『日本再興戦略』 落合陽一 幻冬舎 2018年1月
課題先進国から解決先進国へ。中央集権から地方自治の主市長連合の政治へ。礼儀や同調を強いながら好きなことをやれという矛盾した教育を改革。脱拝金主義へ。少子高齢化をチャンスとして機械化、省人化を進める。人口減少と高齢化へのソリューションを生みだし中国を含むアジア諸国に輸出。テクノロジー好きな日本はロボットフレンドリーな社会に変わり得る。機械と相性のいい日本はあらゆるものを自動化した国になる。日本はすでにトークンエコノミー先進国である。
日本の歴史を遡り、日本人にあった文化や帰属意識、アートやテクノロジーを組み合わせて日本をアップデートしようという大胆な提言が並ぶ。
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機能しなくなったシステムを見直して、新たな価値が生まれるシステムをつくり直さないといけない。そうした新しい戦略を日本のみなさんに伝えることは、今の僕の義務だと思っています。
なぜなら、普段から、国立大学法人で教育に携わって、自分の企業を経営して、アーティストとして芸術作品を生み出し、国際会議や論文誌で研究を発表し、プロダクト作りに関わるテクノロジーとデザインに詳しい人間は、日本に僕を含め数人程度しかいないからです。
たとえば、アーティスティックな価値観や考え方は、経営者が持っているべき素質のひとつです。それがないと、人が時間をかけてつくったものや、深い価値のあるものを正しく評価することができません。複雑性に高い価値を認めなければ、社会への価値を深く理解することは難しい。
加えて、会社を経営する人間にとって、自分の会社で取引したい企業をつくり出すような人材や自分の会社で採用したい人材を育てることはすごく重要なことです。教育論と経営論はビジョンの共有という意味で近くシナジーがありますし、アートも教育にはなくてはならないものです。
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根本的には、教育制度から変えないと、今の流れは変えられません。今の近代社会を成り立たせている全ての公教育とは、ほぼ洗脳に近いものですが、我々は中途半端に個人、自由、平等、人権といった西洋的な理念を押しけられた結果、個人ビジョンがぼやけてしまいました。
今の教育は、「やりがいや、やりたいことがない」という自己否定意識を持った歪んだ人間み生み出しています。要は、欲しいものをちゃんと選ぶとか、自発的に何か行動するということを練習しないし、それをガマンするように指導するのに、好きなものを見つけることが重要だと言い続けるのは大きな自己矛盾を生み出しうる欠陥であり、自己選択に意味がなく、不安感が募る社会にしてしまっています。
教育を変えて日本人の意識を変え、地方自治を強化して、ローカルな問題を解決できるようにすること。つまり、帰属意識と参加意識、自分の選択が意味を持っている実感をそれぞれの人が感じ、相互に依存することから、日本再興は始まっていくのです。
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結婚相手を選ぶときに、頻繁に最初に出てくる条件は年収ですが、これは拝金主義でしかありえません。今の日本は、拝金主義がインストールされすぎていて、もはや気にならなくなっています。
僕もお金の話をよくするのですが、それは「お金はたかがツール」だと思っているからです。家に帰ってきて電気をつける、という「電気」くらいに、ビジネスや研究にとってのお金を考えています。しかし、世間にはお金が神様だと思っている人が多すぎます。
この拝金主義を抜け出すためにも、もうちょっと文化性を持つようにしないといけません。まっとうな心を持っていれば、「お金を稼いでいるからすごい」とは思わないはずです。それなのに、今の日本では、「お金を稼いでいればすごい」というふうになってしまっている。
今の日本人、昭和の日本人は、イデオロギーなき拝金主義者です。拝金は汚いと思っている一方で、確かに拝金なのです。その上、礼儀と同調を忠として本質を見ない。そうした矛盾は、自分を崩壊させます。そんな状態ではいつまで経っても幸福にはなれません。
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2025年くらいになると、日本でもある程度、自動運転車が走っているはずです。僕が自動運転を体感してみてよく感じるのは、一度自動化してしまうと、次に誰か人間に運転してもらうことが馬鹿馬鹿しいと思うようになる、ということです。
タクシーが自動運転になったら、手紙がEメールになったときのように、頻繁に自動運転タクシーを使うようになるはずです。単純に、Eメールやデジタルカメラのことを思い出してください。手紙をやりとりした回数よりもはるかに頻繁に、Eメールでメッセージを送信するようになりました。昔のカメラの撮影回数に比べて、デジタルカメラによってその頻度はずっと多くなったのです。
しかも、自動運転での移動は快適です。今でも、日曜日の朝に都心部でタクシーに乗るとスイスイ走れて気持ちいいですが、自動運転になれば、毎日があれくらいスムーズに移動できるようになるはずです。
そういう世界観をイメージして何を作るかを考えなくてはいけない。
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5G(第5世代移動通信システム。4Gに比べて速度は100倍、容量は1000倍といわれる)で重要なのは、遅延がほとんどなくなることです。5Gになると、たった1ミリ秒の遅れで情報通信ができるようになります。1ミリ秒の遅れは、人間の出入力感覚では、遅れを体感しないレベルです。
