ジェロントロジー宣言/「知の再武装」(寺島実郎)

『ジェロントロジー宣言/「知の再武装」で100歳人生を生き抜く』 寺島実郎 2018年8月 NHK出版
 
 
著者は、世界の中でも際立つ日本の高齢化を「異次元の高齢化社会」と呼ぶ。人生100歳時代は、定年を60歳で迎えた人なら残り40年をその高齢化した社会を生き抜いていかなければならない。
 
異次元の高齢化社会が抱える多くの問題を解決するには、高齢者を疎外することなく社会に参画させ、活躍できるプラットフォームの構築が必要になる。高齢者側は戦後教育を含めた、古い知識を更新し、幅広く新しい知識を導入して「知の再武装」を行い、新しい時代と並走するという意識が必要になる。巻末にブックガイドもあり、高齢者のための学習指南書ともいえる。
 
 
 
 

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ジェロントロジー(Gerontology)は、辞書で確かめると「老年学」と訳されている。「geron」は老人・高齢者を意味するギリシャ語で、第二次世界大戦後にアメリカで生まれた学問体系の名称と説明されるのが通例である。
 

私は健全な高齢化社会を創造するためには、体系的な英知を結集する必要があると考えている。今後、日本が目指す社会のあり方や、一人ひとりの生きかたを再構築するために不可欠のアプローチとして「社会工学」という視界が重要であり、その意味でジェロントロジーは「高齢化社会工学」訳すべきだろう。
 

高齢者を社会の外に置いて、福祉、年金、介護の対象として見るのではなく、社会システムの中にもう一度位置づけ直して、社会に参画し、貢献する主体として、高齢者が活躍できる社会づくりを考える議論が必要だろう。
 

年金や福祉などの経済的な安定の問題から、医療や介護などの体の健康に関する問題、さらに、高齢者の参画プラットフォーム形成まで、人間社会総体に及ぶ議論を本格的に始める必要がある。
 
 
 
 

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総務省統計局の統計によると、2018年6月現在、概算値による日本の総人口は1億2652万人である。日本人の人口がピークだったのは2008年の1億2809万人で、すでに160万人が減少している。つまり、福岡市、神戸市、川崎市級の都市が一つ消えたと言えるほど人口減は加速している。
 

世界の中でも日本の高齢化は際立つ。国連の人口推計によれば、2015年時点で65歳以上の人口比率で日本の26.0%は飛びぬけており、先進国で日本に次いで高いのがドイツ21.1%、フランス18.9%、英国18.1%、アメリカ14,6%である。ちなみに中国は9.7%、韓国は13.0%にすぎない。
 

つまり、日本の異次元の高齢化への対応が、世界にとっての重要な先行モデルになるわけで、だからこそ日本におけるジェロントロジー研究が重要なのである。特に急速な「産業化」による人口構造の変化をもたらしている東アジアの中国、韓国にとっても重要な示唆となるだろう。
 
 
 
 

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100歳人生とは、60歳の定年退職から40年を生きなければならない現実が待っているということである。企業人として会社のために努力し、キャリアパスを歩んできた人は、定年と同時に組織の利害を超えたものの見方や考え方で再武装し直すべき時代なのである。
 

「知の再武装」は60歳をすぎてからだけ必要なのではなく、企業の中で30代、40代、50代と齢を重ねるごとに、新しい時代の空気を十分に吸収して、過去に学んだことをリニューアルし、強い問題意識をもって階段を登るように知を再武装していかねばならないのである。
 

20代の若者に問われているのは、これからの80年間どうすれば人生を満足に送ることができるかだ。ジェロントロジーは高齢者のための知のあり方を考える学問ではない。むしろ若者にとってこそより長い視界で人生を組み立てていくために必要な学問だと言うことができる。
 

ジェントロジーはすなわち、「知の再武装」だと言うのは、そういう意味である。
 
 
 
 

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戦後日本の教育は、GHQ占領下でそれまでの国定教科書を墨で黒く塗りつぶし、明治時代以降の歴史認識を否定するところから始まった。先日まで教壇に立って「鬼畜米英」を教えていた教師たちは、突然これからは民主主義の教育だと言われ、教壇に呆然と立ち尽くした。
 

以来、日本の歴史教育は一変し、天皇中心の皇国史観から決別した。縄文時代、弥生時代から江戸時代までは一定程度教えることはできた。しかし、明治維新以降の近代史について語ろうとすれば、日本はどこで道に迷い、戦争に突き進む結果になったか、その原因に触れざるをを得ない。
 

幕末維新までは詳しく教えるものの、そのあとの日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦への参戦、そして「大東亜戦争」へと進む日本の歩みは、年表的な知識と簡単な事実だけを教え、その構造的背景を教えることがないまま、現代の日本へとつながる歴史は立ち消えになった。
 

日本近代史(明治維新~戦争)を学ぶこともないまま大人になった人たちを大量に生み出したことは、間違いなく戦後日本の社会科学教育の欠陥だと認識しておく必要がある。知を再武装するにあたっても、避けて通ることのできないテーマであるのだ。
 
 
 
 

