『采配』 落合博満 ダイヤモンド社 2011年11月17日
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1日、1日と生活していく中で、さまざまなことをそれなりにこなそうとすれば、どうしてもバランスを取ろうとするため、一つのことに深く取り組む、すなわち没頭することができない。そしてそれを一定期間継続すると、没頭するという感性を忘れてしまう。
レギュラーになるチャンスが目の前に転がっている時は、他のすべてのことを忘れてつかみ取りに行かなければ、絶対手にすることはできない。そこで自分の仕事に没頭できるか、それとも普段と同じ取り組みでチャンスを逃すか。
自分の目標を達成したり、充実した生活を送るためには、必ず一兎だけを追い続けなければならないタイミングがある。大きな成果を得るためには、何かを犠牲にすることもあるという覚悟をしておきたい。
2
私は「岩瀬を出せば勝てる」と思ったことは一度もない。岩瀬に対して「抑えてくれよ」と思っているが、頭の中では岩瀬が打たれた場合の戦い方もシミュレーションしている。岩瀬を信頼していないという意味ではない。勝負には何があるかわからないからだ。
「勝負の方程式」では「岩瀬で負けたら仕方がない。岩瀬だって打たれることはある」と考える。つまり、こちらが最善と思われる策を講じても、相手が上回ることはあるのだ。
「勝利の方程式」を信じて戦う監督は何と言うか。「まさか、あの場面で岩瀬が打たれるとは・・」。勝負に絶対はない。しかし、「勝負の方程式」を駆使して最善の策を講じていけば、仮に負けても次に勝つ道筋が見えるだろう。そう考え戦ってきたのだ。
3
できないことをできるようになるまで努力し
できるようになったら、その確率を高める工夫をし
高い確率でできることは、その質をさらに高めていく
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10年、15年とプレーを続けたベテランならなおさら、将来は監督やコーチの要請を受けることもあるだろう。評論家としてテレビや新聞社で仕事をしていくかもしれない。
入団から数年せずに消えていく選手が多い中で、長く活躍できたのである。だからこそ最後はきれいに終わったほうがいい。どんな世界でも、次の世代を担うであろう人間の立ち振る舞いは、見ている人が見ているものだ。
実は、引退後に指導者としてユニフォームを着ることができず、「選手時代にあまり勝手な振る舞いをしないほうがよかった」と後悔している人は少なくない。現役生活に悔いを残さないのと同様に、引退後の人生も充実させたいのなら、それ相応の言動を撮るべきだろう、
5
ひとつの仕事を続ければ続けるほど、身の回りのことが当たり前に見えてくる。いや、もっと言えば当たり前と決めつけ見えなくなる。しかし、固定観念を取り除いて見てみれば、その中に多くの情報があることを実感できる。
6
メンタル面で「切り替える」という言葉が頻繁に使われる。致命的なミスをした時、「まだ試合は終わっていない。切り替えてしっかりやろう」という意味合いで使われるのだと思うが、この表現にも私は違和感を覚える。
気持ちを切り替える場面で本当にしなければならないのは、ミスの原因をしっかり精査し、次に同じような場面に出くわしたらどうするのか、その答えを引き出してから次へ進むことである。
気持ちを切り替えてミスがなくなるのなら、初めから切り替えた気持ちでやれば済むことではないか。私は「開き直る」という気持ちも同じ種類だと分類している。
苦しい状況に置かれた時、「気持ちを切り替える」という言葉に逃げるのはたやすい。だが、そこで罵声を浴びようが、批判の矢に打たれようが、今日の戦い全力を尽くさなければ、明日も来年もないだろう。
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あのとき別の道に進むべきだったか。自分の人生はこれでよかったのか。齢を重ねれば重ねるほど、あるいは人生がうまくいってないと感じた時ほど、そうやって自分の人生を振り返るものだろう。
だが、自分の歩んできた道はすでに歴史になっている。ならば、「これでいいんだ」と踏ん切りをつけることが、その先に進むための原動力、次への一歩になるのではないか。
どうすれば成功するのか、どう生きたら幸せになれるのか、その答えが分かれば人生は簡単だ。しかし、常に自分の進むべき道を探しもとめること、すなわち自分の人生を采配することこそ、人生の醍醐味があるのだと思う。
人や組織を動かすこと以上に、実は自分自身を動かすこと難しい。それは、「それはこうやったら人にどう思われるのか」と考えてしまうからである。だからこそ、「今の自分には何が必要なのか」を基本にして、勇気をもって行動に移すべきだろう。