『挑戦 我がロマン』 鈴木敏文 2008年12月 株式会社新潮社
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私は仕事人生において、数多くの幸運に恵まれるが、運は特別な人間に訪れるものではなく、自分のやりたいことを何とか実現させたいと可能性に挑戦する人に味方するようにも思う。
販売や仕入れの経験をしなかったことは、結果として業界の常識にとらわれずに次々と業務の改革に着手できたことや、日本初のコンビニエンスストアーチェーンの立ち上げにつながっていく。人の運命は不思議なものだ。
あきらめずにいろいろな可能性を試せば、どこかで誰かの目にとまり、必ず賛同者は現れるものだ。
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セブン-イレブンへの一日の納品車両台数は70台にも上った。そこでメーカーが他社製品も混載する共同配送を提案した。これも業界の発想を破る素人発想だったようでメーカーから猛反発を食らう。
買い手市場の時代に入ったことを店舗での実験を通して実証し、この実験結果をもとに各メーカーに混載方式を納得してもらい、日本の流通史上初の牛乳の共同配送が1980年にスタートする。
セブン-イレブンの共同配送はその後、飛躍的に進化する。商品の特性に合わせて四段階の温度帯別に集約する共同配送センターを地域ごとに設置。納品車両は1日9台にまで削減される。
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アメリカ型のファストフードはそのままでは日本では成功しなかった。日本ならおにぎりやお弁当だが、まわりからは「そういうのは家でつくるのが常識だから売れるわけがない」と反対された。
おにぎりやお弁当は日本人の誰もが食べるもの。大きな潜在的な需要が見込まれる。良い材料を使い、徹底的に味を追求して、家庭でつくるものと差別化していけば必ず指示される。そう信じて反対論を説き伏せた。
現在(2007年)、セブン-イレブンの年間のおにぎり販売個数は十二億七千万個に上る。日本の全国民が年間に約十個買っている計算になる。
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徐々に売れ始めやがてピークを迎え、そこからだんだん売れ行きが落ちていく「富士山型」から、90年代、一気に売れてピークに達し、しばらくするとバタッと売れなくなる「茶筒型」へと変わった。さらにはピークの期間が短い「ペンシル型」になった。
2000年、流通業が自前の銀行をつくる前代未聞のプロジェクトがスタートする。「銀行が次々経営破綻していく中で新規参入しても絶対無理だ」「素人が銀行を始めても必ず失敗する」容赦ない声が浴びせられた。
ものごとには必ず、ある一定のレベルに達すると急速に需要や人気が高まる爆発点がある。セブン銀行も、ATMの設置台数が一定レベルに達したころから利用件数が急速に立ち上がり、採算ラインを突破した。
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「ハリケーン・スズキがまたやってきた」米サウスランド社(本家)再建のため渡米するたび、私はそう呼ばれた。ハリケーンのようにやって来ては壊していく。実際すべてを否定し、つくり直さななければならなかった。
私は現実を直視しない彼らに、会議の場でときに怒髪天を突くほど怒りをぶつけ、それを翻訳しきれない通訳の肩を叩き、あえて叱責する様を目の前で見せつけてまで、一切妥協しない姿勢を示した。
最大の問題は現場の店舗が商品発注を他人任せにしていたことだ。ベンダーがルートセールスで自社の都合で商品を並べていく。「発注こそ店の特権である」私は繰り返し唱え、アメリカでも単品管理を徹底させた。
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過去の延長ではなく、一歩先の未来からかえりみて何をすべきかを考え、挑戦する。これをブレークスルー思考と呼び、グループを挙げて取り組んでいる。
私は市場ニーズの変化を感じると、何らかの行動をとろうとする習性が身についている。何らかの変化が見えたら、これは何を意味するのか、何故変化が表れたのかと考える習慣が骨の髄まで染み込んでいる。
多くの人が妥協するところを妥協せず極めようとする行動が、そう簡単には手の届かない運を引きつける。その連続だったように思う。