ロックで独立する方法(忌野清志郎)

『ロックで独立する方法』 忌野清志郎 2009年8月 株式会社太田出版
 


 
 
 

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「ミュージシャンになりたい」と「こういう音楽がやりたい」とでは、全然意味が違う。「どんなミュージシャンになりたいの?」と訊かれて「イヤー、ナントカみたいな」という言い方しかできなくなっているんじゃないかな。ロックを学校で教わるっていうのは、そういうことのような気がする。
 

迷わずどこでも演奏できたのは、仕事を選べなかったからじゃなくて、とにかく自分たちの作品や演奏に自信があったから。とにかく自信だけは過剰なほどあった。そういう自信がなけりゃとてもやってこれなかったと思う。それがなきゃ裏方に回った方がいい。
 

「力がないんだ、世間のせいにしちゃいけない」って必ず誰か言うことになっている。でも、それで簡単にこちらが納得しちゃったら、これはもう世間に合わせる方向に行くしかない。そう簡単に反省しちゃいけないと思う。自分の両腕だけで食っていこうって人が。
 

実際、世間も悪いし、レコード会社も悪いんだって責任転嫁もできるし、事務所が弱いんだっていう場合もあるかもしれないし、いや、お客が馬鹿なんだとかね、でも、そっちの方がオレなんかは、ホントのような、真実味があるような気がするなあ。
 
 
 
 

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アヴァンギャルドに走るのはイヤだ、売れないし、だけど、たとえ売れるにしても、ポップに流れて売れセン狙いになるのも絶対イヤだ、と。そういうジレンマの中で揺れ動きながら、自分たちだけのスタイルやオリジナリティを模索していくしかなかった。
 

キミたちにも、そういうスリリングな部分を楽しんでほしい。アヴァンギャルドとポップの綱渡り。歌詞にしても「他人がまだ何を歌ってないか」を探してほしい。まだまだ歌われていないことは山ほどある。
 

たとえば、『雨上がりの夜空に』はそんな曲だったんだ。あの後、ああいう曲がやたらいっぱい出てきた時はビックリしたしブキミだった。で、なんだかくだらねえなって思い始めて『カバーズ』みたいなことをやりたくなっちゃったんだけどな。
 
 
 
 

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高校時代のオレが「ロックで独立」したいという初志を貫徹するために実行していた、あるイメージトレーニングがある。実際はイメージトレーニングなんていう大層なものじゃないが、結果的にイメージトレーニングと似たような効果があったと思う。
 

その方法とは、なんのことはない、自分が将来「ロックで独立」してバンドで大活躍しているイメージを、ただマンガに描くことだった。(中略)その中のバンドはビートルズのアップルみたいに、自分たちのレコード会社を設立して、好きなように音楽活動をしているんだ。
 

つまり「具体的に夢を描ける」っていうことだ。「女にモテて贅沢三昧」みたいなボンヤリとしたなんとなくの抽象的イメージじゃなくて、ハッキリと絵にできる具体的な物語としてね。本気でやりたいなら、描けるはずだと思う。
 
 
 
 

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マンガの中でも、自分はバンドマンだった。ソロ・アーティストでもなく、シンガー・ソングライターでもなく、あるひとつのバンドのメンバーだったんだ。自分の夢は「バンドマンでありたい」だったわけだ。これは決定的なことだった。
 

あちこちでバンド活動を続けて、そうやって場数を踏むごとにバンドにハマっていった。ほとんど電車で移動していたんだけど、帰りの電車で三人で盛り上がって「素晴らしい!」とか自画自賛してた。「バンドマン」をやり続けたいと思い始めたのは、まさしくあの頃だった。
 

ミュージシャンやソングライターとして自分の音楽を聴いてもらえる喜びよりも、まずバンドマンであることの喜びを体験してしまった。前に「決定的なことだった」と言ったのは、つまりこういうことなんだ。
 
 
 
 

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デビュー盤の『宝くじは買わない』を自分の耳で初めて聴いた時、最初の「夢と現実のギャップ」を体験した。まさしく「こんなはずじゃなかった」な音だった。「オレたちはこんなにカッコ悪い音楽を演ってた覚えはない」と。
 

まさか「音楽を演る人」と「音楽を聴く人」との間に、第三の人間がしかもこんなにうじゃうじゃ蠢(うごめ)いているなんて想像もできなかった。それが音楽業界という魔界だ。
 

たとえば著作権、版権問題。自分で作ったものの権利が一生自分のものにならない契約なんて信じられるかい?だって全部オレがつくったんだぜ。歌っているのも演奏しているのもこのオレなんだよ。それがなんで一生「オレのもの」にならないんだ。なんで一生返してもらえないんだ?
 

「ここんとこの音に苦労したんだよ」とか「こういう録音で初めてこんな音ができたんだ」とか、そういうこともミュージシャンの中では歌詞とおなじくらい、いや、それ以上に重要なんだよ。でも、音楽ジャーナリズムは、なぜか、そういう方向にはなかなか行ってくれない。
 
 
 
 

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『僕の好きな先生』がヒットしたころコアなファンがけっこう付いた。まだ未熟者だったから「ああ、ファンとはなんてありがたいものか」と舞い上がっていたんだけど、古井戸が『さなえちゃん』でブレークしたとたんに、あっという間ファンが離れていった。これは正直ショックだった。
 

メジャーになっちゃったからとか、もう自分も若くないからとか、そろそろ飽きたとか、他に興味が移ったとか、なんとなくとか、そういうことでファンが自分から離れていくのを三十年間肌で感じ続けた。だからオレはファンを信じてなんかいない。
 

ミュージシャンの虚像と実像も確かにわかりづらいけど、こちら側から見れば、ファンの虚像と実像はもっとわかりづらい。だって全体像が見えないんだから。三十年間やっててもさっぱりわからない。
 
 
 
 

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おまえは数字の奴隷かってくらい、音楽に限らず、作り手と消費者の関係が流通システムに支配されていく。だから、そういう隙間を嗅ぎ分けていく、見つけていく、創り出していくことも独立の目的なんだ。
 

GLAYのコンサートに何十万人集まったとか、B’zのベストアルバムが何百万枚だとか、だれそれの売上が何十億だとか。でも、そこで何が歌われているのかとかの、音楽の話はまったく出てこない。つまり、あれは音楽の話題じゃなく統計の話題にすぎないんだ。
 

ミュージシャン側からの仕掛けがもっとあっていいと思うんだ。「あえて物議をかもすような挑発的なことを歌う」とか「問題になることを見越してわざとタブーを犯してみる」とか、ロックにはそういう要素が確実にあったはずなんだ。
 
 
 
 

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最近、オレ、自転車のツーリングにハマちゃってて、みんなで「どっかまで行こう」と決めて走ってる時は、全然意識が違ってくる。ちょっと辛くなっても、とにかくみんなで目的地まで行かなくちゃ」っていう意識になるんだよ。
 

なんかそういうところが「あっ、RCがブレークしてステージでむちゃくちゃ演ってたころの『あの感じ』に似てるんだなあ」と思ったんだ。そう、あの感じ。
 

もうすっかり忘れていた「あの感じ」を自転車で思い出したんだ。急な坂道を登ってく時なんか、もう汗だくになって心臓が飛び出しそうになる。そんな時、独りだったら「もうやめた」になるんだけど、仲間と登ってる時はそう簡単にやめられない。
 

あれは独りじゃ絶対できない。独りでやることと「独立」とは違う。互いに「独立」している仲間がいること、それが最高なのさ。「あの感じ」がある限り、まだまだやっていけると思ってる。