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BORN TO RUN(19-32章)

『BORN TO RUN』走るために生まれた クリストファー・マクドゥーガル 近藤隆文・訳 2010年2月 NHK出版
 


 
 
 

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「100マイルレースのラスト数マイルにわたるトレイルを疾走する彼を見れば、誰だって心を入れ替えたくなる」とウェスタン・ステーツの記録を破るスコット・ジュレクを目撃して感動したトレイルランナーが、ランニング関連で最大の掲示板、LetsRun.com で言い切っていた。
 

スコットは100マイルレースで優勝したあとは、会場を去るのではなく、ゴールのそばで寝袋にくるまり、寝ずの番をする。夜が明けてつぎの朝になってもまだそこにいて、声をからして応援し、最後の根気強いランナーに、君は一人じゃないと知らせるのだ。
 

ウェスタン・ステーツから2週間後、スコットは山から下り、モハーヴェ砂漠を長時間ドライブしてデス・ヴァレーで開催される悪名高きバッドウォーター・ウルトラマラソンのスタートラインについた。デス・ヴァレーは完璧な肉焼き機、母なる自然のキッチンにあるフォアマン・グリル(ジョージ・フォアマン・グリル)だ。
 
 
 
 

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60マイル地点に達するころには、スコットは嘔吐し、足もとがおぼつかなくなった。力なく手を膝につき、やがて膝を路面についた。崩れるように道路わきに倒れこみ、汗と唾液にまみれて横たわった。
 

リア(妻)も友人たちもあえて起こそうとしなかった。この世で何より説得力のある声は、スコットの心の内にある声だと知っていたからだ。
 

10分間、スコットは死体のように横たわっていた。そして立ち上がり、彼はやってのける。24時間36分のタイムでバッドウォーターの記録を破ってみせたのだ。
 
 
 
 

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ジェン・シェルトンとビリー・バーネットはジャック・ケルアックの「ザ・ダルマ・バムズ」を熟読し、カスケード山脈でのハイキングを描いた一節の暗記に取りかかった。「山道(トレイル)の瞑想をやってみろ、ただ足もとのトレイルを見ながら歩いてわき目はふらず、すぎていく地面に、ただ無我の境地にはいるんだ」。
 

ジェンは私に言った。「100マイルを走れたら、禅の境地に達するんじゃないかと思ってた。ものすごいブッタになって、世界に平和と笑顔をもたらすの。わたしの場合はうまくいってない、相変わらずの役立たずだから、けど、もっといい、平和な人間になれる望みはいつもある」。
 

ジェンの話に耳をかたむけていると、カバーヨ・ブランコの亡霊と交信している気分になった。

「妙だな。メキシコで会った男の話にそっくりだ」私は彼女に言った。「2、3週間後向こうに行って、その男が準備しているレースに出る予定でね」「ありえない!」「スコット・ジュレクも来るかもしれない」「それ、ぜったい、からかってる!」とブッダの卵は大声を上げた。
 
 
 
 

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(テキサス州エルパソ)「これで全員かな」スコットがたずねた。私はバーを見回し、頭数を数えた。ジェンとビリーがビールを注文していた。その横にいたのはエリック・オートン、アドベンチャースポーツのコーチだ。私をポンコツからウルトラマラソンマンに変えようと努力してきた。
 

スコットの両隣には、ルイス・エスコバーとその父ジョー・ラミーレスがいた。ルイスはHURT100を制しバッドウォーターに出場した経験のあるウルトラランナーだ。このスポーツを専門とする一流のレース写真家でもある(その手腕は言うまでもなく、他の写真家にはたどり着けない場所に行ける脚力に助けられている)。
 

「あの裸足の男は?」と私はたずねた。数ヶ月前、”ベアフット・テッド”と名乗る男がカバーヨをメッセージ攻めにしはじめた。彼はさしずめ裸足走法界(ベアフット・ランニング)のブルース・ウェイン(バットマン)で、カリフォルニアのある遊園地業者の相続人として裕福でありながら、人類の足に対する最大の犯罪と戦い続けている。その犯罪とはランニングシューズの発明だ。
 
 
 
 

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ヴィン・ラナナはスタンフォード大学在学中の10年間に、トラックチームとクロスカントリーチームはNCAA選手権を五度制覇し、22個の個人タイトルを獲得、ラナナ自身、NCAAクロスカントリーコーチ・オブ・ザ・イヤーに選ばれている。「シューズのサポート機能をどんどん増やすことで、われわれは足を自然な状態から遠ざけてきたんだ」とラナナは訴えた。
 

ランニングシューズメーカーは、四半世紀を費やしてそのデザインを完成させたのだから、論理的に考えれば、いまや負傷率は激減してるはずだ。なにしろ、アディダスはソールにマイクロプロセッサを搭載し、ストライドごとにクッションの強度を即座に調節する250ドルのシューズを発表している。
 

アシックスは300万ドルと8年をかけて、神々しいまでのキンセイを開発した。このシューズは「フォアフット部の離散化ゲルクッションシステム」や「中足部の推進力強化」機能を持ち、「インパクトを分離・吸収してプロネーションを軽減し、前進運動を助ける無限に適応可能な踵部」を誇る。
 

「チームのためにハイエンドモデルを発注したことがあるが、2週間もしないうちに、足底筋膜炎やアキレス腱障害に苦しむランナーが過去最多になってしまった。私はすぐに返品して、こう伝えたよ。『いつもの安いシューズを送ってくれ』」とラナナは言う。
 
 
 
 

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エリックとともに背中のハイドレーションパックをしっかりとめ、私はバンダナを巻いた。カバーヨが土止め壁の間をすり抜け、石に上を伝って川べりに向かいはじめた。ベアフット・テッドが後につづき、岩から岩へと裸足で軽快に跳ねてみせる。たとえ感心したとしても、カバーヨはおくびにも出さなかった。
 

