『巨像も踊る』 ルイス・ガースナー 2002年12月 日本経済新聞社
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IBM復活を引き受けることになった。苦しい時代だった。私が好きなのは事業の構築であって、事業の解体ではない。
IBMのメインフレームの売上は90年の130億ドルから93年には70億ドル以下に落ち込むと予想される。一年ほどで減少が止まらなければ、すべてが終わるという。
S390の価格を引き下げた。メインフレームの処理能力でみた出荷量は、1994年以降、驚異的に回復した。価格引き下げだけが唯一の要因ではないが、この決断をしなければ、IBMの生き残りはなかった。
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「IBMの社有機にはアルコールはありません。禁止されています」
「だれに言えば、その規則を変えられるのだろう」
「たぶん、ご自分で変えることができると思います」
「では変えた。たった今から新しい規則を適用する」
IBMを分割せず、一つの会社として存続させること。わたしのビジネスのキャリア全てを通しても、最も重要な決定だった。IBMが情報技術のインテグレーターとして、高い価値を提供できることはわかっていた。
IBMを世界全体で地域別でなく産業別の組織に再編成することに決めた。「営業エリア」と呼ばれる組織は、それぞれがプロフィット・センターであり、責任者は自分の利益を増やそうと必死になっていた。
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世界は変化する。ルールや指針や慣習が、組織の本来の任務との関連を失っていく。この点を余すことなく示しているのが、服装規定(ブルーのスーツと白いシャツ)だ。企業文化は経営のひとつの側面などではなく、企業そのものなのだ。
IBMは1980年代後半から90年代前半にかけてコンピューター産業で何が起こっているのかを知っていた。環境の変化に対応するための戦略を多数文書化していた。ところが会社は身動きがとれないまま漂っていた。
変革の最大の障害は、世界が違っていた時代に生まれた文化が高度に発達していて、それを変えることができなかった点にあると思う。
1985年以降市場シェアを半分以上失ってきたのだ。当社は市場でぶっ飛ばされているのだ、今度が当社がぶっ飛ばす番になる。わたしは競争相手をぶっ飛ばすのが大好きだ、負けるのは心底嫌いだ。
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基幹事業が苦しくなったときに、新しい産業で運だめしをする企業をいくつも見てきた。ゼロックスは金融サービスに、コカ・コーラは映画産業に、コダックは医薬品に進出した。
基幹事業の復活、蘇生、強化を図る厳しい戦いを避けたがる経営幹部が多い。基幹事業に簡単に見切りをつける。企業がコア競争力から離れる動きをとったとき、競合他社が喜び、好業績をあげる。自社はいずれ泥沼の深みにはまる。
ほんとうに偉大で成功を収めてきた企業は、常に基幹事業の自己変革を続けており、ときにはきわめて困難な自己改革を行っている。
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実行面で秀でるためには、組織に三つの要因が必要だと確信している。世界クラスのプロセス、戦略の明確さ、好業績を育む企業文化の三つである。
偉大な組織は管理されているのではない。率いられているのだ。運営されているのではない。勝利への熱意に燃えた指導者によって、さらに高い水準へと導かれているのだ。
陰鬱な悲観主義者のもとで働きたいと考える人がいるだろうか。興奮や希望を探すより、欠陥をさがして批判するのが得意な幹部のもとで働きたいと考える人がいるだろうか。
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権限分散の理論はきわめて単純だ。「意思決定の権限をもっと顧客に近い部分に移す、顧客にもっと奉仕でき決定を素早く下せる。権限集中は意思決定が遅くなり、大企業は鈍重になる。大企業をできるかぎり小さな単位に分割すべきだ」。
しかし、80年代と90年代には権限分散が極端になりすぎて非生産的になった企業が多く、破壊的な結果をもたらしている企業も少なくないとわたしはみている。
いまでは、買収した事業を含め権限を与えられた部門を抱える大企業が、ばらばらに分かれた事業を統合し新たな価値を創造しようとしている。そのとき、とてつもなく困難な統合作業が必要になる。