『敗者復活』 ドナルド・トランプ/ケイト・ボナー 小林龍司(訳) 1999年4月 日経BP社
1/9
いつでも1980年のあの日のことが思い出される。五番街57丁目にトランプ・タワーの建設が始まった。まだ建築が始まったばかりだというのに、それまで誰も見たことがないような賃料で契約を取っていた。現場を見上げているとき、ジェリー・スペイヤー(不動産業)が私の肩を叩いた。
「市場の動きには気を付けたほうがいい。市場が大きく動き出したらビルの値崩れなど早いものだ。いくら高級マンションでも、そのセールスバリューがあっと言う間になくなってしまうことがあるのだ」。
11年後の1990年、市場価格はものすごい勢いで下落していった。ニューヨークで最高と言われるビルでさえ、価格がまっ逆さまに下がっていった。マンションは信じられない価格で売られるようになった。それは全く大災害と呼ぶにふさわしい状況だった。
2
1990年3月、私はトランプ・キャッスル(カジノ)の4300万ドルの借入金元本と利息支払の遅延を発表した。この発表は世界中に反響を呼んだ。なぜなら、私はいまだかつてこのような支払の遅延をしたことがなかったからだ。どこからその資金を調達するか、実際のところ手だてがなかった。
私は現実を直視し、できるだけ早くこの苦痛を真正面から受け止め、全力を尽くしてこの事態を乗り切ろうと決心した。他の誰もが動き出す前に銀行との交渉を始めようと思った。もし私が六カ月かそれ以上、銀行との交渉を待っていたならば、すべてを失うことになっていただろう。
なぜなら、六カ月後には、私と同じこと、つまり銀行と話をうまくつけ、債務のディスカウントをしてもらい、時間稼ぎをしようとする他の多くの連中と銀行の前に列になって順番を待たなければならなかっただろう。今振り返ってもその決断は、多分、私が過去行った中で最も賢い選択であった。
3
私は会議を招集した。会議室は銀行関係者で一杯になった。私は時として、大きな賭けに出ることもある。「皆さん」と私はその時言った。
「もし、争いを望むなら、私の得意な裁判訴訟や倒産整理その他の法的な手段を使って、皆さんを何年でもその問題に釘付けにすることができます。私は正直、今はそんなことではなくて、他のもっと前向きなことをしたいのです」。
そして「もし、私に6500万ドルを信用貸し(無担保貸付け)してくれるなら、貴重な資産を維持し、良好なビジネスを続けることができます。そして、法的な小競り合いをするなどといった考えを捨てるつもりです」と説明した。私は以下のような計画を立てていた。
まず、銀行は私が浮上するために6500万ドルを貸し付けること。第二に、どの銀行もその後2年間は、一切何の注文もつけないこと。第三に、ローンの金利、元金ともにその時まで返済を要求しないこと。これは、私の人生で最も大きな賭けだった。そしてなんと、うまくいったのだ。
4
私の親友の例を話そう。彼はいくつもの素晴らしいビルを持ち、業界の中でもトップクラスにいた。しかし、この時期に、すべての商売上の権利をかけ勝負に出てしまった。あまりにもタイミングが悪かった。1990年の終わりには破産同然の状態に追い込まれてしまった。
彼は私のオフィスにやってきて、何か仕事がないかと助けを求めた。その日はとても寂しい思いをした。その時は私自身の問題で精一杯だったのだ。彼は金が一銭もなかった上に、これまでの経歴が高すぎて、それに見合う仕事を見つけることができなかった。
彼は70年代、私が事業を始めようとした時に助けくれた人だった。だから、何とか力になろうと努力した。そのかいあって何とかうまくいき、今日彼はある会社の重役として成功している。しかし、かつての成功はもはや手にできないだろう。今、彼はその時のことを人生の中の一幕と見ている。
5
もう一人の親友についても話そう。彼は70年代、80年代と成功した人で、5億ドルもの資産を築き上げた。そして、そのほとんどが不動産だった。1988年に四人の子供たちに1000万ドルずつ分け与えることを決めた。その後すぐにひどい事態が起ころうとは、当然思いもしなかった。
