一勝九敗(柳井正)

『一勝九敗』 柳井正 新潮社(2003年11月)
 
 

 
 
 
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ある日、大事な会社の通帳と実印を父から渡された。実印を預かった瞬間「もう後戻りできない。任せられたら、絶対に失敗できない。ここで頑張らねば」と腹を決めることができた。
 

自分で考えて、自分で行動する。これが商売の基本だと会得した。商売に不向きだと思っていた内気な少年が、やってみたら以外に「ぼくにもできそうだぞ」と思い初めていた。
 

1984年6月2日。行列は圧倒的な群集にふくれあがった。ぼくはラジオ局のインタビューに対し「申し訳ないが、今から並んでいただいても入れないかもしれないので、来ないで欲しい」と前代未聞の受け答えをすることになった。 
 
 
 
 

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カジュアルウェアで郊外店をやったら面白いかもしれないと漠然と思い初めていた。
 

アメリカの大学生協は、本屋やレコード店と同じようにすーっと入れて、欲しいものが見つからないときは気軽に出て行ける。こんな感じでカジュアルウェアの販売をやったらおもしろいと思った。
 

80年代初め、ブランド商品は十代の子供たちには高くて手が出ない。十代の子供たち向けに、流行に合った低価格のカジュアルウェアをセルフサービスで提供できないだろうか。
 
 
 
 

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1985年ユニクロ2号店を下関郊外にオープン。これが郊外型店舗の始まりである。ユニクロ郊外型店舗を出してみて分ったことが三つある。
 

一つ目は、カジュアルは年齢も性別も関係なく需要がある、ということ。二つ目は、トレンドものよりベーシックなものに大きな需要がある、ということ。
 

三つ目は、商店街の一角のテナントより、郊外型店のほうが「買おう」という目的を持ったお客様が来られるので買上げ率が高い、ということだった。
 
 
 
 

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社員を集めて宣言をした。社名を小郡商亊からファーストリテイリングに変更します。本格的にユニクロを全国にチェーン展開します。毎年三十店ずつ出店し、三年後には百店舗を超える、そこで株式公開を目指します。
 

失敗すれば会社をつぶすかも知れないが、いまが最大のチャンス。勝負するときには、実践あるのみ。これが当時の偽らざる心境だ。
 

経営者と商売人はどう違うのか。商売人は売ったり買ったりすること自体がすきな人。経営者とは、しっかりした目標を持ち、計画を立て、その企業を成長させ、収益を上げる人のことだ。
 
 
 
 

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一時期チェーン展開して一世を風靡したファッションメーカーがいくつかあったが、経営者不在で倒産した会社もある。良い商品を作ったうえで、それを全部売り切って利益を上げていこうという仕組みを作ることを怠った。
 

信用も実績もない会社は、悪い立地から出店していき、めげることなく付き合い、やがては良い立地を紹介してもらえるように実績と良い人間関係を作っていくしかない、と覚悟を決めた。
 

失敗は誰にとっても嫌なものだ。蓋をして葬り去りたい気持ちにもなるだろう。しかし、蓋をしたら最後、必ず同じ失敗を繰り返す。失敗には次につながる成功の芽が潜んでいる。
 
 
 
 

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一億円の商売と十億円の商売、百億円の商売は違う。古くからいる役員や社員も売上が一千億を超えたあたりから「もっと上を目指したいので、こういう考え方、やり方でやって欲しい」と要求すると、何かその人を追い詰めているような気がした。
 

直営300店舗を超えるあたりから、店舗で働く人たちの顔が見えなくなったと感じていた。ということはお客様の顔ということでもある。現場の状況が見えない。思っていたとおり一千億円の壁が立ちはだかっていた。
 

チェーン展開していく初期のころは、如何にローコストで出店し、どの店も同じプライスの商品が並び、同じサービスが受けられるようにするかに力点が置かれる。つまり「本部」にすべての「頭脳」がある。
 

98年6月オール・ベター・チェンジ(ABC)改革をスタートさせた。本部が偉いのでなく、現場こそが重要なのだ。すべての店舗に頭脳がある、商品を売らされるのでなく、商品にコミットし、自分で売る感覚を日常化する。
 
 
 
 

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フリースの大成功が保守的な傾向を生んだなか、そこを突破するには「何かに挑戦する」という新しいベクトルを持ち出す必要があった。それがユニクロのロンドン進出と中国進出だった。
 

もし今でも紳士服店を続けていたら、つぶれていたかもしれない。自分達で商品を作り始め、お客様にダイレクトに販売するカジュアルウェア企業に変えたことで、危機をくぐりぬけられたのではないか。
 

日本の未来を考えると、こんな大きなチャンスに満ちた時代はまたとない。終戦直後のように、目の前には大きな失敗による結果が広がっている。ぼくたちの可能性は無限にある。この時代に働けることに感謝している。