受験必要論(林修)

『受験必要論』 林修 2013年10月 株式会社集英社
 
テレビでおなじみの林先生が、受験の必要性、受験をどう捉えて、どのように挑めばよいかを教えてくれる。そして、この本で特筆すべきなのは、林修という一人の男の人生の転換点が、結構克明に描かれている点だろう。

どん底の日々、東進の英語のアドバイザーのバイトを始める。認められ英語の講師にならないかと誘われる。林先生は(自分の好きな)数学で行きたいと申し出る。好きなものを選んだ、そしてそれを通した。ここが一つ目の転換点。

数学の公開授業が認められ、では数学の講師でと言われた。しかし、心の中には引っ掛かりがあった。数学は好きだが、数学専門でやってきた人間に自分は勝てるのか? ひと晩中考え抜いた林先生は、自分が今まで学んできた現代文をやることに決めた。一旦選んだ好きな科目を捨て、勝てる科目に変更したのだ。ここが二つ目の重要な転換点。それは、自分の力と将来を冷静に判断した上での思い切った転向だった。
 
 
 

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いよいよ残り一ケ月。君たちの人生のすべてを決める一ケ月です。どこの大学へ行くかで人生のすべてが決まります。誤解してほしくないのは、偏差値の高い大学へ行くからいい人生になるとか、そういう意味ではありません。どの大学に入るかによって、会う人間が変わってきます。それに伴って、考えの基準が変わります。
 

高いレベルの大学に行くと、すごく勉強をしていてもそれが当たり前だという人たちがたくさんいて、自分もそれに引っ張られます。つまり『感覚のインフレ』が起きるんです。逆に下の方にいくと、ちょっとしかやってないのにオレはすごいことをやっていると錯覚している人が多く、自分もそれに染まります。
 

伝えたいことは、「ひと月頑張れるということは実はすごいことで、ひと月頑張れる人は1年頑張れる。1年頑張れる人は、それを積み重ねて10年頑張れる。10年頑張れる人は結局、一生頑張れる」ということなんです。
 
 
 
 

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最初に言うのは、「学問とは批判的精神でしかなし得ないものである」ということです。本当にこれで正しいのか?君らは今、僕の授業を受けているけれども、こんなテレビのバラエティ番組に出まくってチャラチャラしている林の話を聞いていていいのか?まず疑いなさい、と伝えます。
 

僕は高校時代にやったことが、意外と今でも頭の中に残っているんです。それは、ただ頭の中に入れたというのではなくて、自力で方法をしっかり考えながら頭に刻んだからではないかと思っています。批判的受容をしながら自分の勉強法を作り上げつつ、勉強をしてきた。
 

よく教師が「教科書の大事なところに線を引け」と言います。僕は教科書に線を引くのが大嫌いで、絶対に線を引きませんでした。それで先生は怒るんですけど、僕は『これ、全部頭に入れるんで、線なんかいらないんです。だから放っておいてください』言い返しもしました。
 
 
 
 

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今の日本には誰も教えないことがあって、それは方法論が大事だということです。たとえばデカルト。デカルトは『方法序説』を書いたんです。大学時代に友だちと話したとき「デカルトはすごいよなあ。だって『方法序説』だもん」「だよなあ」といった話になったんです。
 

他の哲学者は、真実はこうだ、愛はこうだ、と書きます。ところがデカルトはそういうこと書く前に、まず、真実に至るためにどういう方法を取るべきなのか、どういう手段や方法でいけばよいのかを考え、それを『方法序説』にまとめたんです。
 

こんな完璧な頭の使い方はないですよね。その中に「困難は分解せよ」とか、有名な言葉がいっぱい出てきます。何十回読み直したかわかりません。間違いなく、僕の基礎になっています。僕が教えている現代文の解法の中にさえ、『方法序説』から取り入れたものがいくつもあります。
 
 
 
 

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受験の一番のデメリットは、現在の社会がさまざまな『物差し』を用意していないので、受験の勝者が全人的に優れた存在であるかのように錯覚して、敗者を社会的に不当に低く評価する傾向が生じていることです。
 

