ブラック・スワン(上) ナシーム・ニコラス・タレブ 学者、統計学者、金融トレーダー 望月衛(訳)大和投資信託(株)審査部 2009年6月 ダイヤモンド社
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この本で黒い白鳥といったら、ほとんど次の三つの事象を指す。第一に異常であること。普通は起こらないこと。第二にとても大きな衝撃があること。第三に異常であるにも関わらず、私たち人間は、それが起こってから適当な説明をでっちあげ、予想が可能だったことにしてしまうこと。
ヒトラーの台頭、それに続く戦争なんて予測できただろうか?ソヴィエト圏の急激な崩壊はどうだろう?イスラム原理主義の台頭はどうなんだ?インターネットの浸透は予想できただろうか?1987年の市場の暴落と、さらに予想外だった回復はどうだ?
私たちは歴史的な事件を予測できるかのように振る舞っている。社会保険制度の赤字だの、石油価格だのを30年先まで予測するとき、来年の夏に数字がどうなっているか、自分たちがろくに予測できないのを忘れている。政治や経済に起こることの読み誤りが、山のように積み重なっている。
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人間には、私がプラトン性と呼んでいる傾向がある。これは哲学者プラトンの考えにもとづくものだ。人間は地図と本物の地面を取り違え、純粋で扱いやすい「型」にばかり焦点を当てる傾向がある。プラトン性のせいで、人間は実際にわかっている以上のことをわかっていると思い込む。
私はプラトンの言う型なんてないんだよというつもりもない。モデルや枠組みといった、頭を使って描いた現実の見取り図はいつも間違っているわけではない、ただ、いくつかの特定の分野に当てはめたときにだけ間違っている。
難しいのは、(a)地図がどのあたりで間違っているのか事前にはわからないし、(b)そういう間違いが深刻な影響を及ばす、という問題だ。わかっていることと、わかっていると思っていることの差(プラトン性の境目)が危ない広さに達する。黒い白鳥はそんな地で生まれる。
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帰納の問題は間違いなく人生のすべての問題の源だ。特定の事例から一般的な結論を論理的に引き出すにはどうしたらいいだろう。何かのものごとについて観察できた性質から、ほかの性質を十分に推測できるとなぜ言えるのだろう。
七面鳥が毎日エサをもらっている。七面鳥はそれが一般的に成り立つ日々の法則だと信じて込んでいく。感謝祭の前の水曜日の午後、思いもしなかったことが七面鳥に降りかかる。1000日に渡る過程の積み重ねも、次の一日については何も教えてくれない。
「私の経験してきたすべてを振り返っても、私はとり立てて言うほどの事故には遭わなかった。海で過ごした歳月で、遭難した船を見かけたのは一度きりだ。災害になりそうな窮地に追い込まれたことすら一度もない(タイニック号船長)」。スミス船長の船は1912年に沈没した。
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七面鳥の最初の1000日を観察した人なら、黒い白鳥がいる可能性があると示す証拠はない、と言うだろう。でも、よく注意していないと、この命題と、黒い白鳥がいる可能性なはいと示す証拠がある、とを混同してしまうだろう。
黒い白鳥を見たら、すべての白鳥が白いというのは間違いだという証明になる。誰かが人を殺すのを見たら、その人は罪を犯したと保障できる。人を殺すの見ていなくても、無実だと保証はできない。ガン化した細胞が一つ見つかればガンだということになるが、見つからないからといってガンでないとは断言できない。
認知科学者は裏付けを求めて犯す誤りに弱い私たちの傾向を、「追認バイアス」と呼んでいる。反例を積み重ねることで、私たちは真理に近づける。裏付けを積み重ねてもダメだ。
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人が推論を行う際の不具合を列挙し、研究している研究者たちは、人間の行動の裏にある仕組みを大ざっぱに二つの形に分類し、それぞれを「システムⅠ」と「システムⅡ」、あるいは経験的思考と演繹的思考と呼ぶ。違いは単純だ。
システムⅠ。経験的思考は、苦のない、自動的、素早い、無意識的、並行処理可能、情緒的、そして誤りを犯しやすい、そんなシステムだ。私たちはこれを「直観」と呼んでいる。手っ取り早く答えを出すやり方であり「ヒューリスティック(経験則)」とも呼ばれている。ときどき、深刻な間違いを犯す。
システムⅡ。私たちが普通「思考」と言えばこれを指す。演繹的(仮定を検証する)、遅い、論理的、順次処理の、漸進的、意識的なシステムだ。経験的思考に比べて誤りを犯しにくいし、どうやって結果に至ったか自分でわかる。
推論をしていて私たちが間違いを犯すのはほとんど、システムⅡを使っているつもりで、実はシステムⅠを使っているときだ。なぜか?システムⅠの主な特性は、使っている私たちも使っているのを意識しないことなのだ。
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この世には、めったに勝てないけれど勝つときは大勝ちする一方、頻繁に負けるけれど負けは小さい、そんな賭けがある。もし、ほかの連中がそんな賭けに弱く、さらに自分には性格の点でも頭の点でもスタミナがあるなら、そういう賭けはする価値がある。
吹き飛ぶリスクが能力のフリをしている状況の中で自分がとる戦略を、ネロ(架空のトレーダー)は「血を垂れ流す戦略」と呼んでいる。長い間着実に、毎日毎日損をする。しかしごく稀に、何か事件が起こると、ものすごい儲け方をする。その一方で、どんな事象が起こっても絶対に吹き飛ばない。
彼は1987年の株式大暴落の年に大人になった。このとき、任されていた少額の資金で膨大な利益を上げた。彼のトラックレコードは全体で見るといい数字になっていた。20年近くトレードをやって、ネロがいい成績を収めた年は四回しかなかった。
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2000年以上前、ローマの弁説家にして、文学者、思想家、政治家のキケロがこんな話を語った。ディアゴラスは神を信じない人だった。彼は、神を信じる人たちが祈りを捧げ、その後船の遭難に出くわして生き延びた様子を描いた石版を見せられた。
絵を見せた人が言いたかったのは、神に祈れば生き延びられるということだった。ディアゴラスはこう尋ねた。「それで、祈って溺れて死んだ連中の絵はどこだ?」。
溺れ死んだ信者たちは、自分の経験にもとづいて歴史を書いたりはしないから、歴史に歪みが生じるのはこの負け犬の分だ。驚いたことに、歴史家とか人文系の学者といった、物言わぬ証拠をわかっていないといけない連中が、この概念に名前さえつけていない。
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「公平なコインがあると思ってくれ。つまり、投げたときに表が出る確率も、裏が出る確率も同じだ。さて、99回投げたら全部表だった。次に投げたら裏が出る確率はどれだけだろう?」。
几帳面で紳士的で、仕事に真剣なドクター・ジョン「くだらない質問だ。もちろん半分だ。オッズは50%で、一回一回結果は互いに独立だって仮定したよね」。
楽しんでお金を儲ける習慣を身につけている、社交的なデブのトニー「もちろん、1%もないよ。いい加減なことを言うな。コインには細工がしてあんだよ。公平なんてありえねえっちゅうーんだ(99回投げて99回表が出たコインが公平だという仮定が間違っている可能性が高い)」。
ドクター・ジョンは完全に枠の中でものを考える。与えられた枠の中だ。デブのトニーはほとんど完全に枠の外だ。二人の答えにはとても深い違いがある。私がプラトン的知識と非プラトン的知識と呼ぶ二種類の知識に根ざしている。ドクター・ジョンみたいな人たちは、月並な国の外で黒い白鳥を起こすことがある。