『ジョコビッチの生まれ変わる食事』 ノバク・ジョコビッチ タカ大丸/訳 2015年4月 株式会社三五館
ジョコビッチの特徴はトレーニングで鍛えたスピードとメンタルの強さが支える粘り強さだと思う。ジョコビッチはこの本の中で、トレーニングと食べることに関してはすべてを語った。しかし、メンタルのトレーニングについては、まだ現役なのですべては言えないと言った。秘密にするほど重要なのだ。
ジョコビッチはコソボ紛争で空爆を受けたセルビアで、子ども時代を生き抜いた。命の尊さ、平和の貴重さ、社会主義の不自由さを知っている。セルビアという国と民族の誇りを持って戦っている。これが、グランドスラムで1ポイントを奪い合うときの執念の差に繋がっているのだろう。
(2018/09)
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6歳の時、私は決めていた。13年前、セルビアの山岳地帯にあるコパオニクという街で両親がやっていたピザ屋の小さなリビングルームで、私はピート・サンプラスがウィンブルドンで優勝する姿を見て、心に誓ったのだ。「いつの日か、あそこで優勝するのはボクなんだ」と。
(2010年1月全豪オープン対ツォンガ戦)
私はプロ生活で最悪の瞬間を迎えた。相手のバランスを崩し、試合の流れを取り戻すためにも、私は何としても完璧なサーブを打ち込む必要があった。今まで何千本のサーブを打ち込んできたが、もう一度反撃するためには、ここで人生最高のサーブを打ち込むしかないのだ。
ポン、ポンと2度ボールを突く。そして空中にトスを上げた。思い切り体を伸ばしてボールに力を伝えようとしたが、胸全体が強く締め付けられた。私が振っているのはテニスのラケットではなく、北欧神話に出てくる神・トールのハンマーであるかのようだった。私の体はもはや用をなさなかった。
わずか18ヶ月で、私をただの「そこそこいい選手」から「世界最高の選手」に生まれ変わらせたのは新しいトレーニングプログラムではない。私の無駄な体重を落とし、集中力を高め、生まれてこのかた最高の健康状態を作り出してくれたのは、それは新しい食事だった。
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私はNATO軍(セルビア空爆)の双子のロケットがステルス爆撃機から発射され、頭上の空を切り裂きながら数ブロック先の建築物、それは病院だった、に食い込んでいくのを見た。すぐさま爆発し横長の建物は炎に包まれた巨大なクラブサンドイッチのように様変わりした。
私は極度の緊張に襲われたとき、何か気にくわないことがあるとき、イライラしたとき、そういうときはいつも育った環境を思い出し、考え直す。そして、本当に大切なものは何かを思い出す。家族であり、楽しみであり、喜びであり、幸せであり、そして愛だ。
私たちの国には、こんな格言がある。「どこも痛くないときは、小さな石を靴の中に入れて歩きなさい」。なぜなら、こうすれば他人の痛みに思いを致すことができるからだ。私たちはお互いから学び、この星をより住みやすい場所にするために創られた。
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あのオーストラリアにおける惨敗から18ヶ月が過ぎ、食物アレルギーがすべての原因だとセトジェヴィッチ博士から教わって1年が経っていた。そして最近の私がまったくの別人に生まれ変わっていたことは、テニス界の誰の目にも明らかになっていた。
2011年、私は世界1位の座にあって、連勝新記録を作り、すでにこの年、ラファエル・ナダルと当たった4試合で全勝した。にもかかわらず、ウィンブルドンのセンターコートにわれわれが歩を進める中、優勝する可能性はどちらのほうが高いのか、誰の目にも明らかだった。そう、あいつなのだ。
サーブの前に、ナダルはいつも両足のソックスが同じ高さになるように引っ張り上げないと気が済まない。そして、背中のほうからパンツを思い切り引っ張り上げ、延々とボールを地面に打ち続ける。それは20回を超えることすらあり、彼は確実に対戦相手の集中力を削いでいた。
