『ポスト・ヒューマン誕生』レイ・カーツワイル 井上健:監訳 2007年1月 日本放送出版協会
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私はよく、アーサー・C・クラークの第三の法則を思い起こす。「十分に進んだテクノロジーは、魔法と区別がつかない」というものだ。J・K・ローリングのハリーポッターをこうした観点から考えてみよう。
ハリーの「魔法」の実質的に全ては、本書で説明するテクノロジーを使えば現実のものとなる。クィディッチをしたり、人や物を他の形に変えたりということは、完全没入型のヴァーチャル・リアリティ環境では可能だし、ナノスケールの装置を使えば、現実においても実現できる。
テクノロジーで呪文に相当するものが公式やアルゴリズムである。正しい順序になっているからこそ、コンピューターが、本を読み上げたり、音声を理解したり、心臓発作を予告したり、株の売買の好機を予測したりする。呪文が間違っていれば、魔法の力が一挙に弱まるか、まったく効かなくなってしまう。
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特異点(シンギュラリティ)とは何か。テクノロジーが急激に変化し、それにより甚大な影響がもたらされ、人間の生活が後戻りできないほどに変容してしまうような、来たるべき未来のことだ。ビジネス・モデルや死をも含めた人間のライフサイクルといった、人生の意味を考えるうえでよりどころとしている概念が、このとき、すっかり変容してしまう。
迫りくる特異点という概念の根本には、次のような基本的な考え方がある。人間が生み出したテクノロジーの変化の速度は加速していて、その威力は、指数関数的な速度で拡大している、というものだ。最初は目に見えないほどなのに、そのうち予期しなかったほど激しく、爆発的に成長する。
特異点とは、われわれの生物としての思考と存在が、みずからの作りだしたテクノロジーと融合する臨界点であり、その世界は、依然として人間的ではあっても生物としての基盤を超越している。特異点以降の世界では、人間と機械、現実とヴァーチャル・リアリティとの間に区別が存在しない。
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チェスの世界チャンピオン、ガルリ・カスパロフは1992年にコンピューターにチェスで負けるはずがない、と一笑に付した。ところが、コンピューターの性能は毎年二倍になっていき、わずか5年後にカスパロフを打ち負かした。
「超人的な知能の一号機が作られ、今度はみずからを対象にそれを改良し始めたら、根本的な不連続的発展が起こるだろう。それがどのようなものか、わたしにはそもそも予測すらできないのだが。-ミハエル・アニシモフ」
私の(技術的な長期予想)モデルではパラダイム・シフトが起こる確率が10年ごとに二倍になっている。20世紀の100年間に達成されたことは、西暦2000年の進捗率に換算すると20年間で達成されたことに相当する。この先、この西暦2000年の進捗率による20年分の進歩をたったの14年でなしとげ、その次の20年分の進捗を7年でやってのけることになる。
別の言い方をすれば、21世紀では、100年分のテクノロジーの進歩を経験するのでなく、およそ2万年分の進歩をとげるのだ(これも今日の進捗率で計算)。もしくは、20世紀で達成された分の1000倍の発展をとげるともいえる。
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進化は間接的に作用する。つまり、それぞれのエポック(段階)では、その前のエポックで作られた情報処理手法を用いて、次なるエポックを生みだす。生物およびテクノロジーの進化の歴史を六つのエポックに分けて概念化した。特異点はエポック5で始まり、エポック6において、地球から宇宙全体に広がる。
エポック1 物理と化学
ビッグ・バンから数十万年後、陽子と中性子からなる核の周りの軌道に電子が捉えられ、原子が形成され始めた。数百万年後、原子が集まって、分子と呼ばれる比較的安定した構造を作るようになり、化学的過程が始まった。
全ての元素の中でも、もっとも用途が広いのが炭素であることがわかった。炭素は、四方向で結合することができ(他の元素ではたいてい一から三方向まで)、複雑で情報量の豊かな三次元構造を作る。
エポック2 生命とDNA
数十億年前、炭素ベースの化合物はますます複雑化し、分子の複雑な集合体が自己複製機構を形成するまでになり、生命が誕生した。ついには、生物組織が、さらに大きな分子の集合について記述する情報を保存するための、正確なデジタルの仕組み(DNA)を進化させた。
エポック3 脳
DNA主導の進化によって、自身の感覚器官を使って情報を検知し、自身の脳と神経系に情報を蓄えることのできる有機体が作りだされた。まず、初期の動物がパターンを認識できる能力をもつようになった。
