『GOTTA!忌野清志郎』 連野城太郎 1989年06月 株式会社角川書店
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(著者)
僕はある時から忌野清志郎という人間と友達になった。友達ってのもなんか変な言い方だけど、とにかく僕はあの有名な清志郎と知り合いになったのだ。プライベイト・ナンバーだって知ってるから気軽に電話もかけられる仲だ。
清志郎はあまり物にこだわらない人なので、僕にボソボソと言葉少なにいろいろ彼自身のことを語ってくれる。結構、普通の人だったら喋らないようなことまで平気で彼は語る。ただ自分からベラベラ喋るというのではなく、僕がズケズケ質問することに断片的に答えるのだ。
僕は、この本を書くにあたって、まず彼(清志郎)の切れ切れの言葉の断片をつなぐ作業から始めた。言葉の間合いとか呼吸をそのまま活字にするのって思ったより大変な作業だった。
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金田さんは『ヤング720』の時知り合ったんだよ。当時、彼は大学生だったと思う。よくテレビ局とかでバイトして、たぶん、そんな形でTBSとかに出入りしてたんじゃないかな。その金田さんがよくコンサートなんかを企画して、RCを出演させてくれたていた。
金田さんが言ったよ、「プロになれ」って。オレたちも決断する時がやってきた。進学はあきらめている。就職する気はない。やるっきゃないよ、プロになろうってオレはふたり(リンコ、ケンチ)を説得した。そして、さっさと、とにかくレコーディングだけはすることにした。
「お墓」とか、すでにオリジナルはいっぱいあった。そんななかから「宝くじは買わない」と「泥だらけの海」が選ばれた。いや「宝くじ~」はレコーディング用に新たに作ったのかな?確かビートルスの「レボリューション」みたいなリズムにしようなんて言ってた。
とにかく、オレたちはホリプロと契約、初めてプロダクションってもんに所属して、三万円っていう給料をもらうことになった。ホリプロが作った新しいセクションにまわされ、O氏がそこを取り仕切るようになった。
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あの頃(1972)音楽雑誌っていうと『新譜ジャーナル』と『Gut’s』…それくらいしかなかったんじゃないかな。フォークグループはいっぱいいたね。オレたちはそんなのに混じって、汚ねぇカッコウしてグラビアなんか出てたよ。ほかのやつらとわけへだててほしかったからさ。
「ぼくの好きな先生」は、初めてのLPからのカットだった。「青い森」、それに「ジァン・ジァン」でわりと人気が出てきたし、ラジオでも評判がよくなりだしてた。ただラジオの司会者とか、スポンサーにはあまり評判よくなかったんじゃないかと思う。
『ライオン・フォーク・ビレッジ』だって、最終的にはオレたち締め出されたもんね。あの番組はライオンの提供でさ、バイタリスかなんかのCMやってんのよ。それでオレたちは本番中に「MG5」を使ってます、なんていっちゃったもんだから。
番組終わってディレクターがすっ飛んできたよ。そんなにいけないこと言ったかなって、ぜんぜんオレは反省してなかった。でも、トラブルメーカーだったんだよね。人が勘にさわるようなこと言ったり、傷つけたりするの得意だった。なんに対してあんなに不満だらけだったのかな。
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「ぼくの好きな先生」がヒットする前後、オレたちは初めての全国ツアーみたいなのを経験したよ。楽しかった。モップスがメインでさ、RCとか井上陽水が前座。日本中いたるところをまわったよ。ホリプロ三羽ガラスでさ。
「ぼくの好きな~」以降、あんまりパッとしなくなってたけど、ダラダラやるの嫌いじゃないし、金がないこともそんなに気にならなかった。ドン底になるのはもうちょっと後だね。で、このツアーで陽水とも親しくなったのかな。
でも、陽水のおかげでオレの書いた曲(『帰れない二人』、『待ちぼうけ』)の印税がドバっと入ってきた。『氷の世界』売れたからね。五、六百万は入ったんじゃない。デカイよ、これは。当時の貨幣価値からして脅威だったよ。RCの楽器買ったりしたよ。それから…まっいいか。
銀行から金おろして、戸棚に入れておいたよ。毎日そこから何万円かワシづかみにして出かけた。そんなルーズな生活だからね、あっという間にその金もなくなったよ。オレたちはますます底辺に沈んで、陽水は上り詰めて…、もう誰もがオレたちのこと忘れていった。
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陽水が売れ出してからは、オレたちは相手にされなくなった。それまでRC、RCって言ってたO氏はぴったり陽水にくっついちゃって、オレたちは孤立した。オレたちは陽水とかアリスの前座やってる間に曲がたまってきててさ、そろそろレコーディングしたいなって思ってた。
丁度それぐらいから『シングル・マン』のレコーディングは始まった。でもこの時から、本当にオレたちの活動は中止せざるを得ない状況に追い込まれるの。O氏と陽水がホリプロをやめたの。それで新しい事務所を作った。ところがRCはあと1年ホリプロとの契約が残ってた。オレたちはホリプロに繋がれたまま、一切仕事を与えられなかった。
