『マネジメント』基本と原則(エッセンシャル版)P.F.ドラッカー 訳:上田惇生 2001年11月
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あらゆる組織において、共通のものの見方、理解、方向づけ、努力を実現するには「われわれの事業は何か。何であるべきか」を定義することが不可欠である。
市場の八割を占めることは気持ちのよいことかもしれない。だが、100の八割は250の五割より小さい。供給者が複数のとき、一社では創造もできない市場や用途が発見され、開発される。市場において目指すべき地位は、最大でなく最適である。
企業は、社会と経済のなかに存在する被創造物である。社会や経済は、いかなる企業をも一夜にして消滅させる力を持つ。企業は、社会と経済が、その企業が有益かつ生産的な仕事をしているとみなす限りにおいて、その存在を許されているに過ぎない。
企業は、予測の基礎となる可能性そのものを変えなければならない。したがって、企業に未来を指向させるうえで、予測は役に立たない。最大の問題は、明日何ををすべきかではない。「不確実な明日のために今日何をなすべきか」である。
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戦略計画とは何か。それは、
①リスクを伴う企業家的な意志決定を行い、
②その実行に必要な活動を体系的に組織し、
③それらの活動の成果を期待したものと比較測定する、という連続したプロセスである。
あらゆるマネジャーに共通な仕事は五つである。
①目標を設定する。
②組織する。
③動機づけとコミュニケーションを図る。
④評価測定する。
⑤人材を開発する。
あらゆる種類の活動、製品、工程、市場について「もし今日これを行っていなかったとしても、改めてするか」を問わなければならない。答えが否なら「それではいかにして一日も早く止めるか」を問わなければならない。さらに「何を、いつ行うか」を問わなければならない。
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マネジャーは人を管理する能力、議長役や面接の能力を学ぶことはできる。管理体制、昇進制度、報酬制度を通じて人材開発に有効な方策を講ずることもできる。だがそれだけでは十分ではない。根本的な資質が必要である。真摯さである。
うまくいっている組織には、必ず一人は、手をとって助けもせず、人づきあいもよくないボスがいる。この種のボスは、とっつきにくく気難しく、わがままなくせに、しばし誰よりも多くの人を育てる。好かれている者よりも尊敬を集める。
一流の仕事をし、自らにも要求する。基準を高く定め、それを守ることを期待する。何が正しいかだけを考え、誰が正しいかを考えない。真摯さよりも知的な能力を評価したりしない。
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組織の目的は、凡人をして非凡なことを行わせることにある。天才に頼ることはできない。天才はまれである。あてにできない。凡人から強みを引き出し、他の者の助けとすることができるか否かが、組織の良否を決定する。
組織というものは、問題ではなく機会に目を向けることによって、その精神を高く維持することができる。組織は機会にエネルギーを集中するとき、興奮、挑戦、満足感に満ちる。問題は無視できない。だが、問題中心の組織は守りの組織である。
人は、優れているほど多くのまちがいをおかす。優れているほど新しいことを試みる。
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①強みよりも弱みに目を向ける者をマネジャーに任命してはならない。できないことに気づいても、できることに目のいかない者は、やがて組織の精神を低下させる。
②何が正しいかよりも、誰が正しいかに関心を持つ者をマネジャーに任命してはならない。仕事よりも人を重視することは、一種の堕落であり、やがては組織全体を堕落させる。
③真摯さよりも、頭の良さを重視する者をマネジャーに任命してはならない。そのような者は人として未熟であって、しかもその未熟さは通常なおらない。
④部下に脅威を感じる者を昇進させてはならない。そのような者は人間として弱い。
⑤自らの仕事に高い基準を設定しない者をマネジャーに任命してはならない。
いかに知識があり、聡明であって上手に仕事をこなしても、真摯さに欠けていては組織を破壊する。組織にとってもっとも重要な資源である人間を破壊する。組織の精神を損ない、業績を低下させる。
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グローバル企業が今日重大な存在となっているのも、それがこれらの教義(国家が人間組織の自然単位である。あらゆる組織が、政府からその存在の法的基盤と合法性を得なければならない)に挑戦しているからに他ならない。
グローバル企業とは、国境を、自らを規定するものとしてではなく、必然性のない制約の一つにすぎないものとして見る最初の没国家的な組織、すくなくとも最初の重要な現代組織である。
グローバル企業が、事業活動を行っている国において、その国の経済や市場を中心に考えかつ行動するということは、ナンセンスである。それはグローバル市場における資源の最適化というグローバル企業の論理の根底を否定することになる。
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需要の増大にもかかわらず収益が伸びないときには、工程、製品、流通チャネル、顧客ニーズを変えるイノベーションが大きな成果を生む。すでに発生していながら、その経済的な衝撃がまだ表れていない変化が、イノベーションの機会となる。
世界の動きを利用するのでなく、世界の動きそのものを変える予測不能なイノベーションがある。それらのイノベーションは起業家が何事かを起こそうとして試みるイノベーションである。それらこそ、真に重要なイノベーションである。
既存事業においては、いまいる場所から行こうとする場所へと仕事を組織する。これに対しイノベーションにおいては、行こうとする場所からいましなければならないことへと仕事を組織する。
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上司と知識労働者の関係は、かつての上司と部下の関係ではなく、指揮者と演奏者の関係に似ている。知識労働者を部下にもつ上司は、オーケストラの指揮者がチューバを演奏できないのと同じように、自らは部下の仕事を肩代わりすることができない。
知識労働者の動機づけは、ボランティアの動機付けと同じである。ボランティアは、まさに報酬を手にしないがゆえに、仕事そのものから満足を得なければならない。挑戦の機会が与えられなければならない。(略)成果を理解できなければならない。
これからは、人をマネジメントすることは、仕事をマネジメントすることを意味する。マーケティングの出発点は組織が何を望むかではない。「相手が何を望むか」「相手にとっての価値は何か」「目的は何か」「成果は何か」である。
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不適切な規模の会社には、肥大化した分野、活動、機能が必ずある。著しく努力を必要とし多額の費用も必要としながらも、成果をあげられない分野がある。他の分野でいかに利益を上げても、その分野がそれ以上を吸い取る。
長期にわたる高度の成長は不可能であり、不健全である。あまりに急速な成長は組織を脆弱化する。マネジメントを不可能にする。成長そのものを目標するのは間違いである。大きくなること自体に意味はない。よい企業になることが正しい目標である。成長そのものは虚栄でしかない。
マネジメントと起業家精神がコインの裏表であることは、そもそもの初めから認識してかかるべきだ。マネジメントを知らない起業家が成功し続けることはありえない。イノベーションを知らない経営陣が永続することもありえない。