『経営者の条件』 P.F.ドラッカー 上田惇生/訳 ダイヤモンド社 2006年11月(原著1964年)
<序章 成果をあげるには>
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私がこれまでの65年間コンサルタントとして出会った CEO のほとんどが、いわゆるリーダータイプでない人だった。性格、姿勢、価値観、強み、弱みのすべてが千差万別だった。外交的な人から内向的な人、頭の柔らかな人から硬い人、大まかな人から細かな人までいろいろだった。
第一に身に付けるべき習慣は、なされるべきことを考えることである。何をしたいかではないことに留意してほしい。なされるべきことを考えることが成功の秘訣である。これを考えないならばいかに有能であろうとも成果をあげることはできない。
なされるべきことはほとんど常に複数である。しかし成果をあげるには手を広げすぎてはならない。一つのことに集中する必要がある。若干の気分転換を必要とするというのであれば、二つのことを行ってもよい。しかし三つ以上のことを同時にこなせる者はいないはずである。
<第一章 成果をあげる能力は取得できる>
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知識労働者が生み出すのは、知識、アイデア、情報である。それら知識労働者の生産物は、それだけでは役に立たない。それらのものが役に立つには、他の知識労働者がインプットとして使い、何らかのアウトプットを生み出してくれなくてはならない。
我々は、一つの重要な分野で強みを持つ人が、その強みをもとに仕事が行えるような組織をつくらなけばならない。仕事ぶりの向上は、万能な者をリクルートしたり要求水準を上げることで図れるものではない。それは人間の能力の飛躍ではなく、仕事の方法の改善によって図らなければならない。
成果をあげることは一つの習慣である。実践的な能力の集積である。実践的な能力は習得することができる。それは単純である。しかし身に付けるには努力を要する。掛け算の九九を習ったときのように練習による習得が必要になる。習慣になるまで反復しなければならない。
<第二章 汝の時間を知れ>
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時間こそ真に普遍的な制約条件である。あらゆる仕事が時間の中で行われ、時間を費やす。しかしほとんどの人が、この代替えできない必要不可欠にして特異な資源を当たり前のように扱う。おそらく時間に対する愛情ある配慮ほど成果をあげている人を際立たせるものはない。
時間の管理は継続的に行わなければならない。継続的に時間の記録をとり、定期的に仕事の整理をしなければならない。そして自由にできる時間の量を考え、重要な仕事については締め切りを設定しなければならない。
時間は希少な資源である。時間を管理できなければ、何も管理できない。そのうえ時間の分析は、自らの仕事を分析し、その仕事の中で何が本当に重要かを考える上でも、体系的かつ容易な方法である。
<第三章 どのような貢献ができるか>
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ケネディ大統領によってフォード社より引き抜かれたロバート・マクラマナは内部管理の人間だった。そのため政治的な動きが苦手で最初は議会工作は部下たちに任せていた。しかし彼は、数週間もしないうちに国防長官の仕事は、議会の理解と支持が不可欠であることを知った。
彼のような内向きで非政治的な人間には、困難なだけでなく億劫であったに違いない活動、すなわち各委員会の有力者と親交を深め、議会工作という不思議なスキルを駆使することに自らを駆り立てた。彼は議会との折衝に完全に成功したわけではないが、彼以前の国防長官の誰よりも成功した。
マクナマラの例は、地位が高くなれば外部の世界への貢献が大きな比重をもつようになることを示している。しかも、外の世界で自由に動き回れるのは、地位の高い者しかいない。
<第四章 人の強みを生かす>
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大きな強みを持つ者はほとんど常に大きな弱みを持つ。山あるところには谷がある。しかもあらゆる分野で強みを持つ人はいない。人の知識、経験、能力の全領域からすれば、偉大な天才も落第生である。申し分のない人などありえない。そもそも何について申し分がないかも問題である。
強みを持つ分野を探し、それを仕事に適用させなければならないことは、人の特性からくるところの必然である。全人的な人間や成熟した人を求める議論には、人の最も特殊な才能、すなわち一つの活動や成果のためにすべてを投入できるという能力に対する妬みの心がある。
個人営業の税理士は、いかに有能であっても対人関係の能力を欠くことは障害になる。だがそのような人も、組織にいるならば机を与えられ、外と接触しないですむ。人は組織のおかげで、強みだけを生かし弱みを意味のないものにできる。
<第五章 最も重要なことに集中せよ>
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成果をあげるための秘訣を一つだけあげるとすれば、それは集中である。成果をあげる人は最も重要なことから始め、しかも一度に一つのことしかしない。
二つはおろか、一つでさえ、よい仕事をすることは難しいという現実が集中を要求する。人には驚くほど多様な能力がある。人はよろず屋である。だがその多様性を生産的に使うには、それらの多様な能力を一つの仕事に集中することが不可欠である。
集中はあまりに多くの仕事に囲まれているからこそ必要になる。なぜなら、一度に一つのことを行うことによってのみ早く仕事ができるからである。時間と労力と資源を集中するほど、実際にやれる仕事の数と種類は多くなる。
<第六章 意志決定とは何か>
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セオドア・ヴェイルは、おそらくアメリカの企業史上、意思決定において最も成果を上げた人である。彼は1910年代から20年代にかけてベル電話会社を世界最大の電話会社に育てあげた。
ベルの事業は公共のニーズを予見し、それを満足させることであると規定した。社長に就任するや直ちに「われわれの事業はサービスである」をベルの社訓とした。ヴェイルはサービスを提供することが事業であり、そのサービスを可能とし利益を上げることがベルの仕事であるとした。
ヴェイルは、産業界において最も成功した企業研究所のひとつ、ベル研究所を設立した。ここでもヴェイルの問題意識は、私的独占の存続の必要性からスタートしていた。彼は「いかに独占に競争力を持たせるか」を問題にした。
競争の無い独占体は、急速に硬直化し成長と変革の能力を失う。しかしヴェイルは、独占体においても、「現在」の競争相手として「未来」を組織することはできるはずであると考えた。通信事業のような技術志向型産業では、未来は、現在のものとは違う優れた技術を持ちうるか否かにかかっている。
<第七章 成果をあげる意志決定とは>
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エグゼクティブが直面する問題は、満場一致で決められるようなものではない。相反する意見の衝突、異なる視点との対話、異なる判断間の選択があって初めて、よく行いうる。決定において重要なことは、意見の不一致が存在しないときは決定を行うべきではないということである。
成果をあげる者は意図的に意見の不一致をつくりあげる。そうすることによって、もっともらしいが間違っていることや不完全な意見にだまされることを防ぐ。実行の段階で、その決定に欠陥があったり間違ったりしていることが明らかになっても、途方に暮れることはない。
明らかに間違った結論に達している人に対しては、自分とは違う現実を見、違う問題に気づいているに違いないと考えるべきである。もしその意見が知的で合理的であるとするならば、彼はどのような現実を見ているのかを考えなければならない。
<第八章 成果をあげる能力を習得せよ>
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本書は教科書ではない。その理由の一つは、成果をあげることは学ぶことはできるが教わることはできないからである。つまるところ成果をあげることは教科ではなく修練である。
肉体労働者の欲求と、拡大する産業の役割との経済的対立が、19世紀の発展しつつある国にとっての社会問題であったように、知識労働者の地位と機能と自己実現が20世紀の発展した国にとっての社会問題である。
エグゼクティブの成果をあげる能力によってのみ、現代社会は二つのニーズ、すなわち個人からの貢献を得るという組織のニーズと、自らの目的の達成のために道具として組織を使うという個人のニーズを調和させることができる。まさにエグゼクティブは成果をあげる能力を習得しなければならない。