『物差し』が沢山あることで、人々が多様な価値感を持ち、お互いを尊重できるような精神性を育めます。それが大切なんです。
 

そうやって互いに胸を張れるような関係が普通に成り立つようなら、受験のデメリットはなくなります。今のままでは、お前がトップで俺は100番だという序列しかありません。そこは本当に変えていかなといけません。
 
 
 
 

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受験勉強をする目的は、『創造』と『解決』、この二つの能力を高めることに尽きると考えています。社会に出ると、理系の場合は特に、いかに新しいものを作り出していけるかという『創造力』が必要です。文系では社会で起きている問題を『解決』する力が求められるでしょう。
 

社会に出ると、受験と違って、答えが一つかどうか、いやそれ以前に答えがあるかどうかもわからない『問題』を解かねばなりません。それでも、受験という答えのある問題を解く練習をする中で、答えのない問題を解ける基礎ができる部分があります。
 

皆さんが、受験を通じて、さらに大学での勉強を通じて、この意識を持っていないと、勉強のための勉強で終わってしまいかねません。最終的なゴールは、『創造』と『解決』です。受験勉強はあくまでもこのゴールへ向かう一過程にすぎないという意識を持ってほしい。
 
 
 
 

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「受験にはフライングもスピード違反もない」。これは常々僕が生徒に語っていることです。
 

小説『大地』の著者であるパール・バックの言葉に、「私は気分が乗ってくるのを待つことはない。そんなことをしていたら何もできない。何よりも大切なことは、まず着手すべきことを知るべきだ」というのがあります。本当にその通りなんですよ。
 

ただ、ちょっと長いので、これを一言でいうと。「いつやるか? 今でしょ!」ってことになります。気が乗らないとかどうのこうの言っているようではダメなんです。「やれるかな?」と迷うようなことは、まずやれるんです。直ちに始めて下さい。
 
 
 
 

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(どん底の日々を過ごしていた20代半ば)東進が浪人生の英語の学習アドバイザーを募集していたんです。朝8時半から夕方4時くらいまで、7~8時間で、1万5、6千円になる。これは悪くないと思って、週2、3回やり始めました。
 

割合早い時期に「講師をやってみないか」と声をかけられ、生徒を広く集めて公開授業を行う機会をいただいた。もちろん英語の授業をということだったんですが、僕は数学のほうが得意だと言ったんです。そうしたら、数学の公開授業をやってみろ、ということになりました。
 

「これは、めったにないチャンスだ!」、そう思って必死で準備しました。それで公開授業の後、数日経って「来年から東進の講師をやらないか?」と言われました。うれしかったですねえ。でも、家に帰っていろいろと考えているうちに、「本当に数学でいいんだろうか?」と思い始めたんです。
 
 
 
 

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僕はそもそも文系です。それでも、理系の範囲までしっかり終えてありましたし、受験生時代の成績はよかったという思いもありました。しかし、教えるとなったら、たとえば大学の数学科で専門的にやってきた人たちと戦って、果たして勝てるのだろうか?東進のパンフレットを何度も往復でめくりながら、あの晩は一晩中考えました。
 

翌日、「現代文をやらせてください」とお願いしました。怒られましたよ~。『いったい何を考えているんだ!』って。そりゃ、そうですよね。それでも現代文のほうがもっと自信があると説明したら、今度は、現代文の公開授業をするチャンスをいただけたんです。
 

最初の公開授業よりも、ずっとずっと念を入れて準備しました。もしかしたら、一生で最も準備に時間を費やした授業だったかもしれません。
 
 
 
 

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そして終わって教室から降りてきたら、ずっとモニターで見ていてくださった上の方が「林君、現代文で行こう! 来年は何曜日が空いているんだい?」、そうおっしゃってくれた。
 

その方は自身も教壇の立たれていたことがあるので、中身をわかってくださったんです。そして「こいつは見どころがあるな」と。当時南浦和校の責任者だったAさんには、今でも感謝しています。こういう方が責任者の立場にいらっしゃったこと自体が、僕は運が強いと思うんです。
 

こうした数学から現代文への転向を今振り返ると、当時から仕事は好き嫌いで選ぶものではないと考えていたようです。やりたい仕事ではなく、やるべき仕事を、そして「勝てる」仕事を選ぶ。そんな感覚を持つようになったのは、やはりここまでで何年間も負け続けてきたおかげだと思います