ナダルのフォアハンドは他の誰よりも強烈だ。時速135キロに達することもある。だが一番恐ろしいのはここではない。左利きのナダルは、あの135キロのフォアハンドを相手のバックハンドに打ち込んでくるのだ。つまり彼の最強のショットは、相手の一番弱いポイントを突いてくる。
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ナダル戦での私の目標は、つまらないミスを犯さないこと、素早く立て続けにボールを動かすこと。過去いつもミスを犯すのは私だった。私はベースラインのすぐ後ろにいて、互いの反応のための時間を短くした。私のスピ―ドならナダルのベストショットを打ち返せる。
そして試合時間を短くすることにより、相手に主導権を握らせない可能性に賭けた。もし私が相手のショットのエネルギーを捕まえることができれば、同じスピードでリターンできるはずで、ナダルの強さを逆用して反撃するという考えだった。
この作戦は大いなるギャンブルだった。だが私にも強みがあった。余分な体重を落としたことにより、柔軟性が著しく向上していた。エリートレベルの選手の大部分は、私ほど体を伸ばすことができない。ウィンブルドンの芝の上ではこの強みが最大限に発揮できるのだ。
勝利を決めた後、私は芝生に背中から倒れ込み。6歳のころに戻って地面に寝そべった。この24時間で、私の生涯をかけた2つの夢が実現した。ウィンブルドン制覇、そして世界1位の選手になるということ。数日間の成果としては悪くないものだった。
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世界一の選手になるには何が必要なのだろう? 毎朝目覚めるたびに、私はコップ1杯の水を飲み、ヨガと太極拳を組み合わせたストレッチ運動を約20分行う。そしてこれから始まる1日に備えて肉体に栄養を与えるべく、ほぼ毎日同じ朝食をとる。
朝8時半になると、毎日寝るまでほぼ付きっきりで私の食事、飲み物、すべての動きを見守るコーチおよびフィジオセラピスト(理学療養士)と合流する。2人は毎日毎日ほぼ一年を通して私と一緒にいる。
それから毎朝1時間半にわたり練習パートナーとともに打ち込みを行い、お湯で水分を補給し、現在の私の体の状態に合わせて必要なビタミン、ミネラル、電解質を配合したトレーナー特製のスポーツドリンクを飲む。さらにストレッチを行い、マッサージを受け、ランチに入る。
今度はワークアウト(体を鍛える)の時間だ。1時間少々をつかってウエートおよびレジスタンスバンドを用いたトレーニングを行う。ハイレップス(高回数トレーニング)を1セット、軽めのウエートで必要な動きを最高で約20種類取り入れている。
午後半ばになると、フィジオ(前述)特製の医療用豆製プロテインドリンクを飲む。再びストレッチ、トレーニングのセッションを始め、90分間ボールを打ち続け、サーブとリターンの精度を高める。4回目のストレッチが終わったら、もう1回マッサージだ。
この時点で、私はほぼ8時間連続でトレ―ニングに励んでいることになるが、ここから少しの時間を割いて私のビジネス関連の仕事に手をつけていく。ほとんどの場合、記者会見かチャリティイベント参加といった用事だ。
それから夕食の時間となる。高タンパク質でサラダ付き、炭水化物とデザートはなしだ。それから1時間少々読書をすることもある。主にパフォーマンス向上や瞑想をテーマとしたものだ。あるいは日記を書くこともある。そしてやっと就寝時間だ。
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私は1987年5月22日、今はもう存在しない国ユーゴスラヴィアで生まれた。私の家族のように何世代にもわたって共産主義体制下で暮らしていると、何事にもやり方は一つしかないという考え方を受け入れるしかない。服装も一種類、崇拝するのも一人、運動も考え方も一つだけだと刷り込まれる。
