『ゴルフ青木流』 青木功 株式会社新潮社 2004年04月
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80年の全米オープン、ニクラウスとの死闘。
このような場でプレーすると、おれは今、世界一流のプロと、一流のコースでビッグトーナメントを闘っているのだ、という充実感や独特の緊張感が漲ってくる。興奮剤を打たれような状態になっているので、結果はどうあれ、自分でも予測できないようなプレーができる。
「パットがこれほどうまいとは思わなかった」ニクラウスが感心して言った。パットは集中力と感性のゲームだ。このふたつは表裏一体のものだから、集中力が高まると感性も研ぎ澄まされ、どっちへ曲がるかなどという、あやふやな気持ちはおこらない。要するに、「入るライン」しか、おれの目には映らない。
ニューヨークタイムズはこう報道した。「トヨタやソニーの他に、日本からの輸入品がアメリカ経済を脅かしつつある。 ISAO AOKI がゴルフ経済を脅かしている。彼はゴルフの養殖真珠である。グリーン周りでは蓮の花のような絶妙なタッチ、スイングはシルクのキモノのようになめらかである」。
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最終日は最終組でニクラウスと回る(4日間同組)ことになった。「しめた! またニクラウスと回れる」と思った。というのも、ジャックの前後の組ではプレーしたくなかった。彼と同じ組なら、黒山のようなギャラリーに取り囲まれても、ショットする時は水を打ったように静まる。だから集中力が弛まない。
「ボールを見てないからだよ。要するにヘッドアップしちゃうんだが、しっかりとボールを見てヒットしてみな、ヘッドアップなんか絶対しないから、そこそこ寄るよ」。
ボールを見て、打って、乗せて、入れて、時のたつのも忘れて、それを繰り返しているうちに17番、差はまだ2つある。それでもまだ、スキあらば抜いてやる、と勝負への執念は萎えてなかった。相手がジャック・ニクラウスだというのに。2打差は詰められなかったが、こんな爽快な負け戦はなかったよ。
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アメリカのトーナメントでは、前日にプロアマ競技が行われる。ある時、スライスで悩んでいるアマが助言を求めてきたんで、「スイングはそのままでいいので、左手のグリップをフィニッシュまで弛めずにしっかりと握っておくように」とアドバイスしたことがある。
その日はそれで終わったが、何年かして街中で偶然、その人に出会った。「イサオ、きみのアドバイスを忘れずにやっていたら、すっかりスライスが直ったよ、サンキュー」。満面の笑みで握手してくれた。その人にとってスライスは「永遠の」課題だったんだろう。
ものは試しで助言を守ってみた。きっと、うまくいったりいかなかったりしたと思う。スライスは直ったけど、トップやダフリは多くなったかもしれない。だけど、フィニッシュまでグリップを弛めないことだけは守り通したことで「永遠の」課題はクリアした。
程度の差はあれ、プロだって同じように課題に取り組んでいるのだ。ひとつクリアした途端、別のテーマを与えられる。その追いかけっこだと思うね。左肘を痛めたことは、この先ゴルフを続けるためにはどうしたらいいか、「自分なりに考えて解決しろよ」と、宿題を課せられたのだ。
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「あれさえなければ・・」。なんてよくいうけど、あれがあるのがゴルフなのだから、言っても始まらないのである。
メジャーは実力がないと勝てないが、実力さえあれば勝てるものでもない。だから負けたものは「あれさえなければ」といい、チャンピオンは「あれがあったおかげで」といい、おれは長年の経験に照らし「あれがあるのがゴルフだ」といいたいのである。
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ゴルフは歩くゲーム。いつも同じ歩幅、同じ速度で歩き、2本の足からまず、コンデションを整える。
アマがミスの後にまたミスをしたり、ナイスショットした後に別人のようなミスショットをするのは、歩き方にムラがあるのが一因、いや大きな原因だろう。ミスして急に足早になったり、いいショットをしてことさら悠然と歩き出したりして歩調のリズムを崩し、それがスイングに悪影響を及ぼす。
