99%対1% アメリカ格差ウォーズ(町山智浩)

『99%対1% アメリカ格差ウォーズ』 町山智浩 2012年9月 株式会社講談社
 


 
 
 

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民主党支持層の多い東部と西海岸は、民主党の色である青い州と呼ばれた。ニューヨークやロサンゼルス、サンフランスコなどの大都市があり、経済や文化の中心であり、多民族と多宗教が混在し、大卒率と平均収入が高く、人工中絶や同性愛者の権利を守り、銃の規制を求める、リベラルな人々が多く住む。
 

共和党支持の多い南部と中西部は、共和党の色である赤い州と呼ばれた。農業と製造業が中心の大きな「田舎」で、キリスト教徒の白人が多数派で、大卒率と平均収入は低く、人工中絶や同性愛を許さず、銃で武装する権利を守ろうとする、保守的な人々が多く住む。
 

大雑把にいうと共和党の理念は「自由」。自由市場、自由競争、小さな政府、それに銃を持つ自由も含まれる。そして民主党の理念は「平等」。政府による福祉や公共事業によって貧者や少数者を救済し、政府による規制で大企業や富裕層の放埓と力の集中を抑えること。
 
 
 
 

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1929年、大恐慌が始まった時、大統領だったフーヴァー(共和党)は市場への介入に躊躇した。これは古典的自由主義経済が信じられていたからだ。
 

アダム・スミスの「見えざる手」という言葉に象徴されるように、市場は放任しておけば需要と供給のバランスから、多数の人にとって良いものは売れ、良い企業は大きくなり、雇用を創出し、世の中は良くなるという市場原理を信じた。しかし、倒産と失業者は増加する一方だった。
 

フーヴァーに替わって大統領になった民主党のローズヴェルトは、政府の役割を拡大し、立て直しのためにニュー・ディール政策を行った。これは、ケインズの経済理論を基に、経済に政府が積極的に介入する政策で、銀行の救済、金融の規制・管理、公共事業、最低賃金制度、社会保障などのセーフティ・ネットによる。
 

このニュー・ディ―ル政策は、労働者から支持され、60年代の終わりまで30年以上続いた。その間、アイゼンハワーを含めた歴代の大統領は、平等を富みだけなく人種にまで拡大し、南北戦争後も南部で30年以上続いた人種隔離政策は、ジョンソン大統領の任期中にとうとう廃絶された。
 
 
 
 

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1981年に大統領になったロナルド・レーガン(共和党)は、社会自由主義に代わる新しいイデオロギー、新自由主義(ネオ・リベラリズム)を採用した。
 

これは古典的自由主義の理想を実現させようとするもので、具体的には、福祉の削減、規制の撤廃、富裕層への減税、公共事業の民営化などで、政府の役割を小さくし、市場と競争の自由度を拡大する。つまりニュー・ディ―ルの逆方向だ。
 

ここで、市場の放任や規制撤廃を喜ぶ資本家や金融業界と、キリスト教保守と、南部や中西部の労働者という、無関係な三者が共和党を支持する、いわゆる「保守連合」ができあがった。これがブッシュ・ジュニアの時代まで続く。クリントンは民主党だったが政策は新自由主義寄りだった。
 

そして08年秋、リーマンショックから金融市場が崩壊し、世界的な経済危機を引き起こした。そこまで続いた新自由主義の時代の27年間にアメリカ人の貧富の差はぐんと開いた。
 
 
 
 

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全米のメキシコ系住民が、2010年4月にアリゾナ州会議を通過した「法執行官を支援し地域を守る法」に反対していた。
 

このアリゾナ新移民法で、警察官は不法移民の疑いがある人に証明書の提示を求める義務を負う。見逃すと警官が住民から訴えられる。証明書を携行していない者は証明されるまで抑留される。証明できないと国外退去させられる。
 

アリゾナとメキシコの国境には万里の長城のようなフェンスが立っている。それでもメキシコからの不法侵入が途絶えることはなく、現在45万人が州内に暮らし、庭師や大工などの低賃金労働を担っている。彼らに仕事を奪われた白人労働者は憤懣をつのらせていた。
 
 
 

『マチューテ』(ロバート・ロドリゲス監督)の予告編で感動的なのは、ジェシカ・アルバがフランス革命の女神のように、メキシコ系の蜂起を扇動するシーンだ。
 

「私たちが国境を越えたのではない!国境が私たちを超えたのだ!」それは06年頃からメキシコ系労働者のデモで聞かれるスローガンだが、ハッタリでも何でもない歴史的事実だ。アリゾナもカリフォルニアもネヴァダもテキサスも、もちろんニュー・メキシコもメキシコの国土だった。
 

まず、テキサスに入植したアメリカ人が奴隷所有を求めてメキシコ政府に対して反乱を起こし、独立した。それを併合しようとしたアメリカがメキシコに戦争を仕掛け、強引に領土を奪い取った。かつてメキシコだった土地にメキシコ人が入って何が悪いのか。そもそもメキシコ系はアメリカ先住民の血を濃く継ぐ人々だ。
 