この低遅延化というのは、5Gのもっとも大事な特徴のひとつです。今までは遅延があると危険で不愉快に感じてい領域でも、テクノロジーを活用することができるようになります。医療ロボットによる手術、自動運転や、コミュニケーション、テレプレゼンスもそうです。
これからの世界はどんどん物質とデータや映像との区別がなくなっていきます。VR(仮想現実)、MR(複合現実)、空間ホログラムなどの技術の発展が物質と実質との融合を推し進めていくのです。そこに、新しい自然が作られるのではないかという考えが僕にはあります。
「デジタルネイチャー」は、デジタルとアナログの空間ををごちゃまぜにしたときに現れうる本質であり、従来の自然状態のように放っておくとその状態になるようなコンピュータ以後の人間から見た新しい自然です。
それは、質量のない世界にコードによって記述される新しい自然みたいなものともいえます。
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今後、日本が機械化を進めていく上で有利なのは、日本人がテクノロジーを好きであるということです。ロボットやテクノロジーについてに認知が広がった日本は、テクノロジーベースの社会、ロボットフレンドリーな社会に変えやすいのです。
日本人は意思表示の上流がAIになっても、違和感もなく受け入れるはずです。大化の改新以来、日本はトップが天皇で、天皇の横に執行者がいるというスタイルです。中臣鎌足のポジションが機械化されたAIでも、象徴が人間であれば、我々はべつに違和感を覚えないと思います。
機械と相性のいい日本は、あらゆる国のモデルケースとして、あらゆるものを自動化した国になる可能性が十分にあります。日本は文化的にも優れた国です。だから、「どうすれば東京が東洋のパリになれるか」を必死に頑張ったほうがいいのです。
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日本に限らず、今の民主主義はスケールが大きすぎます。民主主義とは、最大公約数的な決定装置ですので、人口が増えすぎて、多様な利害や意見を持つ人が増えてくると、成立しなくなってきます。すなわち、標準から外れたダイバーシティの高い人には民主主義が適用されないのです。
今の中央政府が決める政策は、あくまで日本全体の最大公約数的なものになりがちです。東京にとって正しくとも、大阪や四国にとっては正しくないということが起こってしまいます。地方が地方のことを決定できれば、大阪や四国がそれぞれ最適な選択肢を選べる。
民主主義という概念は、古代ギリシャの時代から存在するものですが、それが具体的な制度になったのは、1700年代の後半、フランス革命によって、「人は本質的に平等で、自由であり、友愛を基にものを考える。特別な人はいないのだから、全員が同じように権利を与えられるべきだ」というような考え方が出てきました。
そして日本でも1860年から1880年にかけて、西洋の人権、自由、平等という概念が導入されました。1889年に公布された大日本帝国憲法もとても西洋風の憲法でした。ただ日本は、民主主義を自ら勝ち取ったわけではないので、いまだに民主主義が根付いていません。
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大学に入った後に学生にやらせるのは研究が一番です。なぜかというと、研究すると、その人しか知らないことを知ることができるからです。これが重要なポイントですが、研究には必ず新規性が求められるので、誰かがやったことは研究になりません。
要は、研究することで、その分野のトップ・オブ・トップになれるのです。
これからは社会人向けの教育も盛んになるでしょうが、そのときに大事なのは、拝金主義を捨てることです。プロフィットセンターを生み出すことが目標の人や、キャリアアップを果たしたい人はMBAを目指しがちですが、MBAは特に社会に価値を生み出していません。
今の日本の産業界は、士農工商のうち商に重きが置かれすぎているように思います。MBAに行って生まれる経営者も基本は商です。そうした経営者はやりたいことがあるわけではなく、機能としての経営者として置かれているケースが多いので金融屋と変わりありません。
MBAを学ぶくらいであれば、リサーチメソッドやアートを学んだほうがいいでしょう。今の日本の教育を受けていると、どこにもアートに触れる機会がありません。一般的な拝金主義教育を受けて、拝金主義大学を経て、拝金主義サラリーマンを経た後、MBAに行っても、アートの素養を磨けないのです。
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これから訪れる脱近代の時代には、個人の働き方も大きく変わります。個人や人間という紋切り型の規定や、時間が人の労働単位という考え方が変わってくるからです。近代が「タイムマネジメント」の時代だったとしたら、現代は「ストレスマネジメント」の時代になるはずです。
タイムマネジメントの時代には、「ワークとライフ」を対比でとらえて、ワークの時間とライフに時間を区切っていました。「ワークライフバランス」はこの近代的な考え方から生まれています。
しかし、これからは、ワークとライフが無差別となり、全ての時間がワークかつライフとなります。「ワークアズライフ」となるのです。生きていることによって、価値を稼ぎ、そして価値を高める時代になるのです。