『書くことについて』スティーヴン・キング 2013年7月 株式会社小学館
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あるとき、私は自分が書いたものを母に見せた。母は魔法にかかったみたいだった。そのときの驚きの表情と微笑はいまでもよく覚えている。私は大得意だった。だが、次の母の言葉は、自分で考えたか?だった。私はそれが人気コミックの引き写しであることを認めた。母はがっかりし、私はしょんぼりした。
そのあと、私は自分で書いた。四匹の不思議な動物がおんぼろ車を乗りまわし、行く先々で可愛そうな子供を助けるという話だ。リーダーは大きな白ウサギのミスター・ラビット・トリックで、おんぼろ車の運転手でもある。長さは四ページ。
「これは真似じゃないのね」読み終えると母は訊いた。私はちがうと答えた。これなら本にできる、と母は言った。以来、今日にいたるまで、これほど私を幸せにしてくれた言葉はない。私はミスター・ラビット・トリックとその仲間の話をさらに四篇書いた。
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『キャリー』には問題が四つあった。第一に、これはさほど重要ではないが、ストーリーに感動的なものがないこと。第二に、これはいくらか重要なことなのだが、主人公に惹かれるものがないこと。キャリー・ホワイトは頭の回転が鈍く、引っ込み思案で、いかにもといった感じのいじめられっ子である。
第三に、さらに重要なのは、女の子ばかりの集団の実態がよくわかっていなかったこと。肌が触れるほど近くにあるものを書くことを求められるところで、脱ぐに脱げないゴムのウェットスーツを着ているようなものだ。第四に、これがいちばん大きな問題なのだが、このストーリーだと、当初考えていたよりずっと大部なものになるとわかったこと。
しかも、その中になぜかパンティをはき忘れたチアリーダーのエピソードも挿入しなければならない。そのようなシーンが入ってないと、読者は本を買ってくれないのだ。二週間、場合によっては一カ月かけて、売れないとわかっている原稿を書くわけにはいかない。だから、ボツにするしかなかった。
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翌日、学校(職場)から戻ってみるとタビー(妻)がそれを手に持っていた。屑かごを空にしようとしたときに見つけたので、くしゃくしゃになった用紙を広げて読んだという。この先が知りたいから、ぜひ書き続けてほしいとのことだった。「この作品には何かがある。請けあってもいいわ」。
私はどうしてもキャリー・ホワイトが好きになれなかった(略)とはいいながら、この作品に何かがあるのは間違いないように思えた。ここが人生の正念場のような気がしてならなかった。行間のスペースなしで五十枚ほど書き進んだあたりで、私にもわかりかけてきた。
私は自分の高校時代の記憶を懸命にたぐり寄せた。頭に浮かんだのが、いつもみんなから嫌われ、除け者にされていた二人の女子生徒だった。その二人は(略)まわりの者にどんな扱いを受けていたか。そういったことを思い出すのは、その後の作家生活のなかでもあまり経験したことのない不快感を伴う作業となった。
ある日、ダブルディの編集者ビル・トムソンから電話がかかってきた。「いま椅子に座っているかい」と、ビルは訊いた。「いいや」私は答えた。「すわった方がいいかな」。「その方がいいかもしれない。『キャリー』のペーパーブック権のことなんだが、シグネット・ブックスに四十万ドルで売れたよ」。
私は一言も発することができないでいた。ビルは笑いながら、そこにいるかと訊いた。
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ある夏の日、私はオーレン伯父が家の勝手口の壊れた網戸を取り換えるのを手伝ったことを覚えている。あれはたしか八歳か九歳のときのことだったと思う。新しい網戸をターザン映画の現地人のように頭の上に載せて家の裏手に歩いていった。
勝手口に着くとオーレン伯父は大きなため息をついて道具箱を地面に降ろした。それは私と兄がふたりがかりで持ち上げようとしても、ほとんど動きもしないくらい重い。ふたりともまだ子供だったが、それでも中身を含めると80ポンドから120ポンドはあったにちがいない。
網戸が固定されると、オーレン伯父は私にドライバーを渡して、道具箱へ戻してくれと言い”彼女にラッチ(留め金)をかけておいてくれ”と付け加えた。私は言われた通りにしたが、なんとなく釈然としなかった。ドライバー一本で用が足りるなら、道具箱をここまで持ってくることはないではないか。
「でもな、スティーヴィー」伯父はかがみこんで道具箱の取っ手を握った。「ここに来てみなきゃ、他にどんなことをしなきゃいけないかわからない。だから道具はいつも一式持っていたほうがいいんだよ。そうしたら、予想外のことに出くわしても、おたおたせずにすむ」。