 
 
 

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コーク兄弟は、反オバマの一大勢力、ティーパーティ運動の黒幕だ。兄のチャールズ・コートが会長、弟のデヴィッドが副会長のコーク・インダストリー社はフォーチュン誌で全米トップ企業の16位にランクされた巨大コングロマリットだ。
 

フォーブス誌によるとアメリカで2番目に大きな非上場企業であり、株式の84%を独占する2人の資産を合計すると350億ドルを超えると推定され、全米一、二位を争うビル・ゲイツやウォーレン・バフェットに次ぐ額になる。
 

ティーパーティ運動は09年4月に始まった。参加者の多くは「これは自然発生した草の根運動だ」と主張し、そう信じているが、実際はボストン茶会事件を模した抗議集会をしようとネットで呼びかけ、集会を組織したのはAFP(繁栄を求めるアメリカ人)という保守系市民団体だ。

そして、AFPこそは、デヴィッド・コークが04年に創設した団体なのだ。
 
 
 

「富の再分配や公的医療保険は社会主義的だ。地球温暖化は左翼のデマ、政府は極力、個人の経済活動に介入すべきでない」。ティーパーティの主張を要約するとそうなるが、この根底にあるのは政府の力を個人の自由の保護だけにしようとする、リバータリアニズムだ。
 

デビット・コークはホワイトハウスを目指したことがある。79年、第三党のリバータリアン党からエド・クラークが大統領の立候補した時、39歳のデビッドは副大統領の指名を受けた。
 

クラークとデビッドが掲げた政策は、CIAとFBIの廃止、社会保障と最低賃金法の廃止、個人及び法人の所得税の廃止、銃所持、売春、ドラッグの完全自由化というリバータリアニズムの極致のようなものだった。
 
 
 
 

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2010年12月10日金曜日の朝10時24分、バーニー・サンダース上院議員(当時69歳)は議会の壇上に上がった。それから約8時間半、彼は国民に向かって話し続けた。
 

「本日、私がやろうとしていることを、どう呼ぼうとかまいません。フィリバスターかもしれない。ただの長い演説かもしれない」。フィリバスターは通常「議事妨害」と訳される。議会で多数決による負けが明らかな場合、少数派が少しでも投票を遅らせるためにやる行為だ。
 

(富裕層への減税延長は)いくら民主党が反対しても通過は確実だ。二大政党制では議員の投票前にたいていのことは決まる。そこでバーニー・サンダースは立ち上がった。彼は民主党にも共和党にも属さない、数少ない議員の一人であり、自らを「社会主義者」と呼んでいる。
 
 
 

「わが国の債務は史上最大の13兆8千億ドルを超え、中流は崩壊し、貧困層が増え続けています。億万長者や大富豪への不必要な減税のために限界を超えた債務を増やすことに、保守派(共和党)の人々はまったく罪悪感がないように見えます」。
 

「クリントン政権は必死に財政赤字を削減し、任期の終わりには黒字に転じていました。それがブッシュ政権でいっきに史上最大の債務に落ち込んだのです。その原因は、金持ちへの無茶な減税、理由なきイラク戦争、ウォール街の詐欺師どもによる金融危機。

そして、破綻した彼らの会社を救うための公的資金導入です。国民の血税から公的資金を受けたウォール街の重役たちは、何千万ドルもの給料を自分たちに支払い、しかも減税を受けています」。
 

サンダースはただ自分の考えだけを述べ続けた。彼は、自分でも「2時間も話せば、話すことが無くなると思っていた」そうだが、アメリカの現状に対する憂いと怒りは、いくらは吐き出しても尽きることがなかった。
 
 
 
 

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上位1%の富裕層が国全体の富の40%を独占するアメリカ。それに怒った99%の「持たざる者たち」がウォール街の公演に座り込みをすることで始まった「ウォール街を占拠せよ」運動は、その後、全米各州の大都市に広がり、各地の金融街近くの公園にはテントが張られた。
 

当初、リーダーも、彼らを代表する政治家もいないと言われていた占拠運動だが、その後この運動を代表する人物が現れた。2011年10月、ワシントン・ポスト紙はマサチューセッツ州の上院議員選に立候補したエリザベス・ウォーレンを「占拠運動の最初の候補者」と呼んだ。
 

共和党のポール・ライアンはウォーレンやオバマ大統領が求めている企業への規制や富裕層への増税を「社会主義的な階級闘争だ」と糾弾した。ライアンは政府を縮小して企業活動を自由にし、富裕層に減税することが景気回復の唯一の方法だと主張する。
 

ウォーレンはこう反論した。「企業が流通に使う道路は政府が税金で作るんです。労働者は政府が税金で教育するんです。企業を守る警察も消防も同じです。社会契約の基盤として、そして、次世代のために税金は必要なんです」。