『ルネッサンッス 再生への挑戦』 カルロス・ゴーン 2001年1月 ダイヤモンド社
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日産リバイバルプランは、経営の中心に社員を引き戻すことによって、日産ルネッサンスの幕を開けた。社員たちは従来のビジネス手法の有効性を問い直し、安穏とした心地よい伝統に果敢に挑戦し始めた。
年月を重ねるにつれて、マネジメントとは職人の手仕事(クラフト)のようなもので、秘訣などなく、実際に自ら手がけ、試行錯誤し、多くの重要な決断を下すことによって学ぶものだ、という思いが強くなった。
ビジネスの世界への第一歩は、大学の卒業が近づいた1978年3月のある日、早朝の電話で始まった。「ミシュラン・グループの者です」。突然のことで、起き抜けの私にはわけがわからなかった。
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ミシュランはブラジルにトラックタイヤの製造工場を建設するプロジェクトが、開始早々、暗礁に乗り上げた。ブラジルが年率1000パーセントに達するハイパーインフレに見舞われたのだ。1985年、30歳のとき私は南米事業を統括するCOOとしてブラジルに赴任した。
巨額の負債のため支払をこれ以上増やすことは出来ない。事業に関係のない資産を売却して、負債の一部を圧縮する。月間30パーセントという高インフレ下ではディラーに60日後の支払を認めることが出来ない。現金が届いたときには、貨幣価値が半分以下に目減りするからだ。
プロセスをきちんと踏まなければならない。高コスト体質を改善し、債務を削減し、製品開発に投資し、ブランドを確立し、マーケティングや営業を整備し、流通網を活性化する。全てをやり遂げたあとで、ようやく成長が望める。
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私がルノーに移った1996年は、会社が再び赤字に転落した年でもあった。研究、購買、製造、エンジニアリング、製品計画を担当する副社長として、私はコスト削減の責任を持ち、向こう三年間で200億フラン(約24億ドル)を削減する計画を作成した。
私はベルギーのビルボールド工場の閉鎖を提案した。最終決定はが下した。この声明はEUに衝撃を与え、ベルギー国王はルノーを非難し、労働組合は3500名の解雇に反対しストライキを打ち、パリの街角をデモ行進した。
非難の矢面にたったのは経営の最高責任を担うシュヴァイツァーだった。彼の決断は、ルノーのフランス政府からの独立を表明したものである。彼はかねてから、フランス政府はあくまでも株主であり、経営者ではないと主張した。
リスクを取るということは、しばし昔ながらの快適な仕事のやり方を捨て去ることを意味するが、会社を経営するという仕事には必ずついて回る決断だ。その際、トップは社内に漂う懐疑的な見方にも打ち勝たなければならない。CEOたるもの、自分の決断は予期した通りの結果をもたらすという強い信念を持つべきである。
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私は、ルノーで提携先に日産一社を唱えた最初の人間だったと思う。1998年の取締役会議で私はこう呼びかけた。「みなさん、私たちは日本語を習い始めなければならないかもしれません。日本語の先生を何人か雇うべきです」。
推した理由は、日産はすでにグローバル企業であったこと、シーマのようなハイパフォーマンス・カーも、300ZXのようなセクシーな車も、サニーのような優れたエントリーカーも作れる高度な技術を持つ企業であること、そして経営上の問題を抱えていたこと。
日産ほどルノーの市場拡大に多様な機会を提供してくれる相手はいなかった。ルノーにとっては事実上、唯一無二の機会だった。
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交渉が行き詰まると、私は日本へ飛び、私たちがしてきたこと、つまりコスト削減のプロセス、クロス・ファンクショナル・アプローチでの取り組み、どんな成果が表れ、その成果をどう評価しているかを、上着を脱ぎ、ワイシャツの袖をたくし上げて語った
1999年3月、日産とルノーはルノー日産グローバル・アライアンスの合意文書に調印した。ルノーは契約に従って日産自動車に6430億円の資本投下を行い、見返りとして日産株に36.8パーセントを保有することになった。
ルノーは日産に「あり金すべてを注ぎ込んだ」のだ。一家のあるじがチャンス到来と見るや、つましい老後の蓄えと家屋敷を根こそぎ注ぎ込むようなものだった。
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日産のだれもがどこかが間違っていると感じている、そして、問題は自分たちの部門ではなく他の部門にあると思っている。部門と部門、職務と職務のつながりが見事に断ち切られていた。これは、世界中の危機に瀕する企業に共通して見られる。
日産リバイバルプラン(NRP)は日産内部で作成する。そうすれば、これは、我々が立てた計画だ、我々のものだ、と胸を張って言うことができる。では、どのように作成するか。答えはクロス・ファンクショナル・チーム(CFT)の結成だった。
顧客の要求はクロス・ファンクショナルなものだ。コストにせよ、品質にせよ、納期にせよ、ひとつの機能ひとつの部門だけで応えられるものではない。どんな会社でも、最大の能力は部門と部門の相互作用の中にある。
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「バッテリーの適性価格はこれこれだが、わが社はもっと高い価格で購入している。その理由を説明してもらいたい」。私はミシュラン北米にいたころから。日産は他社に比べて部品購買コストに甘い会社だと感じていた。
私はたずねた「わが社が払いすぎていることはあきらかだ」。購買担当者は「いままでずっとこの価格でやってきた」と言う。私は言った「過去どうやってきたかはどうでもいい。私が聞きたいのは、これからどうするつもりかということです」。
系列会社との関係維持が大切だとする意見に、私は即座に「根拠は?」とたずねた。日産は経営トップから工場労働者まで、ひとり残らず失業の瀬戸際に立つ。この状況で何を優先すべきか?サプライヤーとのぬるま湯のような関係か、日産の救済か。
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マネジメントの仕事は、優先順位を決定し、それに沿って、どんな痛みを伴おうとも解決策を見出すことにある。
NRPはコスト削減の計画だ、と言う人もいるが、こうした意見は全く間違っている。2000年度から2002年度にかけて22の新製品を投入した。日産のコア・ビジネスとは車の設計、デザイン、開発、製造、マーケティング、そして販売である。
NRPは目標を上回る成果をあげた。私たちはNRPに続く計画「プラン180」を作成した。ポストNRPの重点は成長、収益性、負債削減である。「1」は販売台数の100万台増、「8」は営業利益率8パーセント、「0」は負債0を意味する。