90年から91年にかけ、彼はとてもひどい資金難に襲われた。そこで子供たちのところへ行き、750万ドルずつ返してくれるように頼もうと思った。そうすることで銀行からの借入金を返済できる。全員を呼んだ家族会議の席で彼は愕然とさせられた。子供たちは真向から断ってきたのだ。
私は、彼が最近ビジネスで再び成功しているのを知っている。私が、子供たちのことを許してあげたかい、と聞くと、彼は答えた。「ドナルド、君が言う子供たちとは誰のことを言うんだい、僕には子供なんかいやしない。みんな死んでしまったんだ」。
6
昔から言われているように、派手さはなくても、一つのことに一生懸命努力することが、成功や逆境からのカムバックにつながったりするものだ。ゲーリー・プレイヤーは「一生懸命やればやるほど、幸運が近づいてくるように思われる」と言っていた。この言葉は、私の場合にも当てはまる。
80年代の終わりから90年代の初めにかけ、私は本当にそれ以前と比べて働かなくなっていた。目標を失っていたし、思い通りの人生と成功は自然に手に入るものだと考えるようになっていた。このように、リラックスし、のんびりした時、ものごとが崩れだしたのだ。
成功というのは簡単ではない。それは一生懸命やって勝ち取るものだ。多くの要素がその中にある。私はそのことが今ならわかる。もう一度言っておく。成功を当然なものと思ってはいけない。
7
私は、会議等で、自分が出なくてもいいのに出席していたというようなことが多々あった。大半はただの義務感だけで出ていた。しかし、その多くが、実は私の助けになるような人、あるいは、何らかの形で私に成功を持たらすような人たちの集まる会合だったのだ。
ある時期、私の進めている不動産開発に対し、ひどく反対している政治家がいた。当然、彼と私は敵対関係にあった。そんなある日、友だちから電話がかかってきた。そして今でもそれが何故なのかはわからないが、私をパーティに誘った。その政治家主催のパーティだった。
当日、私はフロリダにいる予定になっていた。私は、正直なところ、自分と敵対する人のパーティに出席したくはなかった。しかし、行って損はないとも思った。それで、フロリダからニューヨークに行き、パーティに出席することにしたのだ。
私が着いた時、パーティはお開きになりかかっていた。そして、まさに帰ろうとしているその政治家と目が合ったのだ。私がフロリダからはるばる駆け付けたのを見て、彼は驚いた。そして本当に感謝してくれた。われわれは座り込み話をし、その夜、別れる時には新しい”親友”になっていた。
8
情熱は、成功するためのもう一つの鍵となる要素だ。そして、カムバックするにはさらに必要とされるものだ。情熱がないなら、成功など期待しないほうがよい。
今しようとしていることに、将来の目標に対して、情熱が持てないなら、さっさとこの本を閉じて成功など諦めてしまったほうがましだ。何か適当な仕事を探し、のんびりした生活をするべきだ。なぜなら、あなたには目標を達成するためのチャンスなど巡ってこないだろうから。
情熱は人生の、そして成功の本質的な部分だ。情熱を持たず一生懸命仕事をしているというなら、それは単にエネルギーを浪費しているにすぎない。そうではなくて、あなたは本当に何か重要なことを追い求めなくてはいけないのだ。
9
成功したいと思うなら、信頼を得ることが何より重要だ、とりわけ自分自身の。人々に自分のこと、そして自分のしてきたことを信頼させなければならない。それが人を思うように動かすための唯一の方法だ。しかし、一方で、人々はあなたを利用しようとするだろう。
そのため、誰がボスなのかをわからせなければならない。そして、簡単にだまされないのだということをわからせなければならない。恐怖をもってしようが、尊敬をもってしようが、どちらにしても、軽く見ることはできないのだと知らしめなければならない。もし軽く見られたなら、もはやボスではない。
あなたを利用しようとするならば、その代償を支払わなければならないということをわからせなければならない。断固として、強く、そして、公正であれ。しかし、誰かがだまそうとするならば、手痛いしっぺ返しをくらわしてやれ。