貧困のない世界を創る(ムハマド・ユヌス)

『貧困のない世界を創る』 ムハマド・ユヌス 猪熊弘子/訳 早川書房 2008年10月
 


 
 
 

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資本主義は人間の本質について狭い見方を取り入れている。つまり、人間が最大の利益を追求することにだけに関心があると想定しているのだ。自由市場の概念は、一般的な理解では、この一次元的な人間像に基づいている。
 

自由主義理論の信奉者は、世界のすべての悪いものを「市場の失敗」のせいにするが、私は、さまざまなことが市場の失敗のために支障をきたしたのではないと考える。問題はそれよりはるかに深刻だ。主流の自由主義経済理論は「概念化の失敗」に苦しんでいるのだ。

つまり、人間の本質をとらえることの失敗である。
 

人間は決して一次元的な存在ではない。わくわくさせられるような多次元的な存在だ。だから、カネーギーやロックフェラー一族からビル・ゲイツまで、彼らは結局は、より高い目標に焦点を合わせ、利益追求のゲームから顔をそむけた。多次元的なパーソナリティーの存在は、全てのビジネスが利益を最大化するというただ一つの目的を目指すことを強いられているわけではないことを意味する。

そしてその場所こそソーシャル・ビジネスの概念が入り込む余地なのだ。
 
 
 
 

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資本主義の構造を完全なものにするために、私たちは人間の多次元的な本質を認識させられるような、別の種類のビジネスを導入する必要がある。それは既存の企業を「利益の最大化を目指すビジネス(PMB Profit Making Business)」とするなら、新しい企業はソーシャル・ビジネスと呼ばれるかもしれない。
 

NPOやNGOは、プログラムを実行するために慈善による寄付金、基金からの補助、あるいは国庫からの補助に依存している。彼らの大部分は立派な仕事をしている。しかし彼らは自分たちのコストを自分たちの活動で取り戻すことがないため、時間とエネルギーの一部を資金の工面に注いでいる。
 

ソーシャル・ビジネスは、企業として設計され、経営される。製品やサービス、顧客、市場、費用、そして利益を伴っている。しかし、企業の利益最大化の原理は社会的利益の原則に置き換えられている。ソーシャル・ビジネスは社会的な目標を達成しようとしているのだ。
 
 
 
 

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私は1972年6月、合衆国のミドルテネシー州立大学の助教授の職を辞しバングラデシュに帰国し、チッタゴン大学経済学部に職を得て、そこの学部長になった。教えることは楽しかったし、学者としてもキャリアを積むことも楽しみだった。しかし、あることが起きて、これは不可能になった、1974年から75年にかけての、バングラデシュ飢饉である。

何百万ものバングラデシュ人が、家族のために食物をまかなえなかった。飢餓がゆっくり進行している間、何十万人もの人が亡くなったが、世界はまるで無関心に見えた。
 

私が最初にしたのは、大学構内にある銀行に行き、貧しい人々にお金を貸すよう説得することだった。しかし銀行は、貧しい人々は信用に値しない、貧しい人々は顧客としての信用履歴がなく、担保もない、しかも彼らは読み書きができないので、必要な文書に書き込むこともできない、と言った。
 

数ヶ月位以上におよぶあらゆる努力が失敗に終わり、私は新しい方針でやってみることにした。貧しい人々に対するローンの保証人になることを申し出たのだ。実際には、銀行が私に金を貸し、その金を私が貧しい村人に貸し与える、というものだった。銀行はこのプランに同意した。
 

そして村人たちにその金を貸し始めると、私はその結果に呆然とした。貧しい人々は毎回、きちんと決まった日時に彼らのローンを返済したのだ。この良い結果をみれば、伝統的な銀行家も金を貸そうという気になるだろうと思うかもしれないが、これっぽっちの変化もなかった。
 