それでもオレたちもう、レコーディングにはとっかかってたから、ホリプロに内緒で作業だけは進めてた。タワー・オブ・パワーが来日中だったから、そいつらをセッション・マンとして使った。星(勝)さんとか頑張ってくれたけど、オレはもっと荒っぽいカンジでやりたかった。
『シングル・マン』は結局次の年の三月くらいまでレコーディングやってた。作品的には気に入ってる楽曲ばかりだからね。こりゃけっこう衝撃的なアルバムだぞって思った。ところがホリプロとのいざこざはまだ続いててさ。最終的にこのレコードは出せなくなっちゃたんだ。『シングル・マン』が陽の目を見たのはそれから一年後だよ。もうオレたちでさえ新譜だなんて実感はなかった。
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プロになったわ、売れないわ、お定まりのバンド・マン・コースみたいな生活だよ。それこそヒモ。適当に金借りたりして、当然返せないわけだし。芸術家はアルバイトなんかしちゃいかん、そんなゴタクならべてさ。得意そうな顔して女から金せびったりしてた。
もう誰も考えつかないメロディー展開やら奇をてらったコード進行、たぶん、それが高度な音楽ってヤツだとうぬぼれてたと思うんだけどね。そんな音楽作りやってたから、ステージでの再現は困難になってくるし、まして演奏技術やら編成やらがそれに追いついて行かなくなったわけ。
オレたちはますますもって偏屈な音作りを追及するようになって、アコースティックなものからエレクトリックに変わったりして、もうグシャグシャになっていた。あの暗黒時代はそういった音楽をうまく表現できなくて、そのまま出口が見つかんなくなってた。
そんなRCの最悪時期、ケンちゃんがだめになった。自分でいろんなことをしょいこんじゃって。そのあたりは日隈と似てるかもな。一緒にステージに上がっててもギターが弾けないわけよ。ケンチはギターは持ってるんだけど、ぜんぜん弾かないわけ。立ってるのがやっとみたいな・・
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石井の親父の怒りはそれでもおさまらなかったみたい。
オレが実家に戻ったら親父が言うわけ。「変なオヤジが怒鳴り込んできたぞ」って。で、いろいろ事情説明してさ「いやぁ結婚したいんだよねー」ってオレ。協力してくれると思ってた。オレの親父言ったよ「バカも休み休み言え。オマエなんかどうやって結婚して生活していくんだ」って。
その時、思ったよ。もしオレがスターだったらなぁって。やっぱり売れなきゃいけないんだって真面目に考えた。それが後の『ラプソディー』につながっていくんだ。それまで自己満足というか、より音楽的に、なんて思ってた自分の頭を切り変えることにした。
本気で売れたいって考えはじめたよ。よし、シンプルなものをやろうって。ストーンズ聴いたのもその頃。ただのロックン・ロールをやろうと思った。簡潔に、そしてわかりやすく、石井のために真剣にそれを実行することにした。「ラプソディー」「雨上がりの夜空に」「モーニング・コールをよろしく」--新しい曲をどんどん書き始めた。
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早弾きとかよりリズム。そんでいてRCになれるヤツ。やっぱりそういうのってチャボをおいてほかには考えられなかった。でも障害がひとつあった。古井戸ってグループだよ。チャボがRCに来るってことは古井戸やめるってことだから。チャボはそういうことが出来ない人なのよ。
加奈崎がソロLP作るって訊いた時、おれは「よし、それじゃあ、加奈崎をひとり立ちさせてチャボをいただこう」って考えた。だからこのLPに協力してくれって言われた時、すぐOKの返事したよ。オレ一生懸命曲を作ったよ。門谷の作詞でさ、仮歌とかオレが入れた。
チャボといっしょに「雨上がりの夜空に」を作ったのもそのころだよね。オレは暇にまかせて手紙を書き続けたよ。一緒にやろう、リズムを決めたグループにしようぜって。チャボがRCに入れば絶対、RCは立て直せるって思ってたしね。
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(著者)
「屋根裏」。リンコさんのベースでステージはスタートした。それに合わせて客が手拍子する。Gのコードをチャボがジャカジャーンとカッティングして曲がドライブし始めた。ハジけるように清志郎が登場した、ハンチングを深々とかぶり、そして大きなマスクをしている。マスクの上からタバコを吸うもんだから、その白いガーゼ状の布はヤニで変色していく。
清志郎は天井に向かって何度も煙を吐いた。そしてハンチングとマスクを自らむしりとると、薄っすら化粧した狂犬みたいなとんがった清志郎の顔があらわれた。髪の毛を板前ぐらいに短くし、ツンツンに逆立てていた。そして思い切り「よォーこそ」と歌いだした。もうその一言で、僕は全身からアドレナリンが吹き出した。
一年前、よどんだ水槽の中で死にかけていた酸素不足の魚みたいだった清志郎。その時とは別人なくらい彼はリフレッシュされていた。安全カミソリでスパッとやられて血がにじみ出す瞬間みたいだ。やばい、血が出る、痛みが襲いかかってくるぞってくらいヒリヒリしてた。
この時のRCは近寄れば刺されるくらいギリギリの追い詰められた緊張感があった。まだ未完成でゴツゴツしてたけど、全体からオーラみたいなエネルギーが発散していた。噴火寸前の火口の中ってこんな感じなんだろう。まるで地獄を見たような気がした。