朝一番のティショットの時は、緊張感で心臓がアップアップする。呼吸も整わず、筋肉も強張る。でも、打ち終わってフェアウェイに向って一歩踏み出せばショットの良し悪しに関わりなく、ホッとする。歩くのは日常運動だからだ。
それでも常日頃から繰り返しのきく歩き方をしてないとムラがでる。繰り返しのきく歩き方というのは、簡単そうでそうでもないんだ。
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出来ることなら、アドレスのままの態勢でボールを打ちたい、思った時期がある。パットのように体を正面に向けたまま手を振ってね。それで250、300ヤードも飛ばせたら、それがゴルフスイングの理想じゃないかと思った。大先輩の戸田藤一郎プロに聞いた。忘れもしない。
戸田さんはいった。「ゴルフは自然が相手のゲームだ。自然には逆らえない。悪いライも自然のうちや。ティアップした球を打つのとはわけが違う。そういう時はいま、お前が打ったようにクラブヘッドを正確に球のところに戻してやらなければ打てんやろ」。
アドレスでは、体の正面にボールがあるのだから、インパクトでも正面で打つ。そういう確信を持ってクラブを振らなければ、ボールはどこへ飛んでいくか予測がつかないのだ。スイングの原点はパッティングにある、といまでも思っている。
多くのアマは、単純なはずのゴルフのセオリーを複雑にし、わざわざ難しくしている。単純はチェックしやすいけど、複雑はチェックするのも複雑になると思う。チェックポイントが単純なら集中力も高まるけど、複雑だと散漫になると思うんだな。
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なんていうか、ゴルフというゲームの真情みたいなのものがあって、ゴルフを始めた当初は、ボールを打つのが楽しいだけで、気づかないわけよ。ところが、勝ったり負けたりしているうちに、ボールを打つのが面白いだけのゲームじゃないことに気づいてくる。
「ゴルフとはミスのゲームである」というのもそのひとつだし、「ゴルフとは我慢のゲームである」もゴルフの真情にふれたエキスだと思うね。誰いうとはなしに、昔からいわれているのだろうが、おれは自分の「負けた試合」から、そのことに気づかされた。
「ミスのゲーム」にしろ、「我慢のゲーム」にしろ、それを真情としておかないと、プレーのたががゆるんでハチャメチャになる可能性があるんだ。一度ゆるんだたがを締め直すのは容易じゃない。我慢しつづけているときっと、神さまが好い結果をもたらしてくれる。
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ゴルフが他の球技と本質的に違うところは、人間を相手にするのではなく、コースを相手にすることだ。最も少ない打数でボールをカップの中に入れるにはどうしたらいいか。そのことに頭を使うゲームなんだ。いわゆるコースマネージメントだね。
コースマネージメントはプロか、アマの上級者の専売特許のように思われがちだが、そんなことはない。狙いを定めなければ、狙ったエリアに飛ばないのがゴルフのボール。スタンスを取り、アドレスを決めるのは狙ったエリアにボールを飛ばすためだから、技術水準の問題じゃない。
結果的に狙い通りのところへ飛ばせなくても、バンカーの左側を狙おうとか、右の林には絶対にいれないとか、ショットごとに狙いを定める。そうするうち、左右にバンカーがあるグリーンを攻める場合でも、どっちのほうが入れたら厄介か見極められるようになる。
乗せそこなった場合は、左からのほうが寄せやすそうか、右のほうか、そういう見極めもついてくる。狙うエリアが絞られることで決断力とか集中力も高まるものだ。
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「勝ちたい」と「勝つんだ!」は、同じようで違うんだな。「願望」と「自信」の違いといっていもいい。ガルシアのゲーム展開にもそういうものを感じた。ショートパットを何回も外していたけど、それだって「入れたい」では入らない。「いれるぞ!」でないといけない。
03年の「ゴルフ日本シリーズ」は2日目に73をたたいた片山が早々と白旗をあげた。「無理でしょう、もう届かない。あと2日、いいスコアで回ればいい。楽しんでやりますよ」と片山はコメントしたが、「無理でしょう」なんて言っちゃいけない。追えるだけ追ってみる、それを見せるのがプロだ。
ゴルフの面白さは挑戦することにあるんじゃないかな。ティショットに挑戦し、セカンドショットに挑戦し、アプローチやパットに挑戦する。そしてパーなりボギーに挑戦する。そこに面白さがあるわけよ。もっと挑戦してみろよ。そうすれば悩みなんか忘れちゃうから。