『稲盛和夫最後の闘い』 JAL再生にかけた経営者人生 大西康之 2013年7月 日本経済新聞出版社
1/8
「誰がやっても立て直せない」と言われたJALに、稲盛はたった3人の腹心を連れて飛び込んだ。それから1155日間。稲盛は専門家が「実現不可能」と烙印を押した再生計画を完遂し、過去最高の営業利益を叩き出し、株式の再上場にこぎつけた。
JALの幹部は本物の官僚よりも官僚的で、お金を稼ぐことよりも、社内調整や政府との交渉にいそしむことが「仕事」と考える人が経営層を支配してきた。「計画は一流、言い訳は超一流」。立派な再建プランを何度も反故にしてきたのがJALという会社である。
帝国データバンクが過去20年にさかのぼって会社更生法の適用を申請した企業のその後を追跡調査したところ、申請した138社のうち4割の企業が破産や清算などの二次破綻を経て消滅していた。株式に上場を果たしたのは9社のみ。「生還率7%」の闘いである。
2
「あんたには10億円どころか、1銭も預けられけませんな」「お言葉ですが会長、この件はすでに予算として承認いただいています」「予算だから、必ずもらえると思ったら大間違いだ」「あんたはこの事業に自分の金で10億円を注ぎ込めるか」「あんたにそれを使う資格はない。帰りなさい」。
JALの倒産は「プレパッケージ型」という法的整理の手法である。政府系の機関が、あらかじめ運転に必要な資金を準備してJALはスポンサー探しに奔走しなくても営業を続けられる。JAL機は一便も運航を止めなかった。JAL経営陣には「会社がつぶれた」という現実感がなかった。
会社更生法の適用が認められれば、金融機関から借りていた5000億円強の借入金を踏み倒すことになり、100%減資で株券は紙切れになる。2万人近い人員削減も避けられない。不採算路線から撤退すれば利用者にも不便をかける。
3
2010年6月、リーダー教育が始まった。「あなたたちは一度、会社をつぶしたのです。本当なら今ごろ、職業安定所に通っているはずです」。官僚的な思考が抜けないJALの役員に対して稲盛はあえて厳しい言葉を使った。
稲盛の話が始まるとその多くが唖然とした。「利他の心を大切に」「ウソを言うな」「他人をだますな」。稲盛が説いたのは、まるで小学校の道徳の教科書に出てくるような話ばかりだった。「製造業からやってきた老人が更生計画作りの邪魔をしている」再生支援機構のメンバーからも批判がでた。
「JALの人たちは、何を子どもに教えるようなことを、と思ったでしょう。そう顔に書いてあった。話していても、ああ響いてないなあ、と分かりました。でもここを通ってもらわないと、部門別採算(アメーバ経営)に進んでも会社はかわらない。粘り強く説き続けました」。
稲盛がリーダー教育を強引に実施したことで更生計画の提出は2カ月延びた。だが、研修が終盤に差し掛かる頃には「無駄なことを」と言う役員はいなくなっていた。確固たる信念に裏打ちされた稲盛のことばは、雨だれを打つがごとくJALの役員の心に染みていった。
4
「株主のためでも、管財人のためでもない。『全従業員の物心両面の幸福の追求』。経営の目標をこの一点に昇華して、JALの再建に取り組みたいと思います。そのために、経営情報はすべて社員にオープンにします」。
「会長、情報開示なんてとんでもありません。そんなことをしたら組合が付け上がります」。稲盛の怒りが爆発した。「おまえは何をゆうておるんだ。社員を信じられなくて、何の経営か」。稲盛は目の前にあったおしぼりをつかんで執行役員の菊山に投げつけた。
JALには機長組合、ジャパン乗員組合、先任航空機関士組合、日航組合、キャビンクルーユニオン、乗員組合、ジャパン労働組合という権利意識の高い7つの先鋭的な組合と、経営寄りのJAL労働組合という、8つの組合がある。
5
「経営が『社員の幸福』を目指せば、労使の終着駅は同じになるではないか。目指すものが同じなら話合えるはずだ。徹底的に組合と話し合えばいい」。
稲盛はJALの中でも強硬派で知られる機長組合や乗員組合の組合員であるパイロットを集め、そこで経営の話をした。稲盛は団交のような形式ばったスタイルはあえて取らず、ふらりと無防備にパイロットたちの輪の中に入っていった。
ありのままの情報を共有することで、社員は経営者のマインドを持つようになる。そうなれば、組織は上からの指示でなく、現場の意志で動くようになる。それが稲森の言う「燃える集団」である。
6
稲盛は言う。「公的資金を注入していただいた資本金は、再上場のときに3000億円上乗せしてお返しした。(破綻したとき)運航を続けるためにお借りしたお金も7%の金利をつけてお返しした。なのに『JALは税金を使って再生したからずるい』と言われる」。
「あきらめずに頑張れば報われるという良い例を示したつもりです。しかし『何か裏があるのでは』と疑われた。JALの社員はわたしの言うことを聞いて大いに奮闘してくれた。だが、世の中は正当に評価してくれない。私にはそれが残念で仕方ない」。
「不平不満を言う前に、まず自分が頑張ってみたらどうや」。JAL再生で稲盛が一番言いたかったのは、おそらくそういうことだろう。稲盛の「ラストレッスン」はJAL3万2000人を変えたが、日本全体を変えるには至らなかった。
7
航空会社というのは突き詰めれば何万人もの人々が協力して1機の飛行機を飛ばしている1つの巨大なサプライチェーンである。1枚のチケットにパイロット、客室乗務員、整備士の人件費、航空機のリース料、、燃料費、空港の電気代まであらゆるコストが乗っている。
路線ごとの収支を正確に出すには、社内の誰もが「公正」と認めるパイロット費用、客室乗務員費用、空港費用を割り出す必要がある。これらの費用は協力対価と呼ばれ、プロフィットセンターから見たら費用、コストセンターから見たら「収入」になる。
この「協力対価」を出し入れすることですべての部門に収支が発生する。これがアメーバ経営(部門別採算制度)の基本である。さじ加減を間違えると、部門間で不公平が発生し、アメーバ経営は機能しない。
各部門の採算はみるみる改善し始めた。普通のリストラでコストを削れば社員の士気は低下する。だがアメーバ経営の場合は社員の士気が上がる。頑張ればすぐに数字に表れるからだ。かつて2カ月かかった国際線の便ごとの収支が、いまでは4日後に分かる。
8
稲盛は京セラという日本有数の電子部品メーカーを立ち上げ、NTTという巨人に立ち向かってDDIという通信会社を作り、誰もが不可能だと思ったJALの再生を成し遂げた。それは「奇跡」の一言で片づけられるような、軽々しいものではなかった。
何千時間にも及ぶ役員・社員との対話。百円玉を積み上げて数千億円のコスト削減につなげていく経営改善。それは気の遠くなるような積み重ねであり、たゆまぬ努力だった。80歳を超える老人がそれをやってのけたのだ。
「日本は再生できる」。JALを甦らせることで、稲盛はそれを証明した。我々は稲盛の志を受け継ぎ、日本再生の一歩を踏み出さねばならない。