『冒険投資家ジム・ロジャース 世界大発見』 ジム・ロジャース 2006年1月 日本経済新聞出版社
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トルコ北西部、マルマラ海のほとりに、世界で最もエキゾチックな都市がある。イスタンブールだ。ビサンチン(迷宮)、コンスタンチノープル、そして現在のイスタンブール。どの名前が使われている時代にあっても、ボスポラス海峡に位置する古い都市は、いつも素晴らしいところだった。
矛盾しているように聞こえるかもしれないが、トルコはヨーロッパとアジアの境目であり、結び目である。ボスポラス海峡は地理的には二つの大陸が分かれるところであり、文化的には両者が融合するところである。その結果イスタンブールは豊穣だ。
かつては古代ギリシャの都市ビサンチンであり、ローマ皇帝コンスタンティヌスが紀元330年に帝国の東の首都と定め、名前をコンスタンチノープルと改めた。ローマ帝国の崩壊後はビサンチン帝国の首都になった。
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すでに中国は、株を買おうとする外国人が増えてきたのを受けて、B株と呼ばれる株式を創設していた。A株は中国人しか買えなかった。誰もが絶望に打ちのめされ、株の話など聞きたくない、こんな時こそ底入れは近い。私たちが訪れたとき、B株市場はそんな雰囲気だった。
A株が買えなかったとしても、手を出さなかっただろう。別にA株に含むところがあったからではない。「誰かこの株を引き取ってくれ!」と。わめきながら外国人が投げ打っていたのが、ほかならぬB株だったのだ。
1年ほどの間に中国は法律を改正し、A株とB株を総合した。するとB株は中国市場全体と共に上昇した。私の投資が成功した理由はいろいろあるが、とりあえずはどうでもいい。
(ただ、売り込まれた銘柄を買うという方法は通常うまくいくものだ。すぐに儲かるとは限らないが)。
売る気は毛頭ないからだ。私の持っている株がいくらになっているか知りたいとも思わない。売る予定はないのだ。今でも持っているし、ずっと持ち続けられればいいと思っている。私の遺産になればいい。
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私はトレーディングと投資を区別している。トレーダーは短期のプレーヤーであり、そうしたやり方を得意にしている人たちもいるが、私はそうではない。
私は自らを投資家と考えている。投資したものを永久に持ち続けていたい。そして、私の投資が成功するのは、多くの場合、株式を非常に安く、あるいは私が非常に安いと思う価格で購入した時である。たとえ私の考えが間違っていたとしても、安く買えれば大損することはない。
もちろん、ただ「安い」というだけでは十分ではない。永久に安いままということもあるからだ。よい変化が起こるとわかっていて、しかも2、3年のうちに他の人たちがその良い変化に気づく必要がある。
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私に得意なことがあるとすれば、それは誰もが幻滅している業種や企業を、勇気やセンス、馬鹿さ加減、何でもいいが、そういったものを発揮して購入することぐらいだ。自分はあれこれ買っていると口にして、それに他人が敵意を示すようなら、その行動は多分正しい。
敵意はとても良い指標である。これは誰もが大損し、見るのも嫌なその投資対象を叩き売っていて、非常に安くなっているという証拠なのだ。私にとって常識という思い込みは破るためにある。
100人の投資家と同じ部屋にいて、ほとんどの人が「おお、こいつはすばらしい」と言いながら部屋を出てきたとすれば、私はたぶん空売りしようと考える。情報と判断の間にはいくらか距離があって、おそらく私は他の人が無視するようなことに気づくのだ。
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日本は一時的に底を入れた。すぐに景気は回復する--リバウンドと呼ぶが--と、私は確信している。私は中期的に買える株がないか探している。さらに日本銀行も、伝統的だが経済政策的には下手なやり方で、資金供給を増やすと意思表示を明らかにした。
政府がお金の印刷機を回すとき、お金が最初に向かうのは株式市場だ。円は短期的に、もっとファンダメンタルズが弱いドルに対して上昇するだろう。だから、一部の株に円が連れ高して、私の投資の効果を倍増させてくれるだろう。
