『ユダヤの商法』 藤田 田 1972年5月 KKベストセラーズ
「この本は『銀座のユダヤ人』と自他ともに認める商人が書いた、(略)本邦初の画期的な実用経済書である」とは、あとがきでの著者ご本人の弁である。法律なんてものは、どうせ人間の作る不完全なもんだからそこへ着目しなくちゃならん、とも言う。戦後の復興期には鼻息荒い政治家や、商人がたくさんいたが、この人もその代表的な人物であろう。勢いがある。半分、見倣いたい。
藤田田(ふじた でん)1926年大阪生まれ。東大法学部卒業、前年に「藤田商店」を設立。1971年「日本マクドナルド株式会社」を設立。2004年4月21日(78歳没)
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自由社会のシンボルのキリストがユダヤ人であれば、共産主義の”神様”マルクスもユダヤ人である。「資本主義と共産主義のにらみ合いも、いってみれば、二人のユダヤ人の思想の対立にすぎません。どちらもわれわれの同胞ですよ」。米ソがにらみ合うたびに、ユダヤ人はこういう。
ユダヤ人は銀行預金すら信用しない。キャッシュは利息がつかないからふえることもない。しかし、銀行預金のように証拠はないから、遺産相続でごっそりもっていかれることもない。ユダヤ人にとっては「減らない」ことは「損をしない」という初歩的な基本なのである。
ユダヤ人のデーモンド氏が見せてくれた(貸し)金庫は壮観だった。金庫の中は各種紙幣と金塊が詰まっている。日本円に換算してざっと、二十、三十億円はあったと思う。デーモンド氏は、銀行へ”預金”しているのではなく、安全に”管理”させているだけなのだ。
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ユダヤ商法には基礎になっている法則に「78対22の法則」がある。ユダヤ人的に言うならば「貸したい人」78に対して「借りたい人」22の割合でこの世は成り立っている。
私は、学生時代に英語をマスターしたおかげで、今日「銀座のユダヤ人」と言われるほどの、いささかの富と国際商人としての地位を得た。英語がしゃべれるということは金儲けの第一条件である。
ユダヤ人は雑学博士である。専門家に近い知識を持っている。「商人はソロバンさえできればよろしい」物事をひとつの角度からしかながめられない人間は、人間としても半人前だが、商人としても失格である。
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ユダヤ人は商談でケンカ別れした翌日、ケロリとした態度で、ニコニコ笑いながら「グッド・モーニング」とやってくる。どなりたい気持ちをかみころし、平静を装いながら手をさしのべると、七分通り敵の術中におちいる。
「人間が存在しているのは、神と存在の契約をして生きているからだ」ユダヤ人はそう信じている。「人間同士の契約も、神との契約同様、破ってはいけない」ユダヤ人はそういう。契約書は神との約束なのだ。
ユダヤ人の他人に対する最高の好意の表現は、豪華な食事への招待である。あらゆることを話題にして食事を楽しむが、戦争と宗教と仕事に関する話は、絶対にしてはならない。
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国内外の同業者は私のことを “銀座のユダヤ人” と呼んでいる。私はそう呼ばれることに満足し、自分でもそう名乗ってはばからない。私はユダヤ商法を踏襲し、ユダヤ商法を私の商法としている。根底において私は日本人であることを誇りにしているが、商人としてはユダヤ商人で結構だと思っている。
今日では、各国のユダヤ人すら私を “銀座のユダヤ人” と呼び、ジェンタイル(異教徒)に対する態度とは違った、仲間に対する態度で接してくれる。世界各国で貿易の実権を握っているのは全部が全部ユダヤ人である。私が各国の貿易商と取引する上で、”銀座のユダヤ人” という肩書がどれだけ役に立っているか、はかりしれない。
もっとも、ここに至るまで、私はユダヤ人から、踏みつけられ、笑われ、そしてあざけられたことは枚挙にいとまがない。しかし、私は、かつてユダヤ人たちが耐えてきたように、それに耐え抜いた。そして最も苦しかったある事件を耐え抜いたとき、ユダヤ人から “銀座のユダヤ人” と呼びかけられた。
昭和43年、私はアメリカンオイルからナイフとフォーク300万本を受注した。私はさっそく関市の業者に製造を依頼した。業者の進行がはかどらず、8月27日にできた品物を9月1日の納期に間に合わせるには飛行機しかない。シカゴ-東京間をチャーターすれば3万ドル(当時1千万)かかる。私はあえて飛行機をチャーターした。
ユダヤ人が支配しているアメリカンオイルと契約したからには、意地でも納期に間に合わせたかった。一度でも契約を破った相手を、ユダヤ人は絶対に信用しない。製品が遅れたのは私の責任ではないが、ユダヤ人は弁解は聞かない。彼らはつねに「説明無用」なのである。