ものを書くとき、自分の力を最大限に発揮するためには、自分専用の道具箱をつくって、それを持ち運ぶための筋肉を鍛えることである。そうすれば、何があっても、あわてふためくことなく、いつでもしかるべき道具を手にとって、ただちに仕事にとりかかれる。
必要な道具はもうあらかた揃っていると思う。けれども、道具箱にしまう前にもう一度点検したほうがいい。それが新しいものであるか、古いものであるかをひとつひとつ調べて、使いものになるかどうかを確認し、錆びていれば、きれいに磨かなければならない。
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もう一度、書棚から本を取り出すとしよう。そこに書かれていることをまったく読んでいなくても、その重さはあなたに何かを語りかけてくるはずだ。本の長さはもちろんだが、作家がその一冊を書くのに注ぎ込んだものと、読者がその一冊を読むのに費やさなければならないものの大きさである。
単語はセンテンスをつくり、センテンスはパラグラフをつくる。時としてパラグラフは胎動し、息づき始める。実験台上のフランケンシュタインを頭に思い浮かべていただきたい。突如、稲妻が走る。空からではない。ちっぽけなパラグラフからである。
それはあなたの渾身の作であり、華奢で弱々しいが、想像を絶する可能性を秘めている。それが見えたときの驚きは死者の身体を集めてつくった造形物が黄色い目を見開いたときのヴィクター・フランケンシュタインの驚きと同じだ。
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ミューズは書斎へ舞いこんで、タイプライターやコンピューターに魔法の粉を振りかけてくれない。彼は地の神であり、地下室の住人である。こっちから地階に降りていくしかない。そこに着いたら彼のために部屋の模様替えをしなければならない。
つまり、彼が何もせずにふんぞりかえって、葉巻をくゆらせたり、ボウリング大会のトロフィーを眺めたりしているときに、あなたはあくせくと立ち働かなければならないということだ。フェアじゃないと思われるかもしれない。でも、そんなことはない。
見てくれも愛想も悪いが、彼にはインスピレーションがある。あなたは血のにじむような努力をし、研鑽を積むことを求められている。葉巻をくゆらせている男は、小さな翼と魔法のバックを持っている。バックの中には、あなたの人生を変えるものが入っている。
たいていの場合、ミューズは女性だが、私の家にいるのは男である。あしからず。
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1980年代のはじめ、私たち夫婦はロンドンを訪れた。行きの飛行機のなかで、私はある人気作家の夢を見た。その作家は熱狂的なファンの女(アニー)に捉えられ、人里離れた農家に監禁されていた。その女はパラノイアで、家畜小屋にはミザリーというペットの豚がいる。
夢から覚めたとき、私の頭には、女が奥の寝室に閉じ込められている作家に向かって言った言葉が鮮明に残っていた。私は忘れないうちにそれをアメリカン・エアラインの紙ナプキンに書きつけて、ポケットにしまった。そこには素晴らしい小説のアイデアが書き記されていた。
怖いが、滑稽でもあり、風刺がきいている。(略)私は何杯もの紅茶を飲みながらルーズリーフノートに16ページ分書いた。ストーリーはまったくできていなかった。正確に言うなら、手書きの16ページ分を除いては。地中に埋もれた化石という形で存在していた。
話しが終盤に差し掛かったとき、私はアニーに恐怖と哀憫を覚えるようになっていた。そこで描かれたいかなるディテールも出来事も、プロットから生まれたものではない。最初に設定された状況から自然発生した有機物であり地中から掘り出された化石の一部だ。
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描写は読者をストーリーに感覚的に関与させるものである。巧みな描写にはそれなりの技術の習得が必要になる。それ故に、多く読み、多く書かなければならない。そこで問われているのは描写の質と量である。量に関しては多く読むことが助けになり、質に関しては多く書くことが助けになる。
描写は読者に体験させたいものをビジュアル化することに始まり、それを文字にすることで終わる。人はよくこんなふうに言う。「いやあ、あまりにも素晴らしすぎて(あるいは、怖すぎて/奇妙すぎて/面白すぎて)言葉にできない」。けれども、作家として成功したいのであれば、なんとかそれを描写し、読者の胸に突き刺さるようにしなければならない。
私に言わせるなら、優れた描写というのは、すべてを一言で語るような選び抜かれた少数のディテールから成り立っている。そして、それは、頭に真っ先に浮かんだものであることが多い。