私は、まったく別の法律の下で、私たちのプロジェクトを特別な銀行に変換するよう政府に求め続けた。1983年、貧しい人々のための銀行が、特別な目的のために作られた新しい法の枠組み(担保や信用履歴、どんな法的な文書も要らない)の中で誕生した。私たちはそれをグラミン(村)銀行と命名した。
 
 
 
 

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従来の経済学の考え方では、貧しい人々にクレジットを広げようとすることは、革命的なステップであった。それは、担保なしで融資を行うことはできないという、伝統的な考え方を無視することを意味していた。
 

エコノミストは貧困問題の解決法は、彼らに仕事を与えることだという。寄付者からの資金は、政府が運営する大規模なプロジェクトにつぎ込まれ、何千人もの貧しい人を雇うことで裕福な納税者に変えようとする。ただし、これはうまくいかない。経験上、それを支える条件が揃ったためしがない。
 

売れる製品やサービスを作り出す方法を見つけ、それらを必要とする人に直接売ることで、人々が「自己雇用」で生計を立てることなど、経済学の論文には書かれていない。しかし現実の世界では、貧しい人々がそうやって暮らしているのがいたるところで見られるのだ。
 
 
 
 

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数年が過ぎてグラミンの家族の子どもたちは高等学校に進学し、多くがクラスのトップを占めるようになってきた。この偉業を祝って、私たちは最も優秀な学生たちに対して奨学金を支給することにした。今日、グラミン銀行では毎年3万人以上の子どもたちに奨学金を与えている。
 

人間はただの労働者ではない、ただの消費者や企業家でもない。誰もが、親であり、子どもであり、友人、隣人、市民なのである。彼らは家族について心配し、彼らが住むコミュニティの世話をし、他人からの評判や他人と自分との関係について真剣に考えている。
 

伝統的な銀行家にとっては、こういった人間の関心ごとというものは存在しないに等しい。
しかし、人々はグラミン銀行の成り立ちの中心にいる。私たちが貧しい人々に提供する融資は、単なる取引記録ではなく、それぞれに渡した紙幣でもない。それは人生を作り直すためのツールなのだ。グラミン銀行のスタッフも借り手たちも、その現実を見失うことはない。
 
 
 
 

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30年以上も前、私は銀行員ではなく、経済学の教授だった。
そのとき以来、銀行業に知識がなかったことが、私を大いに助けたのだとわかるようになった。私が訓練を受けた銀行家でなく、実際の銀行業務について一つの教えさえ受けたことがないという事実のために、先入観もなく、貸し借りを行う過程について自由に考えることができたのだ。
 

私とグラミン銀行の同僚たちは気がつけば「偶然なる企業家」になっていた。貧しい人々が貧困に身をゆだねるようになった経済的、社会的な状況の理解に励み、その運命から彼らを解放するツールを開発しようと、銀行家の役割を果たして貧しい人々の側で働いていただけだ。
 

その実験(アイデアが開花したものもあれば、失敗したものもある)からおよそ20年が経って、私たちは気付くと25もの組織を運営していた。そして、しばしば集合的に「グラミン・ファミリー」と呼ばれることもある。
 
 
 
 

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読み書きの能力を欠くことは、貧しい人々が無力なままであり続け、自らを救うことができなくしている多くの障壁の一つに過ぎないが、グラミン銀行では、簡単なことからでも始められることをしようと決めた。まずは、私たちの借り手全員が、自分の名前を書けるようにすることだ。
 

融資を希望する人たちがこのハードルを乗り越えるのを助けるためには、グラミンの職員たちの機転や共感、同情が必要になる。彼らはしばしば一人のクライアントのために我慢強く何時間も費やした。ペンを持つ基本を教え、彼女の個性を象徴するその不思議なマークを書かせていくのだ。
 

大事なことは、名前を書けるようになることは、借り手に新たな力を与え大きな自尊心を生むことになる。彼女が一枚の紙に、ある形の線を走り書きし、誰かがそれを見て「ハミダ、お元気?」と言えば、彼女の前に新たな世界が開け、自立に向かってほかの飛躍もできるのだ。
 
