『イノベーション・オブ・ライフ』クレイトン・M・クリステンセン 2012年12月 翔泳社
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五年ごとに開催されるわたしたち(ハーバード・ビジネス・スクール)の同窓会は、同級生の興味深い人生のスナップショットを連続して見せてくれる。盛大なもてなしが行われ、著名ゲストによる講演やイベントが次々と開催される。同級生はとてもうまくやっているように見えた。
10年めの同窓会になると、起業家としてすでに名をなしている人もいれば、人生が変わるほどの大金持ちになっている人もいた。しかし職業人としてこれほどの成功を収めながら、あきらかに不幸せな人たちが多くいた。
社会的成功という仮面の蔭で、多くの人が仕事を楽しんでいなかった。離婚や不幸な結婚生活の話もよく聞いた。25年めと30年めの同窓会は問題はさらにひどくなっていた。同級生の一人は、エンロンのスキャンダルに関わったとして刑務所行きになった。
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・どうすれば幸せで成功するキャリアを歩めるだろう?
・どうすれば伴侶や家族、親族、親しい友人たちとの関係を、ゆるぎない幸せのよりどころにできるだろう?
・どうすれば誠実な人生を送り、罪人にならずにいられるだろう?
人生の根源的な問題を手軽に解決する方法など存在しない。だが私に与えられるものがある。それは、人生の状況に応じて賢明な選択をする手助けとなるツールだ。本書ではそれを「理論」と呼ぶ。
理論の力を借りないのは、六分儀もなしに海をさまようようなものだ。目の前にあるものの先を見通せなければ、人生を成り行きに任せ、荒波に揉まれるがまま生きていくことになる。優れた理論は、わたしたちをビジネスだけでなく人生でも賢明な決定に導いてくれる。
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私がこのツールの力を学んだのは1997年『イノベーションのジレンマ』を発表する少し前のことだ。
当時インテルの会長だったアンディ・グローブから電話があり、彼と経営陣にわたしの破壊的イノベーションに関する研究を説明し、それがインテルにとってどんな意味があるのか説明してほしいと、直々に頼んできたのだ。
アンディはこう言った。「悪いけど時間は10分しかない。君の研究がインテルにとってどんな意味をもつのか、そこんとこだけ教えてくれ」。わたしは「そんなことはできない。わたしはインテルのことをほとんど知らない。わたしにできることは、まず理論を説明することだ」と言った。
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わたしは破壊的イノベーション理論のモデル図を示した。そして、新しい技術を持った競合企業が、既存製品よりも性能は劣るが安価な製品やサービスを持って市場に参入するとき、破壊が起きることを説明した。
鉄鋼ミニミルはまず鉄筋用棒鋼や鉄筋鋼材という、市場のローエンドを攻撃し、そこから一歩一歩登っていき、やがてハイエンドに位置する鋼板を製造するようになった。そして最後には一社を除くすべての伝統的な製鉄会社を破産に追い込んだ。
わたしが、ミニミルの話を終えるや否や、アンディは「わかった。インテルにどういう意味があるかというと…」話を引き取り、後に低価格のセレロン・プロセッサでローエンド市場に参入するというインテルの戦略に結実した計画について、語り始めた。
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1976年にジャンセンとメックリングという二人の経済学者が発表したエージェンシー理論、またの名を誘因理論(インセンティブ理論)では、だれかに特定の仕事に集中して取り組ませるには、しかるべき報酬を与えさえすればいいというのだ。
誘因理論の問題点は、強力なアノマリー(理論で説明できない事象)が在することだ。
たとえば、世界で最も努力を惜しまず働く人たちのなかには、非営利組織や慈善団体の職員がいる。そのなかには災害復旧地域や、飢餓や洪水に見舞われた国など、これ以上ない過酷な状況で働く人たちもいる。
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フレデリック・ハーズバーグによる、彼らを動機づけているものがお金ではないとする理論、これは二要因理論(モチベーション理論)と呼ばれる。この理論は「衛生要因「と「動機づけ要因」という2種類の要因を区別する。
