国家の罠(佐藤優)

『国家の罠』佐藤優 2007年11月 新潮社
 


 
 
 

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ロシア共産党守旧派のイリイン第二書記があるときこう言った。
「(前略)スターリングラードでロシア人も地雷を背負って戦車に突っ込んだんだ。僕たちは国のために命を捨てた神風のパイロットたちを尊敬している。
 

北方領土を取り返したいという日本人の気持ちはよくわかる。しかし、僕たちはソ連の愛国者だから、今、ソ連の敵陣営の属する日本に島を渡すことはできない。でも、君たちは遠慮する必要はない。北方領土を返還しろと熱心に訴え続けた方がいい。
 

僕たちロシア人は原理原則を譲らない外国人を尊敬するんだ。ただし日本政府の発言要領を繰り返すだけではだめだ。自分の頭で徹底的に考えて、ロシア人の心に訴えることばを見つけるんだ」。
 
 
 
 

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1991年12月にソ連は崩壊し、旧ソ連邦構成共和国はすべて独立した。これら諸国にとって社会主義計画経済から市場経済に向けての構造転換が最重要の課題になった。
 

97年7月、橋本龍太郎総理が日露関係を「信頼」「相互利益」「長期的な視点」の三原則によって飛躍的に改善すべきであるという「東からのユーラシア外交ドクトリン」を提示する。この演説を契機に日露関係は、北方領土問題を含めて大きく動き出す。
 

北方領土問題を解決し、日露関係を戦略的に転換することが日本の国益に貢献すると確信し、97年以降、東郷審議官(68年外務省入省)、前島補佐(88年入省)、私(85年入省)は同じ対露外交戦略で結び付いた盟友関係にあった。
 
 
 
 

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1991年8月ソ連共産党守旧派によるクーデター未遂事件後、バルト三国(リトアニア、ラトビア、エストニア)の独立が認められ、同年10月日本政府はこれらの国との外交関係樹立のため政府代表を派遣することになった。
 

そして当時外務政務次官を務めていた鈴木宗男が政府代表に命じられ、在モスクワ日本大使館三等書記官として民族問題を担当していた私が通訳兼身辺世話人として団員に加わった。
 

鈴木氏との出会いが後の私の運命に大きな影響を与えることになろうとは、当時は夢にも思っていなかった。
 
 
 
 

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(西村検事)「これは国策捜査なんだから。あなたが捕まった理由は簡単。あなたと鈴木宗男をつなげる事件を作るため。国策捜査は『時代のけじめ』をつけるために必要なんです。時代を転換するために、象徴的な事件を作り出して、それを断罪するんです」
 

(西村)「法律はもともとある。その適用基準が変わってくるんだ。特に政治家に対する国策捜査は近年驚くほどハードルが下がってきた。(略)今や政治家に対しての適用基準の方が一般国民に対してよりも厳しくなっている。時代の変化としか言えない」
 

(佐藤)「そうだろうか。あななたたち(検察)が恣意的に適用基準を下げて事件を作り出しているのではないだろうか」
 

(西村)「そうじゃない。実のところ、僕たちは適用基準を決められない。時々の一般国民の基準で適用基準は決められなければならない。僕たちは法律専門家であっても、感覚は一般国民の正義と同じで、その基準で事件に対処しなければならない(略)」
 
 
 

(西村)「国策捜査は冤罪じゃない。これはというターゲットを見つけだして、徹底的に揺さぶって、引っかけていくんだ。引っかけていくということは、ないところから作り上げることではない。何か隙があるんだ(略)」
 

(西村)「だいたい国策捜査の対象になる人は、その道の第一人者なんだ。ちょっとした運命の歯車が違ったんで堀のなかに落ちただけで、歯車がきちんとかみ合っていれば社会的成功者として称賛されていたんだ。
 

そういう人たちは世間一般の常識からすればどこかで無理している。だから揺さぶれば必ず何かでてくる。そこに引っかけていくのが僕たちの仕事なんだ」
 
 
 
 

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小泉政権の成立後、日本の国家政策は内政、外交の面で大きく変化した。(略)内政上の変化は競争原理を強化し、日本経済を活性化し、国力を強化することである。外交上の変化は日本人の国家意識、民族意識の強化である。
 

内政上の変化について「小さな政府」、官から民への権限移譲、規制緩和などは、社会哲学的に整理すれば「ハイエク型新自由主義モデル」である。
 

このモデルでは、個人が何よりも重要で(略)経済的に強いものがもっと強くなることによって社会が豊かになると考える。強者が機関車の役割を果たすことによって、客車である弱者の生活水準も向上すると考える。
 
 
 
 

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鈴木宗男氏は「政治権力を金に替える腐敗政治家」として断罪された。これはケインズ型の公平配分の論理からハイエク型の傾斜配分の論理への転換を実現する上で極めて好都合な「物語」なのである。鈴木氏の機能は、構造的に経済的に弱い地域の声を汲み上げ、されを政治に反映させ、公平配分を担保することだった。
 

ポピュリズムを権力基盤とする小泉政権としても「地方を大切にすると経済が弱体化する」とか「公平配分をやめて金持ちを優遇する傾斜配分に転換するのが国策だ」とは公言できない。
 

しかし、鈴木宗男型の「腐敗、汚職政治と断絶する」というスローガンならば国民全体の拍手喝采を受け、腐敗・汚職を根絶した結果としてハイエク型新自由主義、露骨な形での傾斜配分への路線転換ができる。
 
 
 
 

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北方領土問題について、鈴木氏、東郷氏と私は「四島一括返還」の国是に反する「二島返還」、あるいは「二島先行返還」という「私的外交」を展開したと非難されたが、これは完全な事実誤認に基ずくものだ。
 

鈴木氏、東郷氏、私の考え方は、歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島に対する日本の主権を確認した上で平和条約を締結するという基本路線から外れたことはない。ただ、ロシアと現実的に噛み合う交渉について数々の工夫をしたにすぎない。
 

北方領土問題について妥協的姿勢を示したとして、鈴木氏や私が糾弾された背景には、日本のナショナリズムの高揚がある。換言するならば、国際協調的愛国主義から排外主義的ナショナリズムへの外交路線の転換が背景にある。
 

鈴木宗男氏は「公平配分モデル」から「傾斜配分モデル」へ、「国際協調的愛国主義」から「排外主義的ナショナリズム」へという現在日本で進行している国家路線転換を促進するための恰好の標的となった。
 
 
 
 

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拘置所では、毎週月曜日と木曜日が髭剃り日で、電気カミソリが貸し出されるが、自費で購入すると毎日一回、髭をそることができる。ある日間違えて「三十一房、誰某」と書かれた電気カミソリが私の部屋に差し入れられた。これで私は隣人の氏名を知ることになった。
 

三十年以上前、共産主義革命を目指して大きな事件を起こした人物だった。
 

三十一房の隣人がゴミを出した後、私がゴミを出す。隣人のごみの中にライオネス・コーヒーキャンディーの赤色の包み紙がいつも大量に捨てられていた。確定死刑囚は購入可能商品のリストが異なるようだ。
 

拘置所ではコーヒーを平日は二回、休日は一回しか飲めないので、コーヒー党にとってこのキャンディーは重宝する。弁護人に調べてもらったら、拘置所指定の売店経由で差し入れができることがわかったので、早速入れてもらうことにした。今でも街でこのキャンディーを見ると確定死刑囚の姿を思い出す。