的な契約云々なんて引っかかりは何もない、というんだな。
 

日本人側のいうことも正確なんだよ。ところが外人は契約的なひっかかりはないかも判らん、だけど、いままで何年かやって来た会社なら、そういうもんがあるかも判らんという可能性はある、という。日本側は、ない、というんだな。
 

ある、ないを言ってるんじゃなくて、ある可能性があるというのが原則だから厭だ、というんだ。そこがいつも話が食い違う所なんだ。考え方の違いだよ。この前の日米交渉の時でも、日本人はそういう原則的な考え方を、ちっともしなかった。
 
 
 
 

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プリンシプルは何と訳していいか知らない。原則とでもいうのか。日本もますます国際社会の一員となり、我々もますます外国人との接触が多くなる。西洋人とつき合うには、すべての言動にプリンシプルがはっきりしていることは絶対に必要である。
 

戦争が始まった原因だってそうだ。みんな軍人が悪いから戦争が始まったっていうね。僕は軍人も悪いだろうけど、ほかの人にもずいぶん責任があると思うよ。アメリカの生産能力を本当に知ってる人が日本の中枢に一人、一人じゃ弱いだろうけど三人おったら、戦争は起こらなかったよ。
 

アメリカへ行った日本技術者がアメリカから学ぶことはありません、なんて報告すると、日本は世界の水準に達してる、われわれも偉いもんだと思って喜ぶんだね。ほんとうのことを報告すると怒られるんだよ。
 
「文藝春秋」1950年8月号
 
 
 
 

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連合国側は、日本側からはとうてい満足できる新憲法案が自主的に出てくるはずがないと予期していたのか、それとも初めからの計画であったか知るよしもないが、日本政府から提出された松本試案などは問題にならないとボツにされ、英文で書かれていた「新憲法」の案文なるものを手渡された。
 

こんなものを訳して日本政府案として発表したら、国内的にどんな仕打ちになるかわからんと考えたのかどうかは知らないが、大抵の政府高官はこの問題から姿を消してしまった。
 

まあ、正直に言うと私に関する限り止むを得ず外務省の翻訳官(そんな官職があったかどうかは今だに知らない)二人を連れてGHQに乗り込み、GHQ内に一室を与えられてこの英文和訳との取り組みが始まったのだ。
 

原文に天皇は国家のシンボルであると書いてあった。翻訳官の一人に「シンボルって何というのや」と聞かれたから、私が彼のそばにあった英和辞典を引いて、この字引には「象徴」と書いてある、と言ったのが現在の憲法に「象徴」という字が使ってある所以である。
 
「諸君」1969年10月号