日本人のためのイスラム原論 小室直樹
1/9
たしかにコーランには「聖戦」(ジハード)という語が出てくる。コーランは「イスラム教徒にとって、その教えを広めるための戦争(ジハード)は義務である」と説く。
イスラム教では、イスラム教の主権が確立された地域を「イスラムの家」と呼び、それが確立されていない地域を「戦争の家」と呼ぶ。イスラム教徒は「戦争の家」を「イスラムの家」に変える努力をしなければならない。
しかし、これを聞いて恐怖を感じるのは、我々の頭に欧米流、キリスト教流の「侵略」イメージが作られているからに他ならない。これまでに見てきたように、歴史上、イスラム教徒が他宗教を弾圧したり、あるいは改宗を迫ったことはない。
2
モーセが神から呼び出されシナイ山に登り、キャンプを留守にしている間に、イスラエルの民が律法を破って偶像崇拝を行った。このことを知った神は怒り狂った。そしてモーセに対し「このような頑民(がんみん)どもは皆殺しにしてくれる」と告げた。
モーセは神を止めようとする。「ヤハウェよ、そのようなことをすれば、エジプト人たちが悪意を以て誹るでしょう。『イスラエルの神は、自分の民を皆殺しにするためにわざわざ彼らをエジプトから脱出させ、荒野に導いたのだ』と」。
このモーセの言葉を聞いて、ヤハウェはイスラエル人の抹殺をようやく思い止まったと、聖書は記す。
3
ます第一に注目すべきは、ここに現れている神は、紛れもなく人格を持っているという事実である。何か気に食わないことが起きれば、すぐ怒るのである。怒るだけならまだしも、すぐに人間を皆殺しにしてしまおうとする。人格神である。
もう一つ重要なのは、モーセがいかに対応したかということだ。神の怒りに対して、モーセは徹底的に合理的な対応をした。すなわち、言葉でもって神に語りかけた。生贄を捧げたり、呪文をとなえたりといった非合理的な対応をしなかった。
この合理性こそが、古代イスラエルの宗教をして特長づけるものである。古代イスラエル人の信仰は、やがてユダヤ教として成立し、それがキリスト教を産み出し、イスラム教を産み出した。この合理性ゆえに古代イスラエル人の宗教は世界史を変えることになった。
4
イスラム世界は三度にわたって、その盛時を迎えた。第一はマホメットの死後、いわゆる「正統四カリフ時代」。第二はいわゆるサラセン帝国(アッバース朝)の時代。そして第三は、オスマン・トルコ帝国、サファビー王朝、ムガール帝国の三国鼎立時代。
オスマン・トルコは東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルを我がものとした。そればかりか、彼らはバルカン半島を占領し、中欧の花と謳われたウィーンを陥落させる一歩手前まで行った。その領土は全ヨーロッパを合わせたものよりも大きかった。
ムスリムから言わせれば「ナポレオン、何者ぞ」である。欧米人は、ナポレオンを英雄だのと言っているが、あのコルシカ生まれの小男が支配したのはせいぜいフランス、イタリア、オーストリアぐらいではないか。
5
マホメットの死後、イスラム教の支配地域は急拡大して、現在のイラク、シリア、エジプトを包含することになった。ここまで大きくなれば、カリフ(預言者の代理人)の権勢は高まり、彼の懐は潤ってくる。
マホメットの教えによれば、人間はすべて平等である。豊かなものは貧しきものに喜捨するのがムスリムの義務である。ところがカリフは預言者でもないのに威張っている。金持ちだ。かくしてカリフはどんどん暗殺された。イスラム過激派の元祖はこうした暗殺者たちだった。
イスラムの分派の中で有名なのはスンニ派とシーア派だが、この両派が生まれるきっかけとなったのは、四代目カリフ、アリーの死(暗殺)であった。
預言者マホメットにつながるアリーの子孫がカリフになるべきだと主張したのがシーア派で、これに対して、マホメットが唯一の預言者なのだから、血筋は関係ないとしたのがスンニ派である。
6
ヨーロッパに対して圧倒的に優位に立っていたイスラムが、その圧倒的地位を失い始めたのは十七世紀になってからである。十八世紀になるとこの傾向は加速され、十九世紀に入ると、完全にイスラムはキリスト教社会に圧倒されるようになる。
エジプト、パレスチナ、レバノン、シリア、イラク、クウェート、リビア、アルジェリア、中近東からアフリカにかけてイスラム共同体は次々とヨーロッパ人の支配下に置かれた。さらにイギリスはインドのムガール帝国を、オランダはインドネシアを植民地にした。
いったいなぜ、このような大逆転が起きたのか。その理由は様々に挙げることができるが、ヨーロッパ人のみが世界の中で「近代」の扉を開いたことが最も決定的だった。ヨーロッパ人のみが近代資本主義を成立させ、近代デモクラシーを成立させた。
7
イスラムが近代化できないのは、なぜか。なぜヨーロッパだけが近代資本主義に到達できたか。
マックス・ウェーバーは近代資本主義発生の秘密を次のように喝破した。「近代資本主義の発展は、資本主義に徹底的に反対する経済思想が公然と支配してきたような、そういう地域でなければありえなかった」。
イスラム諸国では、いくたびも巨大諸帝国が興り、経済が殷賑をきわめることは珍しくない。イスラム世界は技術も高く、商業も発達していた。資金もあった。だが、それでもそこから近代資本主義は起きてこなかった。そこには金儲けを否定する思想がなかった。
8
キリスト教は、元来、資本主義に反対する経済思想を公然と掲げていた。商売は魂の救済を妨げる、危険なものである。貪欲こそが人間の大罪である。事実、中世のキリスト教会は、カネを貸して利子を取ることを禁止していた。
イスラムは都市から興った。マホメットが拠点としていたのは商業都市として栄えていたメッカやメディナである。そのような都市の宗教が、経済活動を禁じたりするはずもない。アッラーの神は「勘定高くおわします」。アッラー自身が商売上手を誇っている。
宗教改革以後、クリスチャンの間には「行動的禁欲によって天職を遂行すれば、救済される」という思想、もっと分かりやすく言うならば「労働こそが救済である」という思想が確立した。
この「労働こそが救済である」という思想こそが、「資本主義の精神」の母体となったのだというのが、ウェーバーの指摘なのである。資本主義はプロテスタンティズムを媒介として誕生した。
9
イスラムでは、現世に起こることはすべて「天命」(カダル)であるとする。アッラーがすべてを決めているというわけだ。すべては「アッラーの思し召しのままに」、つまり宿命である。これをアラビア語で「インシャラー」という。
「何かを約束する。その約束は必ず守る。けれども、いつ、その約束を履行するかは、当然、努力はするけれども、インシャラーなのである」。『私のアラブ・私の日本』(ユスフザイ)
イスラムでは、アッラーの前にはすべての人間は平等である。本来人間の上に立つ「王」という存在も、また、そもそも「国」という概念も認めない。イスラム世界はどこまでも一個の共同体であるはずなのだから、そこに国家といった世俗的な概念が生まれるのはおかしいのである。
イスラム世界が近代化を徹底しようと思えば、イスラム教そのものを捨て去るしかない。そんなことをすれば、これはキリスト教にイスラム教が負けることに他ならない。この矛盾、この苦悩。20世紀初頭のトルコ革命からこのかた、イスラム社会はこの大矛盾の中で揺れ続けてきた。