念を押すが、これは短期から中期の話である。日経平均株価指数は私が今後10年、20年に渡って投資しておきたいところではない。日本に吹いているのは逆風であって、決して追い風ではない。
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「無法者資本主義者」の新しい世界に、それほどお金が流れ込んでいるということだ。「新ロシア人」はどうやってそんなに金持ちになれたのか。ソ連崩壊の初期に管理していた工場から在庫や原材料の備蓄を分捕り、それを焼残り品大売出しで西側に売りまくったのだ。
こうした商品の売上による収入は数十億ドルにもなるが、ほとんどはスイスの銀行口座に置かれていた。「新ロシア人」たちは、精製所やアルミ工場、広大な農地、油田、金鉱ばかりか、私設軍隊を持つ者もいた。
この金はどこから来たのか。世界中の納税者の金で運営されるIMFと世界銀行から流れ込んだのだ。1998年に私は、ルーブル暴落を受けてロシアに再び緊急援助を行おうとしている米議会で証言した。私はIMFも世界銀行も廃止すべきだと主張した。
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とある晩、モスクワの豪華なショッピングセンターで夕食をとっていると、近くで爆弾が炸裂した。それまでの3年間で十数回もの爆弾騒ぎがあったが、西側ではさほど報じられてはいなかった。私たちがロシアを離れるまでに、もう5回、モスクワ周辺で爆弾騒ぎがあった。
その頃までに私は、ウラジミール・プーチンは、KGB(公式にはFSB。ロシア人は今でもKGBと呼ぶ)の同僚の指示を受け、静かな政変を起こしてエリツェンにとって代わった、という仮説を立てた。IMFや西側を驚かせないために、政変であることを隠す必要があったのだ。
いろいろな人と話をした後、私はKGBが反チェチェンのヒストリー感情を掻き立てるために、モスクワに爆弾を仕掛けたのだと分析した。プーチンは自分の政府に対する支持を集める必要があり、それには邪悪なイスラム教徒チェチェン人の脅威ほど恰好のお膳立てはあるまい。
中国が明るい未来を持つ理由の一つは、在外の中国人が資本とノウハウを携えて国に帰ってくるからだ。国を出たロシア人が国の再建のために戻ってくることは稀である。彼らはリビエラなどロシア以外のどこかを目指す。
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旧体制の下では、景気が悪くなれば国にはやれることがいくつかあった、第一に貨幣を増発すること。通貨の価値を下げることになるが、選挙に勝った政治家はそんなことはお構いなしだ。
株式市場は(一時的に)上昇し、経済は(一時的に)改善し、人々は(一時的に)よりたくさんのお金を持ち、(一時的に)万事OKだ。その代償は後日支払うことになる。景気が悪い時に政府ができるもう一つのことは、巨額の借り入れを行うことである。
ユーロが共通の通貨となると、政府はもうお金を刷ることができない。政府は経済を健全に保ち、皆が強い競争力を持つようにしなければならない。
人、モノ、金、そして知的財産の自由を妨げる壁を取り除くこと。これが欧州連合の本旨であり、ユーロはそれを推進するように作られている。欧州連合の国民なら、連合内を旅行するのにビザもパスポートも要らないのだ。そして、世界中がそうでなければならない。
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私たちが過ごした最も楽しいアフリカの一夜は、コートジボワールの小さな町カティオカでのものだった。
活気に溢れた通りを歩き、レストラン・シカゴにたどり着いた。テーブルが八卓あり、客はいなかった。店主の息子らしい若い男の子がドアを見つめて座っていて、大音量のスピーカーからはマーヴィン・ゲイの「レット・ゲット・イット・オン」が流れていた。気に入った。
食事をしたいと告げると、彼は母親のところへ飛んでいった。母親はペイジを裏庭へ連れて行って何が出せるかを見せた。鶏がその店の専門だったようだ。女はしばらくの間姿を見せなかったが、あとになってから、米と野菜を買いに市場へ行っていたと知った。
彼女が鶏をつぶして食事を用意している間、私たちは瓶以外は何も入っていないクーラーボックスから出してきた、冷えたおいしいビール、フラッグ・ビールという西アフリカのブランド、を飲んでいた。
そのうち、フライトチキンと蒸した米に野菜がでてきた。簡単なものだったが、それはアフリカで食べた一番おいしい食事の一つとして、ずっと私たちの記憶に残った。