アメリカと日本(江崎玲於奈)

『アメリカと日本』 江崎玲於奈(1925年生) 三笠書房 1987年7月
 

江崎博士は1947年東京帝国大学を卒業、ソニー在職中にエサキダイオードを開発した。1960年、35歳の時アメリカのIBMワトソン研究所に転職し研究を続け、その業績等により1973年にノーベル物理学賞を受賞する。1992年日本に帰国後は、筑波大学の学長に就任するなど、教育改革、大学改革に尽力し、90歳をすぎた現在も教育者として元気に活躍中である。
 

この本は、30年以上にわたるアメリカでの生活から帰国した後に書かれたエッセイや講演会の記録などを集めたもので、内容は科学技術、教育問題、政治問題、と多岐にわたる。日本の将来に対するたくさんの提言を含んでいるが、それがまったく古く思えないのは、日本がいかにやるべきことを怠ってきたか、日本社会として変わってないないかの証明でもあるだろう。
2020/05月
 
 
 

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私は、皆さん一人一人が自分で考える一時を持つことをおすすめしたいと思います。特に人間関係が密接である日本の社会では、組織の中に溺れて自分というものを見失いがちになるからです。
 

ともかく、私が申し上げる “自分で考える” ということは、自分に主体性を置き、家族や企業あるいは学校のこと、仕事や学問あるいは趣味や娯楽のこと、さらに自分の素質や能力、自分の満足感について、考えをめぐらすということです。
 

そして、置かれている環境から自分は何を得ているか、また逆に自分は何をそれらに与えているか、将来与えることができるか、というようなことを明らかにした上でこそ、将来の計画も立てられるのではないかと思います。
 
 
 
 

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アメリカは、少なくとも日本と比べ、指導的な地位の人、あるいはプロフェッションの人には大きな期待をよせる社会であるということができる。そして、アメリカ人の好きなチャレンジという言葉は、その期待にこたえるべく、しゃにむにがんばることだと考えてよい。
 

そしてこの国では、チャレンジする過程で非常に大きな成長を遂げる人を時々見受けるのである。その人たちは、はじめから実力を備えていたというより、新しい体験を多く学ぶことによって、創造的能力が引き出されたといえるのであろう。
 

一方、日本では、あの人の年齢と功績からして順当であると部長昇進を決定したり、このA大学卒業生がこれほどの成績ならば大丈夫と採用を決める。そして、その人の将来は現在の延長線上にあるものと決める。いうなれば、日本は地位を与えるとき、資格審査を厳重にし、後はあまり問わない。
 
 
 
 

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日本は暖かい社会、アメリカは冷たい社会という。あるアメリカの知識人に”暖かい社会”、”冷たい社会”の説明をすると、彼は前者は”束縛の社会”、後者は”自由の社会”ではないかという。しかし私はまた、少し違った見方をする。前者を”おとなしい社会”、後者を”荒々しい社会” と見る。
 

日本を “ひよわな花” と見るならば、それは石油がないとか、資源がないとか、軍備がないとかいうよりも、日本の社会が日本人をひよわにしているというだけである。とかく相手に頼り過ぎ、独立精神不足はひよわさの一つである。アメリカへの強すぎる依存心もそれをものがたる。
 

“暖かい社会” の中に “冷たい要素” を、”おとなしい社会” の中に “荒々しい要素” をいかに取り入れるべきであるか。これは、技術立国を目指す日本としても、考えねばならないことではないだろうか。
 
 
 
 

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ここ新大陸においては「経済活動の増大には個人の自由な活動を保障することが最善策である」とするリベラリズムが成果を収めたのであるが、またその成功の陰に発生した諸々の弊害を改めようとする力も、やはりリベラリズムから生まれたということを認めることは重要ではないか。
 

日本のように同一民族だけが隔離されて生活する社会では、昔からあったものはどんどん熟成されるであろうが、もともと無かった思想は容易に根付かないのである。しかし、国を富ますという政策に支えられて、自由経済の制度だけは案外早く日本に定着したと見るべきだろう。
 

ところで、このようにリベラリズムが十分に育っていない土壌で、自由経済だけが繁栄した場合、そこからくる国内的、国際的社会悪をその時々に応じて矯正するという力がうまく働かないという欠点がある。現在、日本をとりまく諸問題の原因の一つは、こんなところにあるのではないかと思われる。
 
 
 
 

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人はリスクを取って自分がした決断を実行する時に初めて責任感を持ち、目的達成に意欲を燃やすだろう。日本的システムの一つの問題点は、小さい頃にディシジョンメーキングをやりつけない人が、年をとっただけで急に明確なディシジョンをする能力を得るだろうかということである。
 

多くの場合、だいたいコンセンサスに基づき諸外国の事情に横目を使い、無難な決断を下するのが常ではないだろうか。そうなると、大きな間違いはないにしても、日本の社会はやはり精彩を欠くことになる。私は、ディシジョンメーキングの第一歩は自分で考えることから始まると信ずる。
 

さて、最近多くの国際問題が新聞紙上をにぎわしている。日本人も国際社会に参加した時に、明快なディシジョンを怠ると、日本人の行方は外国人のディシジョンメーキングに依存するということにもなりかねない。
 
 
 
 

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アインシュタインは、特定の科目、物理学や数学などに対しては、単にそれが好きだとか、才能があったというのではなく、それにあたかもとりつかれたように勉強した。つまり、まず自分の力で咀嚼し、あくまで疑問を追求して、自分のものにするという態度である。
 

これは、一夜づけの試験勉強とははなはだ異なる勉強の仕方である。いうならば、自分なりの物理学の世界像を、たとえ、それがどんなに幼稚なものであっても、自分の頭の中に組み立ててゆこうと試みる。
 

それは単に、知識欲を満たすためだけでなく、問題の核心に触れようと努めるのである。こういう学びかたをすることによって初めて、好奇心や空想力をかき立て、自然の驚異に感動し、やがてその分野で想像力を発揮できるようになるのではないだろうか。
 

アインシュタインは世界的な名声を得たあとも。少しも尊大ぶったところがなかった。いつも他の研究者たちと自分を同列に考えていた。そして、いつまでも子供のような純真さと、情熱を失わなかった人である。
 
 
 
 

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私は元来、目標というものは一つのスピリットであり、心の中に設定された理想であり、それを達成しようとする過程は、現実的諸問題へ挑戦することなのだと思っている。
 

「日本の情報化はかくあるべし」という具体的目標があるわけではない。日本人自身が、自分たちで作ったビジョンや理想を持たなければならないように思われる。日本社会の実情に即した情報化について、日本人の創造性が要求されるといえる。
 

私は人間の創造性は、どちらかといえば、後天性のものではないかと思っている。頭脳の機械的な機能には遺伝的なもの、先天的なものも多いに違いないが、個性とか、創造性を育てるには教育環境が大事なのではないだろうか。
 
 
 
 

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日本が欧米の文明を多いに習得せなばならない時期には、できるだけ多くの情報、知識を持ち、それを理解する力を養うことが、教育の面でも重要視されたのも当然だった。重要な発明、発見の成果だけを自分のものにすればいいのであって、創造的活動はむしろ控えるほうが能率的であった。
 

しかし、今や情報化社会に向かって日本人自身、暗中模索や試行錯誤を繰り返さねばならないとなると、そこには創造性が育てられるべき環境が生まれてきたと言えるのではないだろうか。
 

最期に強調したいことは、情報化社会には創造性を必要としない人間の頭脳労働は、すべて情報処理システムにとって代わられるということである。たとえ複雑な問題であっても、プログラムすることができるものであれば、コンピューターが全部やってくれる。