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私自身、21世紀を生きるための時代認識を磨くにあたり、これから脂汗がでるほど勉強しなければならないと考えているのが、生命科学である。多岐にわたる科学の中でも、特に生命科学は20世紀末から急速に発展し、私たちがこれまで抱いてきた生命観、世界観に対して、大きく変更を迫っている。
 

ここで言いたいのは、生命科学の急速な発展によって、生命史から人類史までが化学的根拠に基づいたつながりの中で見え始めているのが現代だということである。一方では、宇宙物理学の発展により、宇宙史から地球史に至る流れも相当な正確さで理解されるようになっている。
 

私たちが過去に身につけてきたものは分断的知性に基づくものである。文科系、理科系、社会科学系などと分断された知見のままでは、グローバルヒストリーやビッグヒストリーを描き出すことは不可能である。それらを統合し、全体知として世界認識を深めることが自分の立ち位置を見つめ直すためには欠かせない。
 
 
 
 

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医療については、いかに病気にならないで健康な状態で寿命を延ばしていくかがポイントになる。これまでは、自分が病気になったら病院へ行って治療を受ける、つまり医療機関は、そのように訪れる来院者に対して治療を行う、というのが通常のあり方だった。
 

これからは個々人が病気になる前から医療の健康データを登録し、医療機関は遺伝子データや日々の健康状態をセンサーによって把握し、病気になりそうな兆候を見つけ、先回りをして治療するあり方へと変わるだろう。病気にさせない医療であり、疾病中心から健康中心への転換である。
 

社会のコストから言うと、病気にならずいつまでも元気で活躍できる状態を維持できると、それだけで医療費・介護費用の低減につながる。また、もし本人が望むなら、なんらかの生産活動や社会活動で社会に寄与することもできる。未病化は社会的コストの削減に役立つ。
 

そのために必要なのは、病気の早期発見、早期治療を目指した「P4医療の確立」である。P4とは「予測的な(Predictive)」「予防的な(Preventive)」「個人の特性に合わせた(Personalized)」「生活者参加型の(Perticipatory)」。生命科学の最先端の技術の応用が不可欠なのだ。
 
 
 
 

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ジェロントロジーの脈略において、宗教心は大切だといった単純な話ではない。都市郊外型で進む高齢化の中で、心の充実という問題は極めて重要であり、それはとりもなおさず、現代の日本人にとって宗教とは何かという問題にも直結しているということである。
 

心の安定にとって深い宗教性が求められるときがある。それまでの組織との関係を断ち、100歳人生とはいえ次第に人間として「死」というテーマに近接していくにつれ、都市郊外の高齢者にとって「魂の基軸」という支えが大切になってくる。
 

人間として生きる意味、情熱を燃やすべき価値、行動の規範となる美意識において「宗教」は重みを増すはずであろう。ジェロントロジーにおいて、「新しい宗教観」というテーマは柱となるのである。
 

心の安静、魂の依りどころとも言える精神性に至ることを志向することは、機械(AI)が人間を超えると言われる現代にあって、「人間とは何か」を確信することにおいて重要な意味を持つと思われる。これも「知の再武装」の視界に入れるべきことだと私は考えている。
 
 
 
 

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証券会社、保険会社も最近、「金融ジェロントロジー」という言葉を使って、新たな顧客を開拓しようと努めている。高齢者が将来にわたって安定した生活の基盤を成り立たせるには、やはり「お金」は大切であり、ジェロントロジーの議論の中でも大切なテーマである。
 

2018年1月から、「つみたてNISA」(小額投資非課税制度)がスタートした。これで非課税で資産の運用ができる制度は、①2014年にスタートしたNISA(毎年120万円、5年で600万円の非課税枠として資産運用可能)、②iDeCo(イデコ、個人型確定拠出年金)に加え、三つとなった。
 

これらの制度に参画するには、一定の勉強が必要であり、知恵が問われる。主体的に金融を学ぶことは、高齢化社会に向き合う上で大切な要素となっている。投資を通じて経済・産業・技術の新たな動向に向き合うことは、時代と並走する緊張感を維持する上で重要である。
 

21世紀の日本を支える技術や事業を応援するという立場から、有望な企業やプロジェクトを見つけ、その活動を育てるために投資するという考え方もある。高齢者の社会参画としては、はるかに健全で有意義な方向かもしれない。儲けだけを求める「売りぬく資本主義」でなく「育てる資本主義」である。
 
 
 
 

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高齢者となった団塊の世代でNPO、NGOを立ち上げる人たちから話を聞く機会がある。現状はというと、あまり肯定的なものではなく、小さな組織は内部での争いだらけである。社会貢献、社会参画といっても「俺は偉いんだ症候群」にかかった高齢者が率いると、若い世代は集まらない。
 

観光ジェロントロジーと同じように、都市郊外型の高齢者には長年のキャリアの中で法務、財務、会計に関する基礎的な知識を身に着けてきた人が多い。もう一度、NPO、NGOに運営を成功させる形でマネジメントを学び直すことで、地域に密着した形での社会参画が可能になる。
 

私は、最低でも一人が一つのNPO、NGOに関わることが大切だと言い続けてきた。壮年期の仕事が「カセギ」(経済生活のための活動)のためなら、高齢者の仕事は「ツトメ」(社会貢献)のためのものへと昇華すべきだと考えるからである。