 
 
 
グラミン・シッカ(グラミン教育)は独立した企業で、この初期の努力から生まれた。これは借り手の子どもたちへの簡単な教育的なサービスから始まった。支店やセンターのマネージャーは毎週のミーティングに到着すると、借り手の多くが小さな子どもの手をひいているのに気付いたのだ。
 

誰かが提案した。「母親たちと同じように、子どもたちも週に一度、センターハウスに誘いましょう。そこで子どもたちが普通の学校に通う前の準備になることが何かしらできます。アルファベットや数字の数え方、歌も教えましょう」。このアイデアはすぐにグラミンのシステムの一部になった。
 

グラミン・シッカのスカラシップ・マネジメント・プログラムは、プログラムをサポートしたいと思う人が出資する。その金は定額預金に投資され、そこで保証された6パーセントの金利が、子どもが学校へ通っている間に生活を維持するための奨学金として支給される。
 

バングラデシュの公立学校は授業料は請求されない。教科書も無料だ。しかしこれは貧しさが教育の壁にならないことを意味しない。1日数時間、子どもが働けないことが、家族の収入に大きな違いを生む状況なのだ。グラミン・シッカはこの問題と闘っている。
 
 
 
 

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私が初めてダノン・グループの代表であるフランク・リブーに出会った2005年10月のパリでの昼食会の後、数週間のうちに、グラミン・ダノンのパートナーシップの概念はすでに具体的な形を取り始めていた。
 

グラミン・ダノンは、栄養食品(栄養強化ヨーグルト)を栄養失調の子どもたちに届ける事を目的に設立された、グラミン銀行とフランスの世界的な食品企業ダノン・グループとの世界初の意識的に設計された多国籍ソーシャル・ビジネスである。
 

配達するのは田舎の村の人々、グラミン銀行の借り手であり、個人事業を始めるためにすでにマイクロローンを利用しているグラミン・レディたちだ。今では彼女たちはグラミン・ダノンヨーグルトの販売代理業を自分たちの毎日の仕事に加えている。
 

サプライ・チェーンの上流でも、同様のアプロ―チが取られている。そこで私たちは供給者として現地の人を使っている。牛乳は、1頭あるいは2、3頭の牛を飼っている村の農家から私たちの工場へ届けられる。
 

その他の成分、主に砂糖や糖蜜も、やはりバングラデシュの田舎からのものだ。工場の従業員のうち20人ほどは地元の人だ(建設段階ではダノンのアドバイザーがいたが)。このように、私たちのビジネスは直接、その地方の、そして国民の経済を支えることになる。
 
 
 
 

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私は、ほとんどの人々、特に若い人は、ソーシャル・ビジネスとそれが世界を変える可能性に途方もないほど興奮するようになると確信している、欠けているのは、それを可能にする社会と経済の構造だけで、それがあれば、すべての必要な技能を教え、参加を奨励することができるはずだ。
 

ソーシャル・ビジネスの存在は、お金とは別の意味で豊かな生活を求めている学生や、その他の人々に、もう一つキャリアと人生の道を与えるものになるだろう。お金とは関係ない動機が、人間を動かす重要な要因であると、最終的には認識されるだろう。
 

最も重要なことは、新たなソーシャル・ビジネスの領域では、貧しい人々自身が起業家精神という素晴らしい才能を表現できるということだ。その才能で彼らやその家族はもとより、彼らが住んでいるコミュニティのためにも新たな富を作り出すことができるのだ。
 
 
 
 
すべての人間には、世界全体の幸福を増加させるために貢献しようという内なる能力がある。しかし多くの人は、この素晴らしい贈りものを開ける機会を得ていない。彼らは自分たちの贈り物を生かすことなく死んでいく。そうなれば、世界は彼らが成し遂げたかもしれない成果のすべてを奪われたことになるのだ。