テニスが私に与えてくれたのは単なる富と名声だけではないし、好きなことで生活できる機会、あるいは他の誰か、特に同胞のセルビア人に感動を与える機会だけでもなかった。テニスが与えてくれた一番の贈り物は、海外を旅する機会だ。他の文化を目にすることで、さらに開かれた思考を手にする事ができた。
共産主義体制下で生きるということはオープンマインド(開かれた思考)になるよう教わるチャンスがない。オープンマインドでなければ、簡単に他人が操ることができるのだ。だから、上層部はつねにわれわれが今まで教わってきたことに疑念を抱かないよう、最新の注意を払っていた。
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日が進むにつれて、体が軽くなり、活力が湧いてきた。それまで14年間悩まされていた夜間の鼻づまりが突如消え去った。1週間目が終わる頃には、もはやロ―ルやらクッキーやらパンやらが欲しくなくなった。付きまとっていた煩悩が消滅してしまったかのようだった。
2週間の体験を終えた私に、セトジェヴィッチ博士はベーグルを食べるように指示した。「これが本当のテストなのだ」と博士は説明した。ある食べ物を14日間避けてみて、そこでもう一度それを食べて反応を見るのだ。
そして驚くべきことに、グルテンを再び食事に取り入れた次の日、私は一晩中ウイスキーを飲んでいたかのような錯覚に襲われたのだ。10代の頃そうだったように、ベットを這い出るのがやっとだった。私はめまいを覚えていた。鼻づまりも再発した。まるで二日酔いの状態だった。
「これが何よりの証拠だ」。博士は断言した。「つまり、君の体がグルテン不耐症だと知らせてくれているのだよ」。それ以来、私は体が伝えようとしている声にはすべて耳を傾けるようにしている。
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世界でランキング200位に入る選手たちの大部分は、いつでも食べたい物を食べて、コートでやっている練習以外のことはほとんど考えず、今得ている成功とそれがもたらす贅沢を楽しんでいるだけの場合が多い。だが、トップ40位あたりに食い込むようになると話は変わってくる。
われわれは寸分の狂いも許されない楽器のようなものだ。もし、私の体がほんの少しでもベストの状態からずれていたら、たとえば、食べたものに対して体がうまく反応しなかったら、こういう選手たち(トップ40)と同じレベルで戦い、勝つことはできない。
さらに重要なのは、私はよき友、兄、息子、ボーイフレンド、そして自分がこうあるべきと願う男でもいられなくなるのだ。
正しい食べ物を選ぶことは、単に肉体的スタミナにつながるだけではない。忍耐、集中力、前向きな態度、コート上での動きにつながり、私が愛する周りの人々の幸福にもつながる。正しい食べ物によって、私は人生のあらゆる場面で最高の次元に達することができる。
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私は、何もないところから今の位置までたどり着き、それは決して簡単なことではなかった。私は、食料不足、さまざまな規制、経済制裁、そして通商禁止の中で戦争により切り裂かれた大地からやってきた。テニスの伝統などなかったし、家族には私を大会に送り出すお金もなかった。
にもかかわらず、私は世界1位の選手になったのだ。絶対に誰も「そんなことは不可能だ」と私に言うことはできない。ただ、当時は私がモノになるなんてほとんどの人が信じていなかった。
今は、幸いにも私を信じてくれる人、今の私を作ってくれた人たちに囲まれている。だから私は言うのだ。「あなたと一緒にいる人があなたそのものなのだ」と。自分自身の成功を追い求めるときには、それ(この本のすべて)を考えてほしい。こういう信念が私の人生における原点なのだ。
だが思い出してほしい。こうした感情を乗り越え自分自身を制御できる力の大きさが、あなたの人生を決めるのだ。今の私の素晴らしい人生は、周りにいる人たちと、私の彼らへの愛情で形作られている。こういう仲間たちが、私を大切なことに毎日集中させ、感情や恐怖を取り除いてくれるのだ。