嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え

『嫌われる勇気』自己啓発の源流「アドラー」の教え 岸見一郎 古賀史健 2013年12月 日経トップリーダー
 


 
 
 

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青年 たしかに子供の目に映る世界はシンプルな姿をしています。しかし、大人になるにつれ、世界はその本性を現していきます。「お前はその程度の人間なのだ」という現実を嫌というほど見せつけられ、人生に待ち受けていたはずのあらゆる可能性が、”不可能性”へと反転する。誰がどう見ても(世界は)矛盾に満ちた混沌ではありませんか!
 

哲人 それは「世界」が複雑なのではなく、ひとえに「あなた」が世界を複雑なものにしているのです。人は誰しも、客観的な世界に住んでいるのではなく、自らが意味づけをほどこした世界に住んでいるのです。
 

いま、あなたの目には世界が複雑怪奇な混沌として映っている。しかし、あなた自身が変われば、世界はシンプルな姿を取り戻します。問題は世界がどうであるかではなく、あなたがどうであるか、なのです。
 

もしかするとあなたは、サングラス越しに世界を見ているのかもしれない。そこから見える世界が暗くなるのは当然です。だったら、暗い世界を嘆くのではなく、ただサングラスを外してしまえばいい。世界を直視することができるか。あなたにその”勇気”があるか、です。
 
 
 

 

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わたしの身長は155センチメートルです。アドラーもまたこれくらいの身長だったといいます。かつてわたしは、自分の身長に思い悩んでいました。もし人並みの身長があれば、せめて10センチでも身長が高ければ、何か変わるんじゃないか。
 

わたしは友人の「お前には人をくつろがせる能力があるんだ」という言葉にひとつの気づきを得ました。自分の身長も「人をくつろがせる」とか「他者を威圧しない」という観点から観ると、それなりの長所になり得るのだ、と。もちろん、これは主観的な解釈です。
 

自分の身長について長所と見るのか、短所と見るのか。(略)われわれは、客観的な事実を動かすことはできません。しかし主観的な解釈はいくらでも動かすことができる。そして、わたしたちは主観的な世界の住人である。
 
 
 
 

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アドラー心理学では、性格や気質のことを「ライフスタイル」という言葉で説明します。その人が世界をどう見ているか。また、自分のことをどう見ているのか。狭義的には性格とすることもできるし、もっと広くその人の世界観や人生観まで含んだ言葉です。
 

たとえば「私は悲観的な性格だ」と思い悩んでいる人がいたとします。その言葉を「わたしは悲観的な”世界観”を持っている」と言い換えてみる。問題は自分の性格ではなく、自分の持っている世界観なのだと考える。世界観であれば変容させることも可能でしょう。
 

アドラー心理学では、ライフスタイルは自ら選びとるものだと考えます。もしもライフスタイルが先天的に与えられたものではなく、自分で選んだものならば、再び自分で選び直すことも可能なはずです。すべてはあなたの一存にかかっています。
 
 
 
 

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あなたは変われないのではありません。人はいつでも、どんな環境に置かれていても変われます。あなたが変わらないでいるのは、自らに対して「変わらない」という決心を下しているからです。
 

新しいライフスタイルを選んでしまったら、新しい自分になにが起きるかもわからないし、目の前の出来事にどう対処すればいいのかもわかりません。未来が見通しづらくなるし、不安だらけに人生を送ることになる。つまり人は、このままのわたしでいることのほうが楽であり、安心であるのです。
 

ライフスタイルを変えようとするとき、われわれは大きな”勇気”を試されます。アドラー心理学は、勇気の心理学です。あなたが不幸なのは、過去や環境のせいではありません。能力が足りないものでもない。あなたには、ただ”勇気”が足りない。
 
 
 
 

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アドラー心理学では、他者からの承認を求めることを否定します。他者から承認される必要などありません。むしろ、承認を求めてはいけない。他者からの承認を求め、他者からの評価ばかりを気にしていると、最終的には他者の人生を生きることになります。
 

他者の課題に介入すること、他者の課題を抱え込んでしまうことは、自らの人生を重く苦しいものにしてしまいます。まずは「ここから先は自分の課題ではない」という境界線を知りましょう。そして、他者の課題は切り捨てる。それが人生の荷物を軽くし、人生をシンプルなものにする第一歩です。
 

あなたは他者の視線が気になっている。他者からの評価が気になっている。だからこそ他人の承認を求めてやまない。それではなぜ、他者の視線が気になるのか。あなたはまだ、課題の分離ができていない。本来は他者の課題であることまで「自分の課題」だと思い込んでいる。
 
 
 
 

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もしも他者が仲間だとしたら、仲間に囲まれて生きているとしたら、われわれはそこに自らの「居場所」を見出すことができるでしょう。このように、他者を仲間だと見なし、そこに「自分の居場所がある」と感じられることを「共同体感覚」といいます。
 

アドラーは自らの述べる共同体について、家庭や学校、職場、地域社会だけでなく、たとえば国家や人類を包括したすべてであり、時間軸においては過去から未来までも含まれ、さらには動植物や無生物までも含まれるとしています。
 

アドラー心理学では「すべての悩みは対人関係の悩みである」と考えます。不幸の源泉は対人関係にある。逆にいうと、幸福の源泉もまた対人関係にある、という話でもあります。そして共同体感覚とは、幸福な対人関係を考えるもっとも重要な指標なのです。
 
 
 
 

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ふたりの人間がいたら、そこに社会が生まれ、共同体が生まれる。共同体感覚を理解するには、まずは「わたしとあなた」を起点に、自己への執着(self interest)を他者への関心(social interest)に切り替えていくのです。
 

承認要求にとらわれている人は自己中心的です。あなたは他者によく思われたいからこそ、他者の視線を気にしている。それは他者への関心ではなく、自己への執着に他なりません。だからこそ「自己への執着」を「他者への関心」に切り替えなければならないのです。
 

あなたもわたしも世界の中心にいるわけではない。「この人は私に何を与えてくれるのか?」ではなく「わたしはこの人になにを与えられるか?」を考えなければならない。それが共同体へのコミットです。所属感とは与えられるものではなく、自らの手で獲得していくものです。
 
 
 
 

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