絶望の隣は希望です!(やなせたかし)

絶望の隣は希望です! やなせたかし 小学館 2011年10月
 


 
 
 

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四コマ漫画や政治や世情を題材にした風刺漫画が中心の漫画界、その漫画界に巨大な才能が彗星のように現れた。手塚治虫です。あれよ、あれよといううちに、長編劇画が主流になった。僕はますます自分の居場所を失った。
 

ミミズだって オケラだって アメンボだって みんなみんな 生きているんだ 友だちなんだ
あまり日の当たらないこの小さな生きものに自分を重ね合わせた。この詩は自分を励ますために書いたものです。
 

『手のひらを太陽に』はNHK『みんなのうた』に採用されました。これを書いた頃は、漫画家なのに代表作がないということが、致命的なコンプレックスになって、絶望の深い闇の中でもがいていた時代でした。
 
 
 
 

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書きためていた詩の自費出版を思い立ちました。「山梨シルクセンター」という名前の会社社長が「その詩集をうちで出版しましょう」というんです。その社長は出版部を作ってしまった。僕の処女詩集『愛する歌』が刷り上がった。もうびっくり。
 

1973年「山梨シルクセンター」というヘンな名前の会社は改名して「サンリオ」になりました。山梨を音読みにして”サンリ”、それに”オ”を付けた。いまはキティのブランドですっかり有名になりました。
 

ある日、僕は社長にいいました。「雑誌をつくらせてくれませんか」「いいですよ、わが社で出しましょう」辻社長はすぐにOKを出してくれた。1973年4月『詩とメルヘン』が創刊され、2003年まで30年も続きました。
 
 
 
 

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主人公は太り過ぎのカッコ悪いおじさん。マントはボロボロ、見るからにヨレヨレのこのおじさんはパンを配り歩きます。空を飛んで、戦地に赴き、膨らんだお腹からパンを取り出してこどもたちにアンパンを渡す。
 

だけど、このへんてこりんなおじさんは、国境を超えるときに未確認飛行物体と間違われて、結局、撃ち落とされてしまう。ちょっと苦い話を”大人向けメルヘン”として書いたわけです。
 

この話をもとに幼児向けの『あんぱんまん』が誕生しました。1973年のことです。『アンパンマン』と片仮名になったのは2作目からです。『あんぱんまん』は誰にも期待されないで、ひそやかに出発しました。
 
 
 
 

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幼稚園の先生からすぐに文句が来ました。出版社からも「顔を食べさせるなんて荒唐無稽だ。もう、あんな本を書かないでください」。児童書の専門家からは「ああいう絵本は図書館に置くべきではない」とまでいわれました。
 

本当の正義の味方なら、まず飢えている人を助けるべきです。罪もなく死んでいく人を見捨てて戦っているのはおかしい。アンパンマンは自分を犠牲にして、正義のために戦うヒーローです。
 

3歳児から5歳児の間で、じわじわと人気が出てきたのです。図書館ではいつも貸し出し中で、保育園や幼稚園でも、みんな「あんぱんまん」ばっかり読むから、何度も買い替えてボロボロになるというのです。
 

なんのために 生まれて なにをして 生きるのか こたえられないなんて そんなのは いやだ!
『アンパンマン』のテーマソングにこう書きました。僕自身が自分に問かけてきた、生きていくうえでの命題です。
 
 
 
 

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バイキンマンが登場してから話が引き締まってがぜん面白くなりました。偶然の幸運というか、バイ菌に目をつけたのは自分ながらでかしたと思います。バイキンマンの登場によって、物語のもう一つメッセージが生まれました。それは「共生」ということです。アンパンをつくるパンだって酵母菌がないとつくれない、善と悪はいつだって、戦いながら共生しているのです。
 

いくつになってもお話をつくるのには苦労しています。ひとつ描くと空っぽになってしまう。アンパンマンが顔をちぎるのとおんなんじで、僕も身を削りながら、命を削りながら、どうにか描き続けてこられました。
 

僕たち夫婦には子供はできませんでした。アンパンマンが子ども以上にカミさんを喜ばせ励ましてくれた。そして、カミさんが亡くなったあとも寂しさも、アンパンマンが慰めてくれた。
 
 
 
 

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起床は毎朝6時ちょっと過ぎです。かなり時間をかけて自己流の体操をやります。エンディングに必ず歌を3曲歌います。それからスクワットを101回。ここまで約40分かかります。朝トレのラストは腕立て伏せを40回。
 

「体力の衰えは、運動することによってある程度取り戻せる」と医者にいわれました。幸せな老いをつくりだすのは行動力だと思うのです。大げさなことに挑戦するということではなく、ささやかなことから始めてみることではないでしょうか。
 

気力を保持するため、気力を奮い立たせるために、僕は「すごいなぁ!」と思われるくらいの大胆な服も着ます。派手なデザインのシャツは精神を奮い立たせます。オシャレは気力です。
 

特製野菜スープは前夜につくります。大根、ニンジン、ごぼう、白菜、いんげん、緑黄野菜をみじん切りにして昆布と鰹節の出汁でコトコト煮る。塩、酒で味付けし翌朝おろし生姜をいれていただく。20年以上続けるうち、老人斑が消えました。
 
 
 
 

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僕の人生は、とにかく「詩をかく、絵をかく、恥をかく」です。自分流にこの”3かく”主義を続けたからこそ、いまがあります。
 

人生というのは満員電車じゃないかと思うのです。我慢して乗っていると次々と人が降りて行って、いつの間にか席が空いて座れる。
 

大先輩の漫画家杉浦幸男先生からこういわれました。「人生はね、一寸先は光だよ。いいね、途中でやめちゃ終わりだよ」。目からウロクが落ちた気がしたのです。