翌年、今度は600万本の注文がきた。600万本は関市始まって以来の大量注文である。ところが、これがまたもや遅れたのだ。私は再び飛行機をチャーターした。二度に渡る飛行機のチャーターで私は大損をした。しかし、その飛行機代で、私は買えるはずのないユダヤ人の信用を買ったのだ。
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ユダヤ人は金曜日の夜から土曜日の夕方まで、禁酒禁煙禁欲と、すべての欲望を絶って休息に専念し、神に祈りを捧げる。この日、ニューヨークの自動車の交通量は半滅するといわれるほど、ユダヤ人は厳格に休息の掟を守っている。
二十四時間、たっぷり休息して、土曜日の夜からが、ユダヤ人のウィークエンドである。休息を十分にとったあとで、今度は悠遊と週末を楽しむのである。働くばかりではいずれ健康をそこね、人生の目的である快楽を味わえなくなることを、ユダヤ人は長い歴史を通じて知っているのである。
日本のサラリーマンは満足に食事もせずに連日の残業に耐え抜いている。昼食はザルそばで軽くすませ、一週間せっせと働き、休日は家族に追い立てられて渋滞街道へドライブに出かけなければならない日本人の哀れさは、いったいどう受けとめたらいいのだろう。
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ユダヤ人は隠居をしない、仕事から引退しない。ユダヤ人には「先祖代々」という観念が徹底している。一世代四十年の単位で仕事をしている日本人は、息が短いと言わざるを得ない。
頭さえ使えば、金の儲かることはゴロゴロころがっている。儲かるタネはいくらでもある。ザクザクある。それなのに金儲けのできないヤツは、アホで低能で、救いがたいヤツである。
法律なんてものは、どうせ人間の作るものだ。ユダヤ式に言えば、60点すれすれで合格したような不完全な法律ばかりである。そこへ着目しなくちゃならん。法律の欠陥や、法律の隙間にはキャッシュがぎっしりつまっている。
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ユダヤ人は名所旧蹟に対しては、さして関心を示さないが、他人種や他民族の生活や心理、歴史に対しては、専門家以上の好奇心を示して、その民族の裏側まで、のぞき込もうとする。
こうした好奇心は、ユダヤ人の長年の放浪と迫害の歴史からくる他民族への警戒心であり、自己防衛本能のなさしめる悲しい習性かもしれないが、このユダヤ人の好奇心がユダヤ商法の大きなバックボーンになっていることは否めない。
ユダヤ人は自分が納得するまで質問の手をゆるめない。納得してから取り引きする、これは、ユダヤ商法の鉄則でもある。「敵を知り、己を知れば百戦して危うからず」とは孫子の兵法である。ユダヤ人は孫子の兵法すら、先刻ご承知なのである。
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昭和46年7月、私が取締役社長に就任した「日本マクドナルド社」が銀座三越の一階にハンバーガー店を開いた。三越側の計算では売上は一日十五万円。いざフタをあけてみて、私は仰天した。百万円の売上を記録したのだ。それも連日である。
「日本人は米と魚を食べる国民だから、パンと肉のハンバーガーは売れやしないよ」。日本人は米を食べるもの、という既成観念に捉われすぎている人に、ハンバーガーが売れるという先見の明は絶対に備わっていない。
一日にハンバーガーが一万個売れるということは、売れる時間にピークがないということ、一日中売れているのだ。つまりハンバーガーはお菓子でも主食でもないが、同時にお菓子でもあり主食でもあるのだ。家族で行けばファミリーレストランにもなるわけだ。
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ユダヤ商法の第一の商品が「女」で、第二の商品が「口」であることは繰り返し述べてきた。おわかりなると思うが、私は意図的にハンバーガーで「女」と「口」を狙ったのである。ユダヤ商法の五千年の公理が教えている。
私はこれまで女性のアクセサリーやハンドバッグの輸入に主力を置いてきた。デパートは一階にアクセサリーやハンドバッグを置くべきだ、と叫んで、全国のデパートの一階にアクセサリーやハンドバッグの売場を設置してきた。
マクドナルドは世界に二千店の店舗を持ち、1万ドルの補償金を納めた人に、二割の利益を保証して営業させている。私はそのような方法で、補償金は形式的に十万円とし、全国に五百店舗作る予定である。そうやって国際的視野を持った新しいユダヤ商人を、作りだしていきたい。
※2016年時点、マクドナルドの日本での店舗は約2900店