仕事には、少しでも欠ければ不満につながる要因がある。これを衛生要因と呼ぶ。ステータス、報酬、職の安定、作業条件、企業方針、管理方法などがこれにあたる。人は衛生要因が満たされないと、不満を感じる。
報酬はまちがいなく衛生要因だ。これをしっかり理解しておく必要がある。報酬をどんなに工夫したところで、せいぜい社員が報酬の面で同僚や会社に不満を持たなくなる程度でしかない。
ではわたたしたちを心から深く満足させるもの、つまり仕事への愛情を生み出す要因これが動機づけ要因と呼ばれるものだ。動機づけ要因には、やりがいのある仕事、他者による評価、責任、自己成長などが含まれる。動機づけは、自分自身の内面や仕事の内容と大いに関係がある。
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ホンダは1960年代にアメリカのオートバイ市場への足掛かりを得ようとした。ホンダの戦略は既存メーカーに引けをとらないオートバイを製造して、格安で販売し、欧州勢からオートバイ市場の10%を奪うというものだった。
ホンダはこの戦略のせいで破綻しかけた。当初数年間の売り上げは雀の涙だった。ホンダのバイクはハーレーに比べると見劣りがし、アメリカでよくやるように長時間にわたって高速で運転すると、オイル漏れを起こした。
ホンダは大型バイクのほかに小型バイク「スーパーカブ」を数台持ち込んでいた。ある土曜日、ホンダ社員の一人がスーパーカブに乗ってロサンゼルス西部の丘陵地帯に出かけ、ダートを走り回り、心ゆくまで楽しんだ。次の週末も、彼は同僚を誘って丘に出かけた。
まもなく、スーパーカブを乗り回すホンダの社員を見かけたシアーズのバイヤーが、カタログ販売で取り扱わせてほしいと言ってきた。あの日一人の社員が思いついたアイデアが、伝統的なツーリング・バイクの所有者とは毛色の違う、数百約万人のための新しい娯楽を生んだ。
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ホンダの戦略の選択肢は、二つの全く異なる源から生まれる。一つ目の源は予想された機会だ。ホンダの事例ではアメリカの大型バイク市場がこれにあたる。このような計画を実行するとき、意図的戦略を実行しているという。
選択肢の二つ目の源は予期されない機会で、一般には意図的な計画や戦略を決定、推進するうちに生じる。ホンダの場合、予期されなかったのは大型バイクの故障であり、その修理にかかった莫大な費用であり、スーパーカブを販売する機会だった。
ホンダは戦略を変更し、安価なスーパーカブに集中するという決定を一日がかりの会議の末に下したわけではない。社員が日本からスーパーカブを一台、また一台と取り寄せるうちに利益ある成長への道筋があきらかになったのだ。
このようにして形成される戦略は、創発的戦略と呼ばれる。経営陣が新たな方向性を追求するという明示的決定を下したとき、創発的戦略が新たな意図的戦略になる。
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わたしたちは人生やキャリアで、意識しようがしまいが、常に意図的戦略か、創発的に現われる予期されない選択肢のどちらかを選びながら、道を進んでいく。どちらの手法もわたしたちの心をつかもうと張り合い、実際の戦略になろうとして正当性を主張する。
あなたの求める衛生要因と動機づけ要因の両方を与えてくれる仕事がすでに見つかっているなら、意図的な手法をとるのが理にかなっている。反面、条件を満たすキャリアが見つかっていない人は、創発的戦略をとる必要がある。
戦略は必ずといってよいほど、予期された機会と予期されない機会が組み合わさって生まれる。肝心なのは、外へ出ていろんなものごとを試しながら、自分の能力と関心、優先事項が実を結びそうな分野を、身をもって知ることだ。
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わたしたちが自分の戦略に対して行う投資-それが積もり積もって人生になる-は、こう考えるとわかりやすい。わたしたちはプライベートな時間や労力、能力、財力といった資源をもっていて、これを使ってそれぞれの人生でいくつもの「事業」を育てていく。
実のところ、あなたが望み通りの人生を送れるか、意図したものとはかけ離れた人生を送るかは、自分の資源をどのように配分するかによって決まるのだ。
同級生たちは昇進や昇給、ボーナスなどの見返りが今すぐ得られるものを優先し、立派な子どもを育てるといった、長い間手をかける必要があるもの、何十年も経たないと見返りが得られないものをおろそかにしたのだ。