最終的には、われわれ人類が、経験した世界を頭の中で抽象的にモデル化し、そうしたモデルが何を意味しているのかを理性的に考える能力を進化させた。人間には、世界を自分の中で再設計し、そこで得られた考えを行動に移す、という力があるのだ。
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エポック4 テクノロジー
理性的で抽象的な思考と、他の指と向かい合わせになった親指(親指の回転軸が移動して、周囲の環境をより正確に操作できるようになった)を組み合わせ、人類は、間接的な進化の水準に達した。すなわち、テクノロジーが人間の手で作られた。
まずは、単純な機械に始まり、精密な自動装置へと発展し、ついには複雑な計算通信装置ができ、テクノロジー自体が、情報の精巧なパターンを感知し、保存、評価することができるようになった。
エポック5 人間のテクノロジーと知性が融合する
これから数十年先、人間の脳に蓄積された大量の知識と、人間が作りだしたテクノロジーが持ついっそう優れた能力と、その進化速度、、知識を共有する力とが融合して、特異点に到達するのだ。100兆の極端に遅い結合(シナプス)しかない人間の脳の限界を、人間と機械が統合された文明によって超越することができる。
エポック6 宇宙が覚醒する
特異点の到来後、人間の脳という生物学的な起源をもつ知能と、人間が発明したテクノロジーという起源をもつ知能が、宇宙の中にある物質とエネルギーに飽和する。知能は物質とエネルギーを再構成し、コンピューティングの最適なレベルを実現し、地球を離れ宇宙へ、外へと向かうことで、この段階に到達する。
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あるシステムの設計があり、100万ビットのデータのデータファイルで記述されている。その設計は100万ビットの複雑さがあると言える。ところがその100万ビットは1000ビットからなるパターンが1000回くり返されたものだ、気づいたとする。
反復されたパターンを取り除けば、設計の全体を1000ビットと少しで表現することができる。つまり、ファイルの大きさを1000分の一に縮小できる。
広く使われている圧縮技術でも、情報の冗長性を見つけるという同じような手法が用いられている。ここでひとつ、私の持っているファイルが例の「π」を100万ビットの精度で記述したものだとしょう。データ圧縮プログラムではこの配列を認識できす、100万ビットの情報は圧縮されない。
しかし、ファイル(又はファイルの一部分)がじつはπを表していることが明らかになれば、ファイルを「100万ビットの精度を持つπ」のように、とてもコンパクトに表現することが簡単にできる。情報の配列をもっとコンパクトに表す方法を見落としていないかどうか。
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21世紀前半は三つの革命が同時に起きた時代であったといずれ、語られることになるだろう。その三つとは、遺伝学(G)、ナノテクノロジー(N)、ロボット工学(R)である。これらの革命は、先に述べたエポック5、すなわち特異点の黎明を告げるものだ。
「G(遺伝学)」革命はその初期段階にある。われわれは生命の基盤となっている情報プロセスを理解して人類の生命活動プログラムを作り直し、事実上全ての病を撲滅し、人間の可能性を飛躍的に広げ、寿命を劇的に伸ばそうとしているのだ。
「N(ナノテクノロジー)」革命によって、この肉体と脳、そしてわれわれと相互作用している世界を――分子ひとつひとつのレベルで――再設計、再構築できるようになり、人間は生物の限界をはるかに超越できるだろう。
「R(ロボット工学)」はもっとも力強い革命である。人間並みのロボットが生まれようとしており、その知能は、人間の知能をモデルとしながら、それよりはるかに優れている。知能とは全宇宙でもっとも強い「力」であるため、R革命はいちばん重要な変革となる。
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2030年代には、1000ドルで約10^17(10の17乗)CPS(count per second)のコンピューティング(機械計算)が買えるだろう。今日でも年間1000億ドル以上をコンピューティングに使っており、2030年には控えめにみても1兆ドルに増えるだろう。
この2030年代初めのコンピューティングの状況は特異点ではない。しかし、2040年代の中盤には1000ドルで買えるコンピューティングは10^26CPSに到達し、1年間に(1兆ドルで)創出される知能は、今日の人間の全ての知能よりも約10億倍も強力になる。
ここまでくると、確かに抜本的な変化が起きる。こうした理由から、特異点--人間の能力が根底から覆り変容するとき--は、2045年に到来するとわたしは考えている。