福岡市を経営する(高島宗一郎)

『福岡市を経営する』 高島宗一郎 ダイヤモンド社 2018年12月
 
2016年福岡市の中心部、博多駅近くの大通りの交差点に直径30メールの巨大な陥没が発生した。市民はみんなこれは大変なことになった、復旧には時間がかかるだろうと覚悟したが、実際には、わずか1週間で穴は塞がれ、交通状況も元に戻った。

現場には、福岡中からミキサーが集められ、関連各社の企業の枠を超えた連携作業が24時間体制で行われたというが、これには高島福岡市長によるトップダウンの決断と指示があったのだ。

想定外の緊急事態には自治体トップの的確な判断、初動の早さ、日頃の準備、地域の協力がその後の復旧作業に多大な影響を与えるという、いい例だと思います。2019年9月
 


 
 
 

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実績のない若者が認めてもらうには、まずは小さくてもいいから結果をだすことが大切です。結果を出さない限りは、何を言っても説得力がない。私はチャレンジを「結果が短期で出るもの」「中期で出るもの」「長期で出るもの」に仕分けし、同時並行で進めていきました。
 

福岡市は第三次産業に9割の人が従事している特徴的な産業構造をしています。多くの消費者に来てもらい、お金を使っていただくことで街が潤います。そこで全国に先駆けて「Fukuoka City Wi-Fi」という無料のWi-Fiを繁華街、すべての地下鉄の駅、主要な観光施設、商業施設などに整備しました。
 

市役所にはカフェも整備して、障がいのある方や、ボランティアの方が活躍できる空間を作りました。市役所とはいえ、繁華街のど真ん中にある付加価値の高い空間です。それを利用しないのは大きな無駄だと私には見えたのです。
 
 
 
 

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私は、全国の港湾管理者や国土交通省と「全国クルーズ活性化会議」を設立、その初代会長に就任し、海外から日本へのクルーズ船誘致や大型クルーズ船の着岸に耐えられる強度の岸壁整備などに取り組みました。
 

国際コンベンションの誘致にも力を入れました。国際ユニヴァーサルデザイン会議、ライオンズクラブの世界大会、フィギュアスケートのグランプリファイナル、世界水泳選手権など、国際会議やスポーツイベントにも積極的に手を挙げて、経済界も一緒になってオール福岡で誘致活動をしました。
 

多くの市民のみなさんの努力、先人の努力の蓄積の上に、このような新しいチャレンジを行うことで、就任2年後には福岡市への観光客数の過去最高を更新し、また就任から3年間の市税収入増加率が全国の政令指定都市で1位になりました。就任直前の3年間が11位でしたから大きな飛躍です。
 
 
 
 

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数字は嘘をつきません。数字が出れば、多くの人が少しずつ信頼を寄せ、若い私の言葉を聞いてくれるようになります。私が結果を出すことで、政治の門外漢であっても、別のジャンルの出身であっても、首長をやることができるという証明になったのではないかと思っています。
 

予算権と人事権を直接選挙で選ばれた首長が握る地方は、国よりもスピーディーに物事を変えることができます。既成概念にとらわれず、変化に柔軟な若い市長や知事が全国で増えていくことを期待していますし、そうなったときにこの国は大きく変わるのではないかと思います。
 

政治の世界に限らず、どんどん若い人が意思決定曾に入っていくべきです。まず小さくてもいいから確実な「結果」を出すこと。冷笑されながらも、信じたチャレンジを続け、目に見える「数字」を示すことが突破口になります。私の場合、そこから徐々に流れは変わってきました。
 
 
 
 

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市長に当選するまでの13年間、アナウンサーとしてやりがいのある仕事をさせていただきました。一番長く担当していたのが「アサデス。」という朝の番組です。TBS系列は当時絶好調だった「みのもんたの朝ズバッ!」、フジテレビ系列の「めざましテレビ」など、競合揃いでした。
 

「アサデス。」で視聴率を上げるために私たちがまずしたことは、徹底的に視聴率データを分析することでした。毎朝8時45分に発表される「視聴率の毎分グラフ」を分析し福岡の人がどういうものに関心があり、同じ情報でもどういう出し方をしたら見てもらえるかを徹底的に研究しました。
 

毎日毎日、真剣にこのトライアンドエラーを繰り返すことで、2年目からは連日、視聴率が10%台になり、4位だった視聴率は1年間で1位を取れるようになりました。
 

「アサデス。」で経験を積んだことで「地方の番組に求められるのが決して東京と同じではない」ことを知ることができました。そして「違いを分析して勝負すれば、予算などで劣っている、東京などの大都市をも凌駕できるかもしれない」と思えるようになりました。
 
 
 
 

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2016年11月8日、博多駅前で大規模な陥没事故が起きました。博多駅の真ん前に突如姿を現した直径30メートルの穴は、映画に出てくるような衝撃的な映像で、このニュースは瞬く間に世界を駆けめぐりました。「復旧には半年かかるだろう」と言われ、長期化が心配されていました。
 

結果的に、この穴は1週間で何もなかったかのように元に戻り、人も車も普通に通行できるようになりました。
 

世界都市サミットという世界各地の市長が集まる会議で、私を含めて5人のスピーカーが都市のレジリエンス(回復力)について発表したのですが、発表後の質問タイムはすべて福岡市の陥没復旧の早さに対する質問でした。
 

私は「地元の土木業者の皆さんをはじめ、県警の皆さん、道路の地下に埋設されている電気、ガス、通信、そして上下水道管などを管理している民間事業者の皆さんに普段の系列を超え、当面の仕事をいったん横に置いてまでも、まさにオール福岡で復旧に協力して下さったことに尽きる」とお答えしました。
 
 
 
 

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実は、この一連の復旧作業に入る前に、大きな決断を迫られました。それは「原因究明の調査優先」か「埋め戻し優先」かという選択です。私は即座に埋め戻しを選択しました。私が埋め戻しを優先したのは、二次災害を防ぐことを最優先にしたからです。
 

穴をそのままにすると、地下水とともにまわりの土が穴に流れ込み、さらに穴が拡大する可能性があります。陥没の影響で、建物の基礎周辺の地盤がえぐられ地下の鉄骨がむき出しになっているビルもありました。火災現場で、よもや火を消す前に「原因追及をしよう」とはならないですよね。
 

また、埋め戻しに使った流動化処理土は、セメント混合土ではあっても通常のセメントのようにガチガチに固まるのでなく、「後日、ボーリング調査で地下の構造を把握できる程度の硬さ」という特性を持っていたことも、埋め戻しの判断の後押しになりました。
 

有事の際に必要なスピード感のある判断には大きな責任がともないます。ですから、一定のご批判も飲み込む覚悟のうえで、有事には「トップダウン」のリーダーシップ、そして平時には、関係各所の意見をしっかり窺って進める「ボトムアップ」といった使い分けが大切なのです。
 
 
 
 

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「彼を知り、己を知れば、百戦殆うからず」と言います。行政や政治は戦いとは違いますが、考え方によっては似通っている面もあります。私はいつも「己」、つまり自軍の戦力を冷静に見極めるように細心に注意を払っています。
 

戦力の見極めとは、その課題解決にあたる実働スタッフが能力的、時間的、精神的に新たな戦いに挑める状態にあるかということと、援軍である外部のキーパーソンや議員の勢力と動向のことです。加えて、他の課題解決のスケジュールとの関係、自分の現在のポリティカルキャピタルなどです。
 

ようするに、行政的にも政治的にも問題が決着するまで攻守ともにしっかり戦い抜けるかを見極めるのです。あれもこれもおかしいと思うたびに中途半端に戦端を開いていけば、敵軍も間違いなく全方位から弱いポイントを狙って攻撃を仕掛けてきます。
 

ですから、戦いを挑むテーマに必要な戦力の総和が常に自軍の戦力以内に収まるように、それぞれの課題へのチャレンジの時期をずらすなど、必要戦力のコントロールをするようにしているのです。
 

・ポリティカルキャピタル 政治の世界で自分の意思を通すために必要な影響力、とくに国民に対する影響力や、自身への市民からの支持、共感度のこと
 
 
 
 

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ハコモノは当然税金の投入が必要な場合が多いですから、明確なニーズに基づいた必要性を市民に共感してもらえなければ、ソフトからハードに至る大きな絵を描くことはできません。まず「ソフト」、次に「ハード」という順番です。
 

そこで市長就任後すぐに、「短期的な交流人口増」「中期的な知識創造型産業の育成」「長期的な支店経済からの脱却」という福岡市の成長戦略を打ち立てました。そして約25年ぶりに市の基本構想を改定し、政策推進プランとして落とし込みました。
 

就任から8年が経過して、いま福岡はもっとも人口増加率が高くなりました。交流人口も増え、国際会議の開催件数は政令指定都市で1位です。開業率、税収の伸び率も日本一、クルーズ船の寄港数も日本一になりました。その結果、人や企業が集まり、需要が大きく増えたのです。
 

そして、「ソフト」によって需要が大きく成長したために、逆に「ハード」が追いつかないという状況がようやく起きたのです。
 

福岡市がG20の首脳会議を誘致した際も、直前まで有利に進めていた誘致競争を最終局面で逃がした理由として、ハイグレードホテルの不足ということが報道されました。こうした状況を受けて、実際にいくつものまちづくりプロジェクトを同時進行でスタートさせました。
 
 
 
 

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福岡の魅力の一つに、空港の近さがあります。空港から地下鉄に乗ると、10分で博多駅や天神などの市の中心部に行けます。一方、この魅力と背中合わせに建物の高さ制限があります。空港を中心にすり鉢状に高さ制限がかかるので、市の中心部の天神地区でもおよそ15階が制限いっぱいです。
 

そこで打ち出したのが天神ビッグバンです。航空法の高さ制限を「国家戦略特区」による特例で打ち破り、さらに福岡市独自の容積率の緩和などの規制緩和やさまざまな施策と組み合わせて、10年間で30棟のビルの建て替えを誘導、都心に新たな空間と雇用を創出します。
 

天神ビッグバンによって企業の開発プロジェクトがさっそく動き出しました。複数のビルをまとめた日本でも最大規模の免振構造を持つ「天神ビジネスセンター(仮称)」構想が天神ビッグバン第一号。さらに、旧大名小学校跡地には外資系の有名ホテル、ザ・リッツ・カールトンが来ることも決定しました。
 

この天神ビッグバンのポイントは、市が税金でプロジェクトを動かすのではなく、規制緩和で民間企業が動ける「あそび」を作ることで実現することです。こうすることで、民間には利益がもたらされ、行政はできるだけ税金を使わずに、災害に強い、市民にとって暮らしやすい、快適なまちづくりを誘導できるのです。