「彼らの足をよく見るんだ」エリックが言った。スコットが履いているのは自身が設計に協力したブルックスのトレイル用シューズ、カバーヨはサンダルだったが、どちらも裸足のテッドと同じように地面すれすれに足を運び、三人の足取りはぴったり同期していた、まるで品評会でリピッツァナー種の牝馬の一団を見ているようだった。
 

1マイルほど進むと。カバーヨは岩の多い土砂崩れ後の急坂へと方向を転じ、そこから山の方に登りはじめた。エリックと私はウルトラランナーの鉄則に従い、スピードを落として歩きに切り替えた。「頂上が見えなければ、歩け」というわけだ。50マイルを走る場合、坂を駆け上がっても、下りで息が切れたら報われることはない。
歩くことによるロスはほんの数秒で、下り坂で飛ばせば挽回可能だ。
 
 
 
 

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私がエリックと出会ったのはその1年前、うんざりした気分でランニングシューズを脱ぎ捨て凍った小川に身体を投げだした直後のことだった。私はまたけがをしたのだ。ただし、私にとってそれは最後のけがとなる。私は雑誌の取材でエリックをインタビューに訪れた。彼は、アドベンチャースポーツのコーチで、元コロラド大学健康科学センターのフィットネスディレクターだった。
 

エリックは、私がタラウマラ族の学校で見たレースについて根ほり葉ほり質問してきた。そして私に取引をもちかけた。カバーヨのレースに参加できるように指導するから、カバーヨに自分を紹介してくれないか、と。「このレースが実現するなら、何としてもその場にいなくては。きっと史上もっとも偉大なウルトラになる」とエリックは力説した。
 

「この身体が50マイル走るようにできているとはとても思えないんだが?」私は言った。「誰もが走るようにできている」
「距離を延ばすたびに挫折するんだ」「今回はそうならない」
「矯正具をつけるべきだろうか?」「矯正具のことは忘れろ」。
 

私は半身半疑だったが、エリックの絶対的な自身に説得されつつあった。
「まずは体重を落として、足の負担を減らすべきだろうな」「食生活はおのずと変わる。様子を見よう」
「ヨガはどうだろう?」「ヨガも忘れろ。ヨガをやっている知り合いのランナーはみんな故障持ちだ」。
 
 
 
 

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「もうすぐだ」カバーヨが言うのが聴こえた。何かを指さしているが、私にはよく見えない。「木立があるだろう?あそこに来ることになっている」。「アルフォンソがね」ルイスの声には驚きがにじんでいた。「マイケル・ジョーダンより会いたいくらいだ」。
 

カバーヨがわれわれを紹介しはじめた。ただし、名前は使わなかった、それどころか、彼は二度とわれわれを名前で呼ばなかった。過去三日のあいだわれわれを観察したカバーヨは、私の中に熊(オソ)を見て、ベアフット・テッドが自分の中に猿を見つけたように、他のみんなのスピリットアニマルを特定できたと感じていた。
 

「エル・コヨーテ」カバーヨはそう言って、ルイスの背中に手をまわした。ビリーは「エル・ロボ・ホベン」若き狼になった。物静かで用心深いエリックは「エル・ガビラン」鷹だ。ジェンの番になったとき、マヌエル・ルナの目が興味深そうに光るのを私は見逃さなかった。「ラ・ブルヒタ・ボニータ」かわいい魔女とカバーヨは命名した。
 

最後にカバーヨは、スコット・ジュレクの方を向いた。「エル・ベナード」と彼が言うと、冷静沈着なアルヌルフォまで反応した。このいかれたグリンゴは何をたくらんでいるんだ?なぜ、カバーヨは長身で細身の、自信満々に見える男を「鹿」と呼ぶのか。
 
 
 
 

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(ウリケ村)カバーヨがビールの瓶を叩いて立ちあがった。「ここに集まった連中はみんなどうかしている。ララムリはメキシコ人が好きではない。メキシコ人はアメリカ人が好きではない。アメリカ人は誰も好きではない。ところがここにはそのみんなが顔をそろえている。しかも、やらないはずのことをやっている」。
 

「私はララムリが川を渡るチャボチに手を貸すのを見た。メキシコ人がララムリを偉大なチャンピオンとしてもてなすのを目にした。そしてここにいるグリンゴたちはといえば、敬意をもって人々に接している。普通はメキシコ人もアメリカ人もララムリもそんな振る舞いはしない」。
 

「まともな理由もないのに行動する連中を何というか知っているか?そうだ。いかれた連中、狂人ども(マス・ロコス)だ。いかれた連中には見えないものが見える。(略)あしたは史上最大級のレースになる。それを目撃するのはだれかわかるか?いかれた連中だ。ここにいるマス・ロコスだけだ」。
 

「マス・ロコス!」ビールが宙に突き出され、ボトルが打ち鳴らされる。カバーヨ・ブランコ、ハイ・シエラズの孤独な放浪者はついに荒野から姿を現し、友人たちに囲まれていた。長年、失望を味わってきた彼は、あと12時間で夢の実現を見届けることになる。
 
 
 
 
この本を最後まで読んだ人は、ここから始まる「グリンゴ vs ララムリ」の奇跡のウルトラレースを、目撃することができる。アルヌルフォ・キマーレとスコット・ジュレクの激走をときに椅子から立ち上がり、ときにティッシュで目を押さえながら目撃することになるのだ。スコットのボロボロになりながらも走りぬくというそのイメージに助けられながら読み終えた。登場人物に励まされながら自分も読み終えるまでの長い時間を、並走